いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:古代伝記小説「いにしえララバイ」 > 草薙の剣

はじめに
 
 日本人の起源とは、日本列島が大陸と陸続きになっていた時代に狩猟民族が北から南からやって来て住み着いた。その後、氷河時代が来て、氷河時代が終わると、北は北海、南は玄海灘と海になり、日本海ができ、日本列島が誕生する。その当時、大陸から渡ってきた狩猟民族が日本列島に取り残された。この民族が日本の原住民である。
 それから、南方から島をつたって、朝鮮半島(韓の国)から海を渡って、気候に恵まれた日本列島にやって来た農耕民族が住み着く。農耕民族は、九州に上陸し、日光に恵まれた土地を求めて日本列島を北上した。そして、狩猟民族である原住民との争いになり、狩猟民族は北へ北へと追いやられた。こうして、日本は農耕民族によって築かれていく。
 日本語の起源は、原住民である狩猟民族の話しことばから来ている。日本語は、世界でも珍しい特徴があり、というのは、英語や中国語等の文章は、主語、述語、内容という順番であるのに対して、日本語の文章は、主語、内容、述語となっている。世界の日本語といっしょの文章の順番を持つのは、北欧のフィンランド、東欧のハンガリとモンゴル地方の一部族等に限られている。では、日本語は、これらの狩猟民族の流れから来ているとなるとさだかでない。
 最古の日本には、文字らしきものが発見されていない。文字としては、漢文と万葉仮名が登場する時代を待たねばならない。そこで、万葉仮名で書かれた万葉集に注目したい。万葉集や古今和歌集は、五七五七七調で書かれてあり、詩集は単調ではあるが、風景を読んでもそこには恋心が隠されていたりする。日本独特の風流、情緒等が偲ばれる。もちろん、日本語の文字は中国からもたらされ、日本文字へと変化されたのではあるが、日本語は、これらの詩集の五七五七七調のような話し言葉だったのではないだろうか。
 日本の歴史書としては、古事記と日本書記が上げられる。どちらも、天武天皇と持統天皇時代にそれまでの帝記や言い伝えをもとに編集された歴史書である。前半は神代の話、後半は歴代天皇の話となっている。神代の話は、イザナキ、イザナミからアマテラス、スサノヲの話から始まっていて、いかにも日本人が太陽の恵みを大切していたかが窺える。しかも、このアマテラス神話は、農耕民族にとって一番大切な太陽の恵みを讃えている話であり、この神話にちかい話が東南アジアにもあるからである。歴代天皇の話は、神武天皇からとなっている。神武天皇から崇神天皇までの十代天皇は架空の人物ではないかという説もあるが、本書では実在していたことにする。
 いにしえの時代(神武天皇の時代)のことを研究しようとしても、日本語の文字としての歴史はなく、古事記や日本書記に頼るしかない。また、中国の歴史書で日本のことを書かれているのは、倭(やまと)と呼ばれた時代の卑弥呼と邪馬台国のことぐらいである。そこで、空想と推理で卑弥呼や神武天皇の生きた時代を再現してみたいと思います。


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第1部 草薙の剣  第1章 若君誕生
 
 古事記の中巻冒頭に記せられているトヨミケヌ・カムヤマトイハレビコ(神武天皇)はアマテラスの子孫として記載されているが、現実的には、九州の日向地方の集落の氏族の子として生まれた。また、カムヤマトイワレヒコとも言われ、カムは神の意味、ヤマトは倭のこと、イワレヒコはこれらにいわれがある男子という名前で普段はトヨミケヌとよばれていた。本書では、イハレビコとし、その当時の生活については、空想と推理で語るしか方法がない。
