いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:古代伝記小説「いにしえララバイ」 > 草薙の剣

第1部 草薙の剣 第4章 筑紫にて(1)
 
 船旅も夕陽が西に沈むころ、海峡を過ぎ、沿岸にナキカツヒコの集落が見えてきた。ワタツミとナキカツヒコとは従弟関係にあり、お互いに行き行きがあった。
 「ワタツミ殿、よく来られた。さあ、居間へどうぞ。」
 「今日は、珍客を連れて来たぞ。日向の若君じゃ。」
 「それは、筑紫の国までよく来られた。母君はご健勝でござるかのう。まあ、夕食を用意するのでゆっくりされよ。」
 食事も済ませてから、ナキカツヒコは家宝の剣をイハレビコに見せるため持ち出した。
 「この剣は出雲の国に出向いた時に、鍛冶屋職人に作らせたものじゃ。」
 イハレビコの時代には、すでに出雲の国で鉄製品が作られていたようです。出雲の山々から取れる花崗岩に、鉄の原料となる砂鉄が含まれ、時には岩鉄も採れ、これらの山々から砂鉄が川に沿って流れ、川砂鉄として採取され、川から海へ流れて浜砂鉄として採取されていた。しかも、出雲の国は大陸とのつながりが深い土地柄であったため、鉄製品を作る技術を習得していた。
 鉄の発見は紀元前二千年ごろ、トルコ付近とも言われ、鉄を作る技術が西はヨーロッパ、東はシルクロードを通って、中国から朝鮮半島へ、そして日本に辿り着いた。
 「すばらしい剣ですね。私どもの今回の旅は、伊勢の国のアマテラスの神を拝礼するためのものです。お爺様に相談したら、それだったら剣を奉納されよと諭されました。そこで、ナキカツヒコ様にお知恵を頂戴しようと、お挨拶によして戴いた次第です。」
 「我らの神でもあるアマテラス様にお会いに行かれるのですか、それは良いことです。出雲の国も寄られるがよかろう。それから、我が集落でゆっくりされて、筑紫の宮も見とくが良かろう。」
 「せっかく、筑紫の国に来たのですか、山田の宮や訶志比の宮を見とうございます。」
 イハレビコの祖先の神であるアマテラスは、豊の国でも、筑紫の国でも崇拝されていた事実がわかり、日向の国よりもこの二つ国のほうが文化的にも経済的にも優れていたことが分かる。また、出雲の国の崇拝する神はオオクニヌシであり、この神は中国に関係がある神ではないだろうか。中国の遊牧民族では、国を守る神として、オオクニヌシの神が存在していた。日本の神話では、スサノヲの子孫として取り上げられているが。
 出雲の国は、中国から渡って来た民族ではないだろうかと考えると、イハレビコの子孫が大和朝廷として、日本を統一しようとした時に、最後まで抵抗した国のひとつであり、ヤマトタケルが熊曾を制圧した帰りに、出雲をも制圧した。そして、日本神話にオオクニヌシの神が吸収された。
 「お爺様、ナキカツヒコ様、いろいろとお世話になりました。」
 イハレビコ達は、浜風がふく早朝にナキカツヒコの集落を後にした。
 「若、これからどちらへ行かれます。」
 「山田の宮から、訶志比の宮に行ってみよう。筑紫の国の繁栄をこの目で見たいのじゃ。それから、船で出雲の国まで出てみよう。」
 イハレビコ達は、山田の宮を目指して、玄海灘に沿って旅を進めた。
 「タシト、筑紫の国を見ていると我が国と比較してしまう。これからの旅は、見るもの聞くものがめあたらしく、今後の私の力になるだろう。」
 「我が国を筑紫の国以上にしないと、またこれから訪ねる国は、筑紫の国以上かもしれませんな。」
 「とりあえず、筑紫の国をよく見て、民のくらしから政を学び、民の風習から神々の祀り事を学ぼうではないか。」
 玄海灘から吹き寄せる浜風が心地よく、田園には稲穂が全面に広がっていた。今年も豊作になるだろう。イハレビコ達は、遠賀川付近まで来て、川を渡るのに船を用意しなければならなかった。そこで、船頭を探し、その船頭の集落で宿を取ることにした。
 船頭ヨカトは高貴な客人のため、集落の長老を呼んで来た。
 「遠賀のヒカレミと申します。」
 「日向の国のイハレビコでございます。この度は、ごめんぞうをかけるが、よろしくお願いします。」
 「ヨカトに聞いたのですが、山田の宮まで行かれるようですね。筑紫の国の古い都で、今では訶志比の宮で政を行っています。」
 筑紫の国は、イザナキとイザナミの神話に出てくる国で、九州では文化的に歴史の古い国であった。イハレビコの曾祖父(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ)が高天の原から日向の高千穂に降りたという話は、イハレビコの時代以降に付け加えられた神話で、アマテラス神話の流れからいくと筑紫の国に降りたかもしれない。また、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギよりも早く、高天の原から降り立ったニギハヤヒという神が居られて、物部氏の祖先神となっている。だから、高天の原から降り立った神は、天皇家の祖先神(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ)だけではなかった。神話はその地方によって、多少違っていたとしても不思議ではない。神話は歴史ではなく、その地方の言い伝えであり、その地方に都合のよいように作り変えられているのである。そして、イハレビコの子孫が日本を統一することによって、日本神話として確立し、天武天皇の時に古事記や日本書記に編集された。
 アマテラス神話は太陽信仰で、稲作技術とともに日本にもたらされた。イザナキとイザナミの子として、日本国土を作り、アマテラスやスサノヲをその子とした。すなわち、イザナキとイザナミは、日本人が日本国土に誕生したところにまでさかのぼる。西洋諸国にもこれとよく似た話があり、聖書ではエホバの神がアダムとエバ(イブ)によって、人類の始まりとしている。
 イザナキとイザナミの神話は、メソポタミア文明の発祥地の中東からシルクロードを通って伝わってきた話である。
 アマテラス神話は、東南アジアから伝わってきた話であり、スサノヲとオオクニヌシの神話は、中国から朝鮮を経て伝わってきた話である。
 高天の原から高千穂に降り立った神話は、イハレビコが初代天皇とするための話である。このように分析すると、日本神話はメソポタミア文明、インダス文明、黄河文明の影響を受けていると考えられ、天武天皇の時代に確立した。
 早朝、ヒカレミが山田の宮までおともしてくれるというので、ヨカトの船に乗り、遠賀川を渡って、川に沿って上流の方へ向かうと、山手の方に擁壁を廻らし、人の出入りの多い場所に出た。
 「イハレビコ様、これから私の知り合いの祈祷師ガリサミを紹介します。」
 「それは、ありがたい。マラヒト、そちといっしょに筑紫のことを聞こうぞ。」
 町並みを見ながら行くと、ガリサミの住居にたどり着いた。
 「ヒカレミ様、今日はそちの集落の稲穂の豊作を祈願しに来られたか。」
 「いや、筑紫の国のことを知りたいと言われる御仁を連れてまいった。」
 「日向の国のイハレビコでございます。」
 「筑紫の国と言われても何も知らんぞ。」
 「いや、これは失礼申した。実は、我らの祖先神アマテラスについてですが、諸国を回っているうちに、各地でアマテラスの神の話を聞くものですから。筑紫の国では、アマテラスの神がどのように祭られているかが知りたいのです。」
 「そうですか。アマテラスの神のことでしたらお話しましょう。」
 ガリサミは、アマテラスがスサノヲの執行に怒られて、天の岩屋の戸を閉められ、高天の原が暗くなった話などについて、坦々と話し出した。イハレビコやマラヒトが知らない話がいっぱいあった。中には、高天の原から筑紫の国にアマテラスの神の死体の一部が降り立ったと言う話もあり、日向の国の高千穂に降り立ったと言う類似している話もあった。
 「ガリサミ様、いろいろお聞かせ頂き、ありがとうございました。さて、高天の原は神代のことですが、実際のところどの地方にあるのでしょうか。」
 「そうだな、高天の原は東の彼方にあると聞いておる。ただ、アマテラスの神を祭られているところは、私も行ったことがないが、伊勢の国で祭られていると聞いておる。」
 伊勢神宮や出雲大社は、紀元一世紀にはすでに存在していた。本書では、天皇家が伊勢神宮を建立したのではなくて、イハレビコの時代にはすでに存在していたことにする。また、各地の風土記によると、集落の守り神としての祠が建てられていたようで、伊勢神宮や出雲大社もその祠のひとつであった。
 「あ、そうだ、私が話したことを漢文にしたためたものがある。イハレビコ様に差し上げよう。」
 筑紫の国では、大陸との交流が盛んで漢の国からも渡来人が渡ってきていた。その時に文字として、漢文も伝来した。イハレビコ達は漢文を読めないし、書くことも出来なかった。そこで、マラヒトをガリサミに預けることにした。
 「ガリサミ様、私の手下のマラヒトに漢文を教え願えないですか。いずれ、お礼をいたしますので、よろしくお願いします。」
 「分かりました。私が知っている限りのことはすべてお教えしましょう。」
 イハレビコ達はマラヒトをおいて、ガリサミとヒカレミに別れのあいさつをした。そして、山田の宮を見て回って、宿をとった。
 翌日、山田の宮を出て、稲穂が垂れ下がり、収穫が今か今かと言わんばかりの田園地帯を西へ進みました。田園で働く人は笑顔を絶やさず、楽しげに農作業をしていた。
 「筑紫の国って、よき国だな。」とイハレビコは独り言を言った。
 「若、日向の国も今頃は農作業に励んでいますよ。」
 「タシト、稲作でもたらされた裕福さで、心まで明るくなるということなのだ。」
 この時代には、国を運営するための財源として、租税(年貢)の取立てという制度が確立されていなかった。国の形成としては、集落の長が集落を束ね、集落同士の戦いに勝ち残った者が国の長になっていた。もちろん、勝ち残った者にはそれだけの広大な農地があったのは事実である。日向の国もそれに近い国の形成であった。また、戦いがある度に集落の出費が増えていた。だから、日向の民は稲作で得た裕福さはあったが、戦いに費やす労力の負担が大きくて、心の明るさには乏しかった。
 筑紫の国では、大陸の交流から得る利益と戦いに費やす負担が少ないため、集落ごとの負担が少なかった。また、筑紫の国の財政として、大陸の影響もあって、民には年ごとにわずかな年貢の取立てをしていたようであった。
 イハレビコ達は、田園風景を見ながら訶志比の宮をめざしていた時、目のまえに海が広がって来た。
 「この海の向こうに、韓の国、その向こうに漢の国があるのだな。」
 「若、海の彼方では、どのような生活をしているのでしょうか。」
 「行ってみたいのう。」


にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

第1部 草薙の剣  第4章 筑紫にて(2)
 
 訶志比の宮を訪れる目的のひとつには、大陸のことを知ることも含まれていた。
 「若、あちらの入り江に大きな船が停泊しています。」
 「大きいのう。行ってみるか。」
 イハレビコ達がその入り江に到着した時は、夕陽が西の海に沈む頃であった。この入り江が筑紫の水門(みなと)であり、娜の津(現在の博多港)である。
 「タシト、ここで三日程滞在しよう。宿を探してまいれ。」
 ちょうどその時、イハレビコ達の前を今までに見たこともない衣服を着た渡来人が通り過ぎた。
 タシトは手下に命じて、後を就けさせた。すると、高殿式の倉庫らしい建物を備えた住居に入っていった。手下はタシトに報告した時、タシトはその住居を宿舎にするため、訪ねていった。