 日向の国は、西には霧島山系、北には九重連峰と阿蘇山を望め、南は桜島や開聞岳があり、現在の宮崎県と鹿児島県あたりに位置し、気候は温暖で、土壌もよく、稲作をするのに適していた。また、海産物も北と西方面以外は海に囲まれていたので豊富であった。しかし、日向の国は、九州を代表する霧島火山帯があり、台風も通り道と言っていいほどよく押し寄せてきた。イハレビコが育った時代には、気候学や地質学などあるわけがない。巫女が祈祷するのみである。
 イハレビコの部族は稲作を生活の糧とし、稲穂を海辺の集落と物々交換で海鮮物を手に入れ、霧島山系の集落と物々交換で畜産物を手に入れていたと思われ、彼の部族は割りと裕福な生活と文化を持っていた。また、稲作での財源をもとに、近隣の部族同士の争いにも優れた能力を備えていた。この優れた能力の一つに軍事力があるが、霧島山系を勢力範囲に持つヨホトネ(大伴氏の祖)を長とする久米部族があり、大君の護衛兵として存在していた。もう一つの優れた能力として政治力があるが、大君を中心にした合議制で部族の行事を決めていたようだ。たとえば、近隣の部族同士の争いに対する対応だけでなく、春には巫女たちが今年の豊作を祈願し、太陽の神(アマテラス)にお供え物や遊戯を行い、秋には収穫の感謝を込めた行事を行っていた。また、火山の爆発、地震、台風の災害では、巫女が真剣に祈祷し、部族の安泰を祈っていたようだ。その祭事・祈祷を担当していたのは、長老のイグラ(斎部氏の祖)とコナキネ(中臣氏の祖で後の藤原氏)であった。このようにイハレビコの誕生前までには、現在の宮崎県内を勢力範囲にし、イハレビコの祖父(アマツヒコヒコホホデミ・ヤマサチビコ)の時代には、古事記の神代の話になるが、高千穂(霧島山系の高千穂峰の山麓という説がある。現在の宮崎県都城市付近と仮定したい。)に宮殿を建て、日向の国の霧島山系を含めた北部を治める部族にまで成長していた。しかし、南部には隼人の部族があり、たえず争いを繰り返していた。
 秋を向かえ、稲作の収穫を終えたというのに高千穂の宮では人の出入りがあり、あわただしくなった。大君(イハレビコの父、アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ)に会うため、最初に現れたのは、アギシである。
 「大君、夜も深けたころ、いく度と収穫した米蔵に盗難が入り困っているのでございます。」
 「アギシ、どの部族の仕業じゃ。」
 「それで、こっそりと見張り番を立てたところ、その者が言うには、尺の形をした先に輝く星の方向から五、六人でやって来たというのです。」
 「北の方角じゃ。豊の国の部族か。この秋の大嵐で、米の収穫が芳しくなかったと聞いておる。」
 「アギシ、わしの手下を送るので心配せずにまっとれ。きっと捕らえて正体を暴いて見せるから。」
 アギシの集落は、高千穂の宮があったといわれるもう一つ説、宮崎県臼杵郡高千穂町付近で生活し、五ヶ瀬川下流にも勢力を伸ばしていた。
 大君の命により、長老のイグラ、久米部族の長ヨホトネが高千穂の宮にやってきた。
 「大君、何かあったのですか。」とヨホトネが口を開いた。
 「アギシを知っておろう。今年取れた米を盗みに来よったやつらがいるらしい。アギシの米蔵を警備してもらえないか。」
 「とんでもないやつらだ。捕らえて殺してしまいましょう。」
 「いやまて、捕らえたらここに連れてくるのだ。どうも豊の国の部族の者らしい。正体を暴くのが先だ。」その時、黙って聞いていたイグラが口を開いた。
 「大君、わたしがある者から聞きおよんだところ、豊の国では祭祀を司るウサツヒメとウサツヒコで祭政体制をとり、その下に部族の長が集まって国を治めているようです。」
 「ヨホトネ、若い衆を連れて、そやつらを捕らえてまいれ。」
 ヨホトネは、早速わが子タシトを頭に若い衆を十人ほど集めて事情を話し、弓矢と槍を持たせてアギシのところへやらせた。
 その当時の矢尻は、霧島山系の花崗岩で出来ていた。また、ヨホトネを頭とする久米集落は、もともと霧島山系の麓(宮崎県西諸県郡高原町付近)を領土とし、狩猟で生活をし、農耕具もこの花崗岩で生産していた。
 タシト達は、高千穂の宮を早朝出発して白髪岳と大森岳の谷間を通り、湯山峠で野宿をして、アギシの集落に着いたのは夕陽も落ちようとしていたころであった。
 「よくこられた。お疲れでしょう。」
 「とんでもございません。」
 「今宵は、粗食ではございますが、どうぞ召し上がって、ごゆっくりとお休みくださいませ。詳細は明日お話いたします。」
 アギシの集落の朝は、祖母山と諸塚山に囲まれた田園地帯に、五ヶ瀬川のせせらぎの音と鳥のさえずりが聞こえた。
 「タシト様、おめざめでしたか。米蔵を狙われ、稲穂を盗まれたことはご存じだと思います。どうも、豊の国の仕業ではないかということも。わたしの手下の申すには、稲穂の収穫前に大嵐と大雨が降り、隣の部族の水源となっている川(大野川)が氾濫して、稲穂が全滅状態になったようです。」
 「そうですか。わたしの若い衆を交代で米蔵の警備にあたりましょう。それと、アギシ様の手下でこの辺りの地理に詳しい者を紹介してくれませんか。」
 「わかりました。祖母山の頂上までご案内します。」
 祖母山は阿蘇山よりも高く、九重連山とも肩を並べるぐらい高い山です。タシトが案内人と頂上に登り詰めてみると、北側には九重連山が、西側には阿蘇山がそびえ立ち、東北に豊の国が見え、その先には海が見え、その先には伊予の国が見えたのである。
 「正面下の川が氾濫したのです。」
 「あの集落のところに行くには、この山を越えないと行けないのか。」
 「一番手前の川に沿って、行く道もあります。」
 「その道だ。稲穂を運ぶのには、それしかない。」
 タシトが捕らえようとしている部族の集落は、大野川の三つの上流が交差する大分県竹田市付近である。そして、タシトは部下に命じて、谷に沿った道を監視させた。
 それから、三日たった夜、盗賊たちが現れた。
 「タシト様、盗賊を捕らえました。殺してしまいましょうか。」
 「待て、捕らえたまま、連れて帰って大君に差し出すのだ。その前に、盗賊の素性をはかすのだ。」
 三人の盗賊を捕らえて、タシトたちは高千穂の宮に帰って来た。
 「大君、三人の盗賊を捕らえました。」
 「ご苦労であった。」
 「タシト、三人の素性はわかったか。」
 「大君の仰せのとおりでした。」
 「やはり、豊の国の部族か。みんなを集めるので、捕らえたままにしておけ。」
 高千穂の宮には、大君をはじめ、長老のイグラ、祭祀を司るコナキネ、久米部族のヨホトネ、広渡川付近の部族のヤコメ、大淀川付近の部族のアラト、五十鈴川付近のカラヤ、アギシである。
 「アギシ、その後異常はないか。」
 「大君、敵の部族がなにやらざわめいています。」
 「兵を集めているのだな。」
 「ヨホトネ、こちらも兵を集めろ。」
 事情を知ったヤコメとアラトとカラヤも兵を集めるのに同意した。
 静かに考え込んでいたイグラが。
 「大君、捕らえた者をどうされます。」
 「イグラ様、ヨホトネのところで処分しましょうか。」
 「どうでしょうか。戦闘用意して、戦いをしながら、和平を探るというのは。」
 「どういうことだ。」
 「戦いを優位にし、捕らえた者と引き換えに豊の国のヒメを人質にするというやり方です。」
 先代の大君アマツヒコヒコホホデミ・ヤマサチビコの時に、トヨタマビメ(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの母)を人質にしたように。
 「分かった。イグラそうしよう。」
 晩秋を向えたころ、ヨホトネ以下五十数名の軍が高千穂の宮に集結し、イグラが戦勝の祈祷を唱え、出発した。アギシの集落に陣取った。