 「こちらは、日向の国のイハレビコの者ですが、ご主人にお目にかかりたい。」
 主が玄関まで出てきた。
 「これまた、遥々日向の国からようこそ。大君(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ)には、何かとお世話になっているヤジラベでございます。イハレビコ様と言いますと大君のご子息でございますね。」
 「若君は、アマテラスの神にお会いするため、伊勢の国まで行く途中に筑紫の国に立ち寄りました。実を言いますと、ここらで宿舎をさがしております。」
 「そんなことでしたら、たいしたことは出来ませんが、どうぞ私の居間でお泊りください。」
 ヤジラベは、娜の津で大陸から来た渡来人と物々交換をしている商人で、大陸の品物を北は北陸地方、東は近畿地方、南は九州の諸国に持って行き、その地の産物をもって帰り、渡来人と交換することによって利益を得ていた。だから、日向の大君とも懇意にしていた訳である。
 「若、ヤジラベ様が宿を用意してくれました。」
 「そうか、ヤジラベか。父から一度聞いたことがある。」
 そうして、ヤジラベの住居に長期間居候することになる。
 ヤジラベも、ワタツミと関係があり、子孫は安曇氏と名乗り、海運で勢力を伸ばした一族となり、ワタツミを海の神様として、祀られた。
 「イハレビコ様、ご立派に成られましたな。大君から、若君のことはよく聞かされました。どうぞ、ごゆっくりとされてください。」
 「ありがとうございます。諸国のことや、大陸のことや渡来人のことなどをいろいろとお教えください。」
 「若君、入り江に大きな船が停泊しているでしょう。韓の国の馬韓(のちの百済)から来た船です。先ほども商談に来ていたところです。船の積荷を見てほしいとの事でした。」
 「同行させていただきたいのですが。」
 「船の中を見学されるだけでしたら、べつにかまわないですよ。」
 翌日、ヤジラベに連れられて馬韓の船に乗り込んだ。船の中には、馬韓から運んできた品々が積まれていた。積荷には、金銀製の首飾りや勾玉等の装飾品、衣料品、青銅で作られた鏡、鉄製品、剣もあった。これらを日本で荷降ろして、日本の特産物を積み、朝鮮に運んでいた。
 「ヤジラベ様、このような品々をどのように集めて来るのですか。」
 「韓の国の南端に、我らの仲間がいまして、筑紫の国から運搬した銀鉱石や蚕等を馬韓の製品と物々交換しているのです。」
 鉄砲が種子島に上陸した頃、世界地図には日本のことをジャパンと記されているが、その当時、日本に渡ってきたポルトガル人が見たのは、金や銀がある黄金の国であったからジャパンと名づけられている。
 日本は、火山の国で地球のマグマから噴出してくる副産物として、金や銀、鉄などが溶岩に含まれていた。だから、佐渡金山とか、石見銀山、生野銀山等が各地にあった。また、蚕も各地で取れ、絹の糸になったため、羊から取れる羊毛や綿花から出来る綿と違って、貴賓があり、高級感が味わえる衣料に仕上がったため、海外で重宝がられた。
 馬韓と日本との関係は古く、縄文時代に日本から朝鮮に渡り、住み着き、垂仁天皇の時代に、朝鮮の弁韓に任那の国をつくった。その時、百済が力を貸してくれた。それ以来、百済とは友好関係にある。また、百済から渡来人として日本に住み着いた者もいた。
 「イハレビコ様、この船に興味をお持ちのようですね。」
 「船もそうだが、積荷にも興味がある。また、韓の国にも興味がある。」
 イハレビコ達は、この娜の津で今まで経験したことのないことを見たり、聞いたりすることになる。そして、イハレビコが倭の国と戦って、日本を統一しようとした時に、大きな力となっていく。
 「そうだ。イハレビコ様に馬韓の渡来人キムバイコウを紹介しましょう。」
 キムバイコウは馬韓の朝廷から日本に派遣され、筑紫の国と馬韓の国のパイプ役を任務としていた。また、ヤジラベが馬韓から物資を調達するために韓の国へ渡った時に、馬韓の高官として対応してくれたのがキムバイコウである。
 「キムバイコウは、訶志比の宮にいます。明日にでも訪ねて行きましょう。」
 「ありがとうございます。我らも訶志比の宮に行く途中でした。」
 イハレビコはキムバイコウに会って、馬韓のことや馬韓と漢との関係や高句麗、辰韓(のちの新羅)の現状を聞きたかった。
 娜の津を出発して、海沿いに行くと、擁壁で囲まれ、入り口には朱色に塗られた門が見えてきた。門の出入りを見ていると物資を抱えている人、農作業をしている人、武装をした人、渡来人も見かけた。
 「タシト、筑紫の国の繁栄を見ているようだな。」
 「若、日向の国にはこのような賑やかさはないですね。」
 ヤジラベに連れられて、キムバイコウの住居までやって来た。
 「ヤジラベ様、祖国からの積荷は無事届きましたかな。」
 「なにせ、あの海(玄海灘)を渡ってくるのですから。何とか、無事着きましたよ。」
 「今日は、日向の国の若君をお連れしました。」
 「筑紫(九州)でも、武装集団と言われている日向の国ですか。」
 九州には、筑紫、豊、肥、日向、熊曾の国があり、軍事力では、熊曾が優れていたが、日向も同等の軍事力をもっていたので、文化的な筑紫、豊、肥の国は熊曾の侵略を防ぐことができた。
 「馬韓の祖国としましても、日向の国に関心を示していたところです。」
 「日向の国のイハレビコでございます。我が国の大君も、馬韓との関係を模索されています。」
 「馬韓で一番困っているのが、辰韓や高句麗の侵略です。日向の国の軍事力には興味があります。」
 朝鮮半島の状況は、高句麗では北から漢、東南から辰韓の侵略に苦慮し、西南の馬韓とは同盟を結んだり、侵略したりを繰り返している。辰韓では高句麗との戦いのために頻繁に漢と密会を続け、いずれは漢の力を借りて、高句麗を討ち、馬韓を滅ぼして、朝鮮半島を統一しようと目論んでいる。それで、馬韓や弁韓まで侵略を続けている。馬韓としては、高句麗や辰韓に侵略されて、東アジアのもう一つの大国、日本を頼りにしなければならなかった。