 ヨホトネは三十数人の兵を率いて、豊の国のアギシの隣の集落を攻撃し、豊の国の兵が五十数人であったが、呆気ない勝利を得た。
それから、数日後、ヨホトネのもとに豊の国から使者がきた。
 「この度の戦はもとを正せば、わが方の稲穂の略奪からはじまっているもので、その件についてはお詫び申し上げます。あなた方が捕らえた者の代わりに豊の国の部族のヒメを人質にお渡ししますので、この度の件はお許しくださいとのことでした。」
 イグラの思うようにことが運んだのである。
このヒメこそが、イハレビコの母タマヨリヒメである。その後、アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ大君とタマヨリヒメが婚儀を開き、イツセ、イナヒ、ミケヌ、イハレビコの四子を儲けることになる。


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第1部 草薙の剣  第2章 熊曾との争い
 
 大君とタマヨリヒメとの間に四人の子が生まれた。その末っ子のイハレビコは、誕生後直ぐに久米部族のヨホトネに預けられることになる。養育係とし、タシトがあたった。霧島山系を走り回る、精錬活発で好奇心の旺盛な性格を備えた少年として成長していく。
 「若君はどこじゃ。タシト探してまいれ。国の一大事じゃ。」
 「若、ここに(高千穂峰の頂上)居られましたか。」
 「タシトか。」
 「若はここが好きですからな。」
 「そうよ、あの山は桜島、海を隔てて種子島、そして屋久島じゃ。」
 「そうです。そして、あの桜島から西の地方には熊曾(隼人)の集落があります。」
 「我らの先祖も、あの島を渡り、この地に着いたのかな。」
 「わたしの父が若を呼んでいます。急いでお帰りください。」
 イハレビコがヨホトネのもとへ帰った時には、部族の主要メンバーが揃っていた。
 「若、お待ちしていました。」
 「大君の話では、ヤコメの集落に熊曾の兵が再三やって来て、ヤコメに熊曾に従うようにと脅しているらしい。そこで、熊曾と戦うべく出陣せよとのことだ。さらに、若君もこの戦に初陣せよとの仰せじゃ。」
 「熊曾との戦か、われも戦おうぞ。」
 ヨホトネとイハレビコらが高千穂の宮に着いた時には、各部族から兵が八十数名集まって来ていた。
 「この度の戦は、日向の国の命運をかけての闘いだ。心してかかってほしい。総大将にはわが子イハレビコ、副大将にはヨホトネとする。今宵は宮で鋭気を休め、明日早朝に出発とする。」
 その夜は大君をはじめ、家族が宮に揃った。
 「イハレビコ、久しく会わぬうちに立派になったの。」
 「大君におきましても、ご壮健でおられまして心よりお喜び申し上げます。」
 「イナヒは幼少のころ亡くなり、ミケヌも病弱でな。そろそろ、宮に呼び戻して、イッセとともにわしの手助けをして欲しいのじゃ。」
 「目に余るお言葉。感謝いたします。」
 イハレビコも、十歳を超えた年になっていた。冬を越し、まだ寒さが残る早朝、イハレビコは軍の総大将として凛々しく、宮を出発していった。
 昼過ぎにはヤコメの集落に着き、ヤコメが出迎えた。
 「よくぞ来て頂いた。お疲れでしょう。この度の出陣、心より感謝しています。」
 「われらが来た以上、熊曾など目ではないわ。」
 「詳しくは、奥でお話しましょう。」
 ヤコメは、ヨホトネ、イハレビコ、タシトらを庵に案内した。
 「大君にもお話しましたが、南の福島川の水源争いで、わが集落を兵力で脅し、わが田園を奪おうとしています。」
 「ヤコメよく分かった。若君に何か策があればお聞かせください。」
 「ヤコメ、南に小高い鹿久山があったな。その山に見張りを置いてほしいのだ。」
 「若、見張りを置いて熊曾の出方を探るのでな。」