 キムバイコウは、このような内容を永遠と話した。
 「いろいろな話をお聞かせ頂き、よく理解できました。一度、日向の大君に合わしましょう。我らはこれから、伊勢の国までアマテラスの神に剣を奉納しに行きます。」
 イハレビコ達は、キムバイコウと別れ、ヤジラベに連れられて訶志比の宮を探索した。
 「イハレビコ様、これから伊勢の国まで剣を奉納に行かれるのですか。」
 「アマテラスの神に拝顔するため、伊勢の国まで行く旅なのですが、豊の国のお爺様ワタツミから、アマテラスの神に剣を奉納するように言われました。」
 「その剣を用意されていますか。」
 「それがまだ用意できていません。出雲の国に鉄や鋼を作る職人がいると聞いています。これから、出雲の国へ行こうと思います。」
 「実は、出雲の国で手に入れた意われのある剣があります。」
 「アマテラスの神の弟でスサノヲの神が出雲でヲロチと戦った時に使われた剣だと言い伝えの草薙の剣があります。」
 「なで、そなたのところにその剣があるのですか。」
 「出雲に私の知り合いサツミワケが、この剣を由緒正しい方に出現れたら渡してほしいと。」
 「その剣を私に託すのか。」
 「そうです。その代わりにサツミワケに会って頂きたいのです。」
 「出雲の国には、剣や矢尻の整備を進めるため、製鉄の技術を学びに行く予定です。」
 「それでは、私どもが出雲まで船を用意しましょう。そして、サツミワケに会っていただきます。」
 イハレビコ達は、ヤジラベの案内で出雲の国に船で行くことになった。


にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

第1部 草薙の剣  第5章 出雲にて(1)
 
 イハレビコ達はサツミワケに会うために、ヤジラベが用意してくれた船に乗って、出雲の国をめざして娜の津を出発した。
 「ヤジラベ様、サツミワケ様は出雲のどこに居られますか。」
 「出雲の石 (いわくま)の曾の宮に居られます。」
 出雲の石 (いわくま)の曾の宮(斐伊川の上流付近)までの道のりは、神門(かんもん)の水海(みずうみ)(出雲大社付近の海岸で現在の稲佐の浜付近)から出雲大社を経て、肥の河(斐伊川)沿いに上流へ行った所にあった。なお、斐伊川の下流は江戸時代に、今の宍道湖に流れるようになったが、イハレビコの時代には神門の水海に流れ出ていた。肥の河と言うと、日本神話でスサノヲがヲロチと戦い、草薙の剣を得たところである。
 イハレビコ達の船が玄海灘を通り過ぎた頃から、波は穏やかになり、一面に海が広がってきた。海岸線を見ると、山々の木々が微かに色づいてきたように見えた。イハレビコがその景色を眺めていた時、ヤジラベが突然言い出した。
 「イハレビコ様には、航海の途中で石見の銀山によって頂きます。」
 「銀鉱山に寄るのか。」
 「イハレビコ様が見学されました船で馬韓に銀鉱石を運ぶために、銀鉱山に寄らなければなりません。」
 「石見の銀山は、出雲の国の財源になっているのか。」
 「違います。石見で銀鉱石が取れるのは、誰も知りません。我らの仲間で採取しているだけです。」
 「その銀鉱石を馬韓に持っていって銀製品にしているのか。」
 イハレビコの時代の日本では、金銀の製品や装飾品などを作る技術を持っていなかった。そこで、馬韓の職人などに頼らなければならず、馬韓に銀鉱石を運ばねばならなかった。
イハレビコの時代の日本では、出雲の国だけが鉄製品や青銅製品の製造技術を持っていたが、金銀の装飾品などの金銀製造技術は持っていなかった。
 出雲の国が何で、鉄製品や青銅製品を作る技術を持っていたのだろうか。しかも、稲作の収穫も、その当時トップクラスであった。地理的な観点から視ると、熊曾や日向の国は東南アジアから、筑紫や豊の国は朝鮮半島から、稲作文化が入って来たかと。しかし、出雲の国は如何だろう。やはり、中国大陸から、稲作文化が入ってきたのではないか。その稲作文化と共に製造技術や神話等の文化も一緒に入って来たのかも知れない。
 出雲の国の神話は、オオクニヌシが中心になって語られ、オオクニヌシの名前が出雲の地域によって、内容によって、五つの別名の神(オオクニヌシ、オホナムヂ、アシハラノシコヲ、ヤチホコ、ウツシクニタマ)として登場してくる。また、この五つの神の神殿には、勾玉、鏡、剣、矢、楯が各神殿にひとつずつ祀られ、すべて鉄や青銅製品である。
 出雲の国に関する日本神話では、スサノヲが登場し、オオクニヌシはスサノヲの子孫として扱われている。たとえば、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦った神話では、出雲の国の肥の河の氾濫をヲロチに例えてあるのだが、イザナキとイザナミの子オホヤマツミの子アシナヅチの八人の娘達がヲロチの生贄なり、最後の娘クシナダヒメを助けるため、スサノヲはヲロチと戦い、退治して、スサノヲとクシナダヒメが一緒になって子を儲ける。その子孫がオオクニヌシとなるという神話がある。
 大和朝廷と出雲の国との関係を示した日本神話には、アマテラスの玉飾りをスサノヲが噛み砕いて出てきた子供達には、イハレビコの祖先神アサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミや出雲の国の出雲臣一族の祖先神アメノホヒがいて、兄弟として扱われている。
 このように、イハレビコの子孫が大和朝廷を設立し、日本を統一するまでには、日本神話をみても、大和朝廷と出雲の国との経緯があったし、出雲の国の五つの神の神殿に祀られている五品と、天皇家の象徴としての三種の神器(勾玉、鏡、草薙の剣)との関係も興味深い。大和朝廷が出雲の国を制圧した後、色々な経緯があって、出雲神話を日本神話に取り入れたり、天皇の三種の神器にしたりしたのだろう。また、古事記の神話では、出雲の神話の後、あの高千穂の神話があり、神話の最後にイハレビコが東国に出陣して、倭の国に到達し、初代天皇に就く神話の流れがある。
 それにしても、出雲の国は大和朝廷と対立するだけの経済力や軍事力、政治力があり、文化的にも確立した国であった。
 夕陽が西の海に沈もうとしている時、イハレビコ達の船は陸地の方へ近づいて、海岸の入り江に向かっていた。この入り江は、現在の島根県の温泉津(ゆのつ)付近であった。
 「イハレビコ様、この港付近に温泉があります。その温泉で一泊しましょう。」
 「銀鉱山はここから、近いのか。」
 「明日、陸路で銀鉱山まで案内します。」
 「この前、馬韓の船を見学した時、積荷の中に金銀製の勾玉や首飾りをみつけたのだが、あのような高価な品物を欲しがる方がこの世に居られるのですか。」
 「倭の国に、女王様が居られまして。」
 倭の国は、大和三山とその周辺にあり、女王を中心にした母系家族形態の国家を形成し、文化的にも経済的にもその当時では群を抜いていた。また、崇神天皇の時代まで、大和朝廷の宿敵となる国であった。
 卑弥呼(邪馬台国の女王)が倭の国の女王に就いていたと本書では仮定しているが、実際には、邪馬台国と女王(卑弥呼)は、魏の歴史書(魏史倭人伝)に出てくるだけで、邪馬台国が倭の国であったかというと定かでない。三世紀の頃、魏の歴史書(魏史倭人伝)では、魏の国王が邪馬台国の女王(卑弥呼)に親魏倭王の称号を与え、金印を送って、卑弥呼を倭の国王と認めた記述があるだけである。また、古事記によると神武天皇からの天皇家の年代を計算すると紀元前にまでさかのぼるから、イハレビコと卑弥呼が同年代であることはありえない。本書では、イハレビコの時代を一世紀と仮定している。
 「倭の国か。」
 朝晩が冷え込む中秋の頃、温泉の湯煙があちこちに見られた所で、イハレビコ達は宿をとった。
 温泉の集落を早朝出発し、東の小高い山に向かって歩き出した。
 「イハレビコ様、あの山を越えると仙山と言う山があります。その山で銀鉱石が取れます。」
 矢滝城山の頂上へ来て見ると西から北にかけて日本海の海岸線が広がり、東から南にかけて山陰山脈の山々が薄らと色づいて見えた。
それから、降路坂を下り、仙山の頂上に着いた頃には、太陽が頭上に来ていた。
 「イハレビコ様、もうすぐ着きます。山の中腹にある集落に我ら仲間がいます。」
 「ヤジラベ様、お迎えに来ました。」
 「コラベ、銀鉱石の発掘は如何じゃ。」
 「順調にいっています。」
 「娜の津に停泊中の船が、もう時期入り江に着くで。入り江に運ばないと。」
 「分かりました。」
 「イハレビコ様、ここが銀鉱山です。中に入ってみましょう。ぴかぴか光っているでしょう。これが銀鉱石です。」
 イハレビコが手にした銀色の石は、ずっしりと重たかった。日本は火山帯が沢山あり、地球のマグマから噴出した溶岩の中に、金鉱石や銀鉱石が含まれていた。
 「ヤジラベ、各地を回っているあなたなら、このような鉱山が他にもあることを知っているだろう。」
 「確かに、諸国に鉱山がございます。なぜそんなことを聞かれるのですか。」
 「いや、ふと思っただけです。このような鉱山を手に入れたなら、諸国を統一して国家としての財源になるだろうと。」
 「仰せのとおりです。もし、イハレビコ様がそのお積りなら、お仕えいたします。」
 イハレビコ達が石見の銀山を出て、温泉の集落に帰って来た頃には、夕陽が沈もうとしていた。
 「イハレビコ様、明日はいよいよ出雲の国へまいります。」
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

第1部 草薙の剣  第5章 出雲にて(2)
 
 イハレビコ達は、早朝、温泉の集落を出て、入り江から船に乗り、神門の水海に着いたのは夕方であった。イハレビコ達は、船から降りて、浜辺に立った時、東の方角に今までに見たこともない背の高い祠が目に入ってきた。
 「神門の水海は、肥の河の下流です。しかし、肥の河の氾濫が度々あり、出雲の人は何時も困っています。」
 「スサノヲの神が、ヲロチを退治した肥の河ですね。」
 「そうです。そこで、あの背の高い祠を建て、オオクニヌシの神を祀っています。」
 イハレビコ当事の出雲大社は、現在の大社と違って、権威の象徴として、また山陰地方の木材の豊富さと、建築技術の向上によって、高々な建造物に仕上げていた。イハレビコ達は、この祠の付近で宿をとることにした。
 「イハレビコ様、石 の曾の宮までは神門の水海から、肥の河に沿って行くと山の麓にあります。」
 「ヤジラベ様、肥の河の上流で鉄鉱石が取れると聞いている。また、その鉄鉱石をもとに鋼や鉄を作り、剣などの鉄製品を作っているらしい。」
 「そうです。我等もその製鉄集団から鉄製品を譲り受けたりしています。イハレビコ様に差し上げた草薙の剣もたぶん、肥の河の上流の集落で、その製鉄集団が作った剣だと思います。」
 日本神話では、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦って、ヲロチの尻尾を切り取った時、その尻尾が剣(草薙の剣)に変わって、ヲロチをその剣でやっつけたとある。これは、天つ神(高天の原におあすアマテラスを中心にした神々)が諸国の乱れを正すため、スサノヲの神を出雲の国に遣わして、出雲の国つ神(オオクニヌシを代表とする地上の神々)を治めた話である。