 「ヨホトネ、鹿久山の麓の大平川付近に砦を築くのじゃ。そして、敵が攻めて来たら鹿久山から烽火を上げ、その烽火を合図に弓矢を持って、川を渡って来る敵めがけて矢を放すのじゃ。」
 「さすがわ、若君じゃ。タシトそのように手はずしろ。」
 ヤコメは部族の気転のきく若手の二人に焚き木を持たせて、見張りに当たらせた。タシトも大平川の川辺に陣を置き、砦を築き、川の沿岸に丸太で柵を張った。イハレビコとヨホトネは砦が完成してから陣に加わった。
 イハレビコは完成した砦に満足そうにしていた。その様子を見たヨホトネが声を掛けた。
 「若、これで熊曾と戦えますね。」
 「ヨホトネ、でかした。}
 「それにしても、若がこんな要所をご存知とは。」
 「われはこの日向の国の隅々まで知っておるぞ。タシトを連れて馬で走り廻ったから。わが国以外の国にも見てみたいものだ。」
 そして、イハレビコは熊曾の様子を探るようにヨホトネに命じた。
 ヨホトネは熊曾に詳しいカサリを呼び、熊曾に探りを入れた。三日程して、カサリが帰って来た。
 「若君、熊曾は軍を整えて今にもこちらに向かおうとしています。」
 鹿久山から烽火が上がった。弓矢を持った兵が配置に着き、大平川を渡って来る熊曾の兵めがけて矢を放した。イハレビコの指示通りに事が運び、熊曾との戦いに勝利した。その後、砦で熊曾の出方をうかがっていた時、鹿久山の見張りから伝令がきた。白旗を持って、こちらに向かって来るとのことである。
砦にやって来たので、ヨホトネが出迎えて、庵に案内した。
 「この度の敗戦を認め、今後は福島川の水源を荒らすことはいたしません。」
 「その証しとなるものがあるか。」
 「ここにいます、オヨリ君を人質に差し出しますのでよろしくお願いいたします。」
 熊曾の戦に勝利したイハレビコらの軍は、ヤコベの集落に戻り、人質をヤコメに預けて高千穂の宮に帰還した。
 「大君、今回の戦で若君の作戦にヨホトネ感服いたしました。」
 「そうか、ヨホトネもご苦労であった。」
 「イハレビコ、今回の戦の褒美に何か所望があれば言ってみなさい。」
 「母の国、豊の国をみとうございます。」
 「よかろう、タシト同行せよ。」


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第1部 草薙の剣  第3章 旅立ち(1) 
 
 イハレビコは大君の許しを得て、母上に挨拶を済ませ、タシトとイグラの孫のマラヒトと手下を連れて高千穂の宮を出発した。
 「タシトがわれに、よく話してくれた祖母山の頂上からの風景を見たいものよ。アジキを尋ねてみよう。」
 「若、タシトもかれこれ十五年ぶりでございます。」
 イハレビコは好奇心が旺盛で、何事にも見識を持って、新しい事にも素早く対応できる能力を兼ね備えていた。以前、長老のイグラから豊の国の事を聞いたことがあった。
 イグラによると豊の国を治めているのは、ウサツヒコとウサツヒメの兄妹で、兄が政を妹が祭祀を司る祭政体制をとっているとのこと。その兄妹の集落は大分県宇佐市の宇佐神社付近にあり、その集落には足一騰宮(あしひとつあがりのみやと読み、高い足一本で築かれた宮殿で高床式の建物のこと)があり、この宮殿を見るのも今回の目的であった。
「タシト、豊の国のことで何か知っていることがあるか。」
「豊の国では、矢尻や刃物に金属製のものを使っているとのこと、見たいものです。」
 山道を歩いてきたイハレビコ達は、タンポポやスミレの花が一面に広がったアジキの集落に着いた。
 「若君、ようこそお越し下された。庵にお食事を用意しておりますので、旅の疲れを癒してください。」
 「二、三日お世話になるのでよろしく頼みます。」
 早朝、イハレビコとタシトは祖母山に登り、頂上に着いたのは、昼前であった。
 「あの海の向こうが伊予の国だな。」