 実際には、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国に出兵して、出雲の部族と戦った。そして、出雲の国で困っている肥の河の氾濫を土木の技術で改善し、日本神話では、肥の河の氾濫をヲロチと例えた。その時、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国の祠に奉納されていた剣(草薙の剣)を持ち帰ったかも知れない。
 本書では、イハレビコがサツミワケから預かって、伊勢神宮に奉納したことにする。また、天皇家の三種の神器のひとつ草薙の剣が、出雲の国と何等かの関係がある処に、いにしえの時代の不可思議がある。
 「イハレビコ様、明日はいよいよサツミワケに会って頂きます。」
 出雲大社付近では、稲穂を刈り終えて、田園地帯は野焼きが始まっていた。イハレビコ達はその風景を見ながら、肥の河沿いに石 の曾の宮まで歩き出した。
 現在、石 の曾の宮はどの辺りあったか、不明であるが、本書では島根県雲南市木次町日登辺りにあったと仮定する。また、イハレビコの時代に出雲の国の石 の曾の宮が、政の中心であったかと言うと、そうではなかったようです。
 出雲の国の政と祭祀は松江であり、松江には、出雲大社が建立される前にアシハラノシコヲ(オオクニヌシの別名)を祀る熊野大社(島根県松江市八雲町付近)があって、その神社を現在の出雲大社に移したと言われています。松江が、かなり古くから出雲の国の中心地であったことには違いない。熊野大社と言うと、南紀に熊野大社があり、イハレビコが倭の国を目出した時に、南紀の熊野大社に立ち寄った形跡があることから、松江の熊野大社と南紀の熊野大社とは、同じ国つ神を祀っているので、何等かの関係があったかも知れない。
 肥の河は、川の水位が高く、如何にも水量が多く、豪雨が続けば川が氾濫しても不思議ではない状態であった。また、川の水路もうねりが多く、水位が上がれば、川の周辺は水浸しになりそうな地形であった。イハレビコ達は、そんな風景を見ながら肥の河を行くと、川沿いから見て、山沿いの纏まった集落が見えてきた。その集落の中心に高殿式の建物が見えた。
 「イハレビコ様、あそこが石の 曾の宮でございます。」
 ヤジラベは、石 の曾の宮には久しぶりに来たようで、サツミワケの住居に着くまで時間を要した。
 「出雲の国まで、よく来られた。サツミワケでございます。」
 「ヤジラベ様から、草薙の剣を頂戴いたしました日向のイハレビコでございます。」
 「草薙の剣をヤジラベ様に預けた訳をお話します。」
 サツミワケによると、出雲の国では昔から、国つ神としてオオクニヌシの神を祭祀してきたが、サツミワケの祖父の話では、吉備の国の友人が倭の国の祈祷師を連れてきた。その時に、その祈祷師は天つ神(アマテラスの神を中心とした神々)の話をした。
 その話の中で、諸国では国つ神(オオクニヌシの神や祖先の神)を祭祀しているが、国は乱れているではないか。天つ神を祀れば、国は治まり、安堵した平和な生活がおくれる。そこで、その話を聞いていた出雲の国の人が、天つ神がそれほどよい神であるのなら、出雲の肥の河の氾濫を抑えてくれるように祈ってくれないかと問いただしたそうだ。すると、その祈祷師はアマテラスの神の弟でスサノヲの神がおられて、その神はめっぽう暴れん坊で、その神にお願いしてみようということになった。それから、その祈祷師が、日夜に渡って、音曲や能舞や薪を炊いて祈られた。そして、祈祷師の言うには、神門の水海の間口を広げよ。それから、その付近に祠を建て、スサノヲの神を祀られよ。
 この話をサツミワケの祖父が、その当時の出雲の大君に話したところ、大君が祈祷している祠(松江の熊野大社)を神門の水海の付近に出雲大社として移された。そして、スサノヲの神の子として、オオクニヌシの神を祀られた。建て前は天つ神を截てて、実際は国つ神を祀ったのである。
 サツミワケの祖父は、出雲大社にスサノヲの神を実際に祀らなかったことを気にして、スサノヲの神に剣を奉納するため、現在の奥出雲市八川付近の製鉄集団の集落に命じて、草薙の剣を作らせた。しかし、この草薙の剣をどのように奉納するかということになって、サツミワケの時代まで保管してきた。それで、ヤジラベ様にお願いして、スサノヲの神にいわれがある天つ神(アマテラスの神)に奉納して頂けるお方を探してもらったという内容の話を、サツミワケはイハレビコに永遠と語った。
 「よく分かりました。必ず、草薙の剣を奉納します。」
 この剣は、天皇家の三種の神器になっていくのだが、剣として数奇な運命をたどることになる。
 「サツミワケ様、我らは日向の国で生活しているのですが、鉄製品を使ったり、作ったりしたことがありません。どうか、製鉄集団の集落をお教え願えないでしょうか。」
 「それはできないですな。」
 「何故ですか。理由を教えてください。」
 「出雲の国は、古くから製鉄技術を持ち、この地の鉄鉱石があることを探り出し、古来のたたら製鉄手法で、剣などを作りだしてきたのに、それを簡単に教えることは出来ません。」
 「それを何とかお教え願えないでしょうか。それでは、製造している作業をお見せできないものでしょうか。」
 「イハレビコ様の願いとあれば、仕方がありません。釜戸での製鉄作業をお見せしましょう。」
 イハレビコは、大和朝廷を樹立するために倭の国を目指して北上した時に、天つ神の子孫とし、諸国の国つ神を制圧するという建て前で、日本を統一しようとしたのである。天つ神を権威の象徴としたことになる。これとよく似た話が近代にもあり、明治政府(薩長連合)が江戸幕府を倒幕するのに、天皇の権威を利用して、錦の旗を立てて戦ったのとよく似ている。
 また、イハレビコが北上した時に、出雲の国の製鉄集団から、矢尻や剣などを調達するのに安芸の国や吉備の国で時間を費やすし、出雲や安芸や吉備の三国と戦ったのではないだろうか。
 サツミワケは手下に命じて、イハレビコ達の夕食と寝床を用意させた。そして、翌朝イハレビコ達は、ヤジラベと別れを告げ、サツミワケの案内でたたら製鉄の作業を見に製鉄集団の集落に出発した。
 「イハレビコ様、製鉄のすべての工程をお見せすることは出来ませんが、釜戸で鉄を燻っている様子をお見せしましょう。」
 釜戸には、鉄鉱石と薪を入れ、風を吹きこんで鉄が溶けるまで作業を続けていた。
 「サツミワケ様、ありがとうございました。大変参考になりました。」
 「さて、イハレビコ様、これからどちらの方へ行かれます。」
 「この山を越えて、安芸の国まで出ようと思います。」
 「安芸の国に行かれるのですか。」
 「安芸の国には、海戦が上手な部族がいると聞いています。これからの参考になるかと思っています。」
 「安芸の国の多祁理の宮に、私の知り合いコトミナヒコが居ます。訪ねて行かれよ。」
 「これはありがたい。必ず、訪ねます。」
 「これからの旅で、何か困られた時は草薙の剣をお使いください。きっと、頼りになるでしょう。」
 「サツミワケ様、必ずアマテラスの神にこの草薙の剣を奉納いたします。」


にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

第1部 草薙の剣  第6章 安芸にて(1)
 
 山と山との谷間を安芸の国に向かって、旅を続けていると、山々の紅葉が太陽の光を浴びて、晩秋の季節を感じる頃になっていた。イハレビコ達が日向の国を出てから、すでに七ヶ月を過ぎようとしていた。
 「タシト、よくここまで来たな。」
 「若、色々な人に会い、教えられ、この目で見たりしてきましたね。」
 「筑紫の国で、韓の国からの船荷を見た時は驚いた。この世にこのような品物があるのかと。金銀を装飾した勾玉や首飾り、青銅で作られた鏡、そして剣や鎧や盾である。」
 「出雲の国の弱点は、やはり肥の河ですかね。」
 「そうだのう。我々が出雲の国と戦う時、この山々を越えないと行けない。出雲の国が他国と戦う時、この山々が防御になっているかも知れない。」
 「冬になれば、この山々は雪に埋もれるのでしょう。山から攻めるより、海から攻める方法もありますが。」
 「確かに海から攻めることも出来るが、製鉄集団を我が物にすることを目的としているので、出雲の国を攻めるのはこの山を越えなければならない。」
 イハレビコは、大和朝廷を樹立させるために日向の国を出て、倭の国まで進軍することになるのだが、安芸の国と吉備の国でかなりの歳月を費やすことになる。これは、イハレビコの軍を強固にするため、軍需品を充実するため、製鉄技術を身につけるため、出雲の国を攻めていたのではないだろうか。
 イハレビコ達は、比婆の山の麓の山道を歩き、西城川の上流に沿って歩いてきたので、くたくたになり、宿舎を探していた。山を下って行くと、山の麓に集落が見えた。
 「タシト、あそこの集落で休息を取ろうか。一度探ってまいれ。」
 タシトの手下がその集落を訪ねて見ると、そこに老婆が現れて来て。
 「おぬしら、何か我が集落に用事があるのか。」
 「私達は、日向の国の者じゃが、アマテラスの神に奉納するため、伊勢の国まで行く途中である。」
 「そうか、怪しいやからかと思ったのよ。今、我が集落には老人と子供以外の男衆が居ないでのう。」
 「男衆はどうしたのですか。」
 「安芸の国では、伊予の国と戦闘状態で男衆が借り出されているのさ。」
 「男衆の代わりに女子達が、集落を守るのさ。だから、素性の知れないおぬしらに声を掛けたのよ。」
 「我らは、ただ、この集落で宿舎を探しているのですが。」
 「分かった。長老に相談してみるから、少し待つとれ。」
 「長老に話したら、長老がそなた達を泊めてくれると。」
 「ありがたい。若に報告して、案内してもらいます。」
 イハレビコ達は老婆の案内で、庄原の集落の長老の住居に着いた。
 「日向の国のイハレビコでございます。」
 「エマラビでございます。アマテラスの神に、奉納するための長旅でお疲れでしょう。ごゆるりとお泊り下され。」
 「エマラビ様、安芸の国のことを少し、教えて頂きたいのですが。」
 「何なりと聞いて下さい。」
 エマラビは、イハレビコが倭の国に向かって進軍した時にイハレビコに従うことになる。
 「安芸の国は、北は出雲の国、東は吉備の国、南は伊予の国と強国に囲まれていますね。今も、伊予の国と戦っていますよね。」
 「確かにその通りです。若い男衆が兵役に借り出されています。」
 「安芸の国の戦は、海戦が得意と聞いていますが。」
 「実を言いますと、伊予の国と海域争いで海戦が多いのです。」
 「海の戦いでしたら、この山沿いから兵を集めないでもよいのではないですか。」
 「我らは、稲作以外に山で弓矢を使って、狩りもしているので。」
 「そうか、船に弓矢のできる兵を乗せ、矢を飛ばして戦うのか。」
 「そうですね。そして、敵の船の兵士が少なくなったところで、敵陣の船に乗り込み、船を沈めてしまいます。」
 「なるほど。伊予の国との海域争いはよく分かったのですが、出雲や吉備の国とはどんな感じですか。」
 「出雲の国との戦いは、山越えの戦いになり、冬になると雪のため兵を引きます。」
 「吉備の国は、如何ですか。」
 「吉備の兵は、強いですよ。安芸の国と吉備の国とは、出雲の国と戦うために、同盟関係にあります。」
 「そうですか。吉備の兵は強いですか。」
 「出雲の国との戦いになると吉備の国に応援してもらいます。その代わりに、吉備の国が伊予の国や粟の国や讃岐の国と戦う時には、応援に行きます。」
 「よく分かりました。多祁理の宮のコトミナヒコ様を訪ねようと思いますが。」
 「多祁理の宮ですか。ここから、西の山道を行き、西南の山道を降り、海辺が見えてきたところにあります。安芸の国の政の中心地です。」