 「そうです。伊予の国に渡るには船が必要です。」
 「わしは、我らの神アマテラス様がおられるところまで、行きたいのじゃ。」
 「アマテラスの神は、海より向こうの、伊予の国よりずっと向こうの、お日様が日の出される東の方角におられます。」
 「そうか、まだずっと向こうか。これから、タシトといっしょに行ってみたいの。この旅は永くなりそうだな。」
 「若、これから行かれるおつもりですね。ご一緒しましょう。」
 アジキの集落に帰って来たのは、田植えを終えて、皆が集落にもどって来たころであった。
 「アジキ、これから母上の国、豊の国へ行ってみようと思うのだが、誰か母上の集落まで案内してくれまいか。」
 「ワタツミの部族ですね。わたしの配下のトキワケにその部族から、嫁にした者がいます。案内させましょう。」
 ワタツミの集落は、豊の国の南部地方にあり、大分県臼杵市深田町の臼杵石仏で有名ところにあった。アジキの集落は宮崎県臼杵郡高千穂町であるから、昔から関係があったのだろう。また、神話では、ワタツミは海の原の神とされているが、本書ではワタツミが豊の国の南部を治め、豊の国でも由緒ある家柄で、ウサツヒコの重臣であったことにする。
 トキワケに案内されて、アジキの集落を早朝に出発して、アジキの集落の米蔵を荒らした隣の集落を通り、大野川の中流にある集落付近(現在の大分県豊後大野市)で野宿して、海辺まで田園が広がったワタツミの集落に着いたのは、翌日の昼過ぎであった。
 「イハレビコ君、よくぞ来られた。タマヨリヒメは元気にされておるか。」
 「母君は、ワタツミ様のことや集落の話をよくされています。」
 「そうか、イハレビコ君もご立派になられてこれからが楽しみじゃ。爺のところでゆっくりされよ。」
 いにしえの時代では、母系家族が主流をしめ、豊の国はその典型であった。現在でも、法律上や社会風習では父系家族を採っているが、実際には母系家族が残っている。しかし、母系家族はもともと農耕民族によくみられる家族形態であるが、イハレビコの日向の国は父系家族を採っていた。何故だろう、イハレビコの部族も稲作を財源としているのに。たぶん、イハレビコの祖先の部族は、本来高千穂に永住していた原住民で狩猟生活をしていたが、稲作が東南アジアから島伝いに渡ってきて、九州に稲作文化が上陸してから、その文化を吸収したのではないかと。アマテラス信仰についても、もともと東南アジアにあった農耕民族の信仰であったが、この信仰・文化をも吸収してしまった。そして、日本を代表する家系としてしまったのでは。現在の日本をみても、外来の文化や技術を取り入れるのが得意な国民の特性は、このいにしえの時代からの伝統ではないだろうか。余談にそれたのでもとに戻ります。
 「若、お目だめでしたか。」
 「タシト、雨続きだったが、今日は晴天である。浜辺に出てみようか。」
 朝日が浜辺を照らし、十隻ほどの丸太船が漁をしていた。松林の木陰で腰を下ろして、その風景を眺めていた時、腰をかがめた老人が通られたので声を掛けた。
 「ご老人、我々といっしょにここへ腰を掛けませんか。わたしは、日向の国のイハレビコと申します。」
 「ありがとうございます。これは、めずらしい方にお会いできた。わたしは、臼杵の集落で祈祷を司っている、ラサトモでございます。どうですかな、この辺の景色は。」
 「お日様がまぶしくございます。豊の国の繁栄をみているようです。」
 「イハレビコ様は、あのお日様の所まで行こうとされているのではないですか。」
 「よくお分りですね。」
 「あなた様の顔の相に描いてあります。その他にも、あなた様は将来、各地の国をまとめて統一されるでしょう。」
 「各国に分かれている現状を知りたいし、我が祖神アマテラス様にお会いしたいのだ。この海の向こうの東方にアマテラスの神が居られると聞く、ご存知ないですか。」