 多祁理の宮は、広島県安芸郡府中町のどこかとしか分かっていない。イハレビコが倭の国を目指した時、七年もこの宮で住まいしている。そして、イハレビコの軍が出雲の国と戦うのに庄原の集落に集結した。
 いにしえの時代には、北の山を越えたら、出雲の国であった庄原の集落は、安芸の国が出雲の国の侵略に遭って、出雲の国の領地になったりしていた。また、庄原の集落は、安芸の国が出雲の国と戦う時の拠点になっていた。しかし、冬が間近になると、出雲の国は雪で包まれるようになって、庄原の集落への侵略が出来なくなるから、庄原の集落では伊予の国の戦いに出兵していたのである。
 「イハレビコ様、我らの部族は戦闘に明け暮れています。何とか平穏な暮らしがしとうございます。」
 「出雲の国からの侵略だな。」
 「そうです。それだけではありません。伊予の国との海戦が始まったら、その戦闘にも参加せねばなりません。」
 「我が国、日向の国も同じように国が乱れている。この現実を打開して、民が平穏な生活できるような国を作らなければならない。そのためにも、アマテラス様にお会いしなければならない。」
 イハレビコは諸国を旅する間に、天つ神から与えられたイハレビコ本人の役割を徐々に理解するようになってきた。
 イハレビコ達は、早朝、多祁理の宮に向けて庄原の集落を後にし、西城川にそって林道を歩き、盆地に出てきた。三次の盆地には江の川の上流と合流しており、川幅が広くなっていた。また、稲作の収穫を終えた畑が一面に広がり、その中央に集落があった。イハレビコ達は、三次の集落で休息を取るため立ち寄ってみると、藁で包まれた一体を担いでいる行列に出くわした。イハレビコは、行列を見送りに来た初老の人に声を掛けた。
 「どうかされたのですか。」
 「川の水の恵みとお日様の恵みで、今年も豊作であったで。この集落の仕来りで収穫を終えた時に、川の神様に生け贄を捧げるのです。何れ、私の番が回ってきます。」
 いにしえの時代には、各地のよろずの神様に奉納するのに、生け贄が盛んに行われていた。その当時の日本では、アマテラスの神を代表とする天つ神、オオクニヌシを代表とする国つ神、各地のよろずの神(海の神、山の神、川の神等)がおられたことになる。
 イハレビコ達は、三次の集落を後にし、江の川の上流の林道を歩き、幾日か野宿を続けた。そして、目の前に平野部が開け、その向こうに海が見えてきた。いよいよ、多祁理の宮に近づいてきた。
 「若、あそこが多祁理の宮ですね。」
 「タシト、コトミナヒコ様にお会いして、海戦に必要な戦闘具や海戦の戦略をお聞きしようと思っている。また、海戦の現場も見ときたいものよ。」
 「若、ここでお待ちください。手下にコトミナヒコ様の居場所を探させますので。」
 タシトの命により、手下達は多祁理の宮へ向かった。多祁理の宮に着くと、伊予の国と戦闘下にあるので、宮は慌しかった。
 「コトミナヒコ様を探せとの命令だが、このような状態では、なかなか難しいな。」
 「そうだな。宮殿付近まで行って、聞くしかあるまい。」
 手下達は、宮殿付近で様子を窺っていたら、宮殿から涼しそうな顔をした人物が出てきたので聞いてみた。
 「私らは、日向の国のイハレビコ様の手下の者ですが、安芸の国のコトミナヒコ様を探していますが、ご存知ないですか。」
 「コトミナヒコ、この私じゃ。」
 「これは失礼しました。」
 「この私に何の用じゃ。」
 「出雲の国のサツミワケ様の紹介で、あなた様を探していたところです。」
 「サツミワケ様か。出雲の国の戦で和睦交渉にあたった時にお世話になった御仁か。」
 「私達の若君が、サツミワケ様に安芸の国の海戦術を知りたいと相談したら、コトミナヒコ様を紹介されました。」
 「なるほど、海戦術か。私は和睦交渉が得意だが。今も、大君に伊予の国との和睦を進言してきたところじゃ。」
 「私達の若君が、どうしてもコトミナヒコ様にお会いしたいと。」
 「おぬしら、日向の国と言われたな。この安芸の国に海戦術を学ぶために、ここまで来られたのか。」
 「私達は、アマテラスの神に剣を奉納するために旅をしています。」
 「アマテラスの神か。よく分かった。旅の疲れもあるだろうから、私の居間でごゆっくりと過ごされよ。」
 「ありがとうございます。若を連れてまいります。」
 この当時でも、アマテラスの神に奉納すると言えば、だれも嫌う者はいなかった。いにしえの時代の宗教心は、現在の仏教やキリスト教の信者の宗教心とは違って、その当時の庶民の宗教は、太陽信仰や山岳信仰に近いものであった。キリスト教はイエスキリストの教えであり、仏教は仏陀の教えであるように、悟りを開いた個人崇拝的色合いが深いのに対して、日本古来の宗教は自然崇拝の色合いが濃いのではないだろうか。現在でも、正月に初詣として神社にお参りに行ったり、初節供や七五三や夏祭りに神社にお参りに行ったりしている。また、あまり公開されていないが、天皇家の新嘗祭等の儀式が年間に数十回あり、日本古来の祭典を想い浮かべる。だから、いにしえの時代の人々は、アマテラスの神に奉納すると言うと誰も反対しないのです。
 「若君、コトミナヒコ様を探してまいりました。これから、ご案内します。」
 「コトミナヒコ様は、どのようなお方だった。」
 「宮殿から出てこられて、安芸の大君に伊予の国との和睦を進言されたお方でした。」
 イハレビコは、海戦術をコトミナヒコから聞き出そうと思ったのに、和睦を進言するような御仁とは、少し頭を傾げた。
 多祁理の宮は、天神川が中央に流れ、船で川を下れば、広島湾に出るようになっていた。宮中には伊予の国と戦闘中とあって、兵士が慌しく往来し、天神川の船着場では戦闘の物資が運ばれていた。多祁理の宮の宮殿は、イハレビコが各地を廻って見てきた宮殿よりは、割りと質素な建物であった。


にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