 「ここからだと、海路で行くと伊予の国と周防の国の間を通り、難波の海まで行き、南下して紀の国を通り、海岸沿いに行くと伊勢の国に行きます。その国にアマテラスの神が居られます。陸路で行くと筑紫の国から船で周防の国に渡り、安芸の国、吉備の国を通って、難波の崎から河内の国を通って、倭の国から伊勢の国に行くことができます。」
 「遠いのう。伊勢の国にアマテラスの神が居られるのか。タシト、諸国を見て回ってから伊勢の国に行こう。」
 海辺から田植え作業を見ながら、ワタツミの集落に帰って着たのは昼過ぎであった。
 「お爺様、海辺でラサトモ様にお会いして、アマテラスの神のことをお聞きしました。」
 「アマテラスの神は、我らにとっても稲作を営むものとして崇拝する神である。ラサトモもそのことには詳しいはずじゃ。」
 「これから、タシトを連れて各地を回りながら、伊勢の国まで行こうと思います。」
 「イハレビコ君、伊勢の国へ行かれてアマテラスの神に拝謁されるのであれば、剣を奉納なされ。」
 「剣ですか。お爺様、剣を手に入れるにはどうすればよいでしょうか。」
 「筑紫の国にナキカツヒコと言う御仁が居る。馬韓の国や漢の国にも精通していて、剣も詳しい御仁じゃ。訪ねて行かれよ。」
 「豊の国の足一騰宮を通っていけばよいのですね。」
 「そうじゃ、近日中に足一騰宮のウサツヒコ様にお目どおりして、所要を済ませるので、ついてまいるか。」
 「私も、足一騰宮に行ってみとうございました。ぜひ、お伴させてください。」


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第1部 草薙の剣  第3章 旅立ち(2)
 
 ワタツミの豊の国では、筑紫の国と交流があり、大陸からの物資や文化が筑紫の国から入ってきていた。また、筑紫の国では、壱岐の島から対馬に渡り、韓の国(朝鮮半島)に上陸し、集落を形成していた。その後、韓の国の南端に任那の国を建国したぐらいである。イハレビコの時代には、この韓の国の集落を基点に馬韓(のちの百済)、辰韓(のちの新羅)、高句麗の三国との交流が盛んであった。その当時の日本の力は、韓の国をしのぐ政治力、軍事力、財力を備えていたようである。後世に神功皇后が朝鮮を攻めた話は有名である。しかし、邪馬台国の卑弥呼の時代の魏の歴史書(魏史倭人伝)では、日本のことを倭の国としているが、イハレビコの時代には、日本の国は統一国家でなく、各地に分裂した国の形態であった。
 剣については、その当時大陸からの輸入か、山陰地方で取れる鉄鉱石で作られたものが有名であり、なかなか手に入らない品物であった。また、剣は天皇家の証、三種の神器(草薙の剣、鏡、勾玉)の一つでもある。神話では、スサノヲがヤマタノヲロチを退治した時のヲロチの尻尾から草薙の剣を取り出したという剣であり、ヤマトタケルが東の国(蝦夷)に遠征した時に伊勢斎宮にいる叔母のヤマトヒメを訪ね、伊勢神宮に奉納されていた草薙の剣を授かった剣である。草薙の剣は、垂仁天皇が伊勢神宮に奉納したという説があるが、いつごろから存在したのかというと定かでない。本書では草薙の剣は、イハレビコが皇祖神アマテラス大御神を祀る伊勢神宮に奉納したことにする。
 この他に剣についての神話として、アマテラスの孫で、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギと言うイハレビコの曾祖父が、最初に高天の原から地上の日向の高千穂に降りた時に出迎えたアメノオシヒとアマツクメの神で、大きな瘤付きの帯刀と鋭く磨いた矢と弓を持って現れる。この帯刀も剣である。なお、アメノオシヒはヨホトネやタシトの祖先神で、その家来としてアマツクメは久米部族の祖先神であり、これらの神の子孫が大伴氏の氏族として発展していく。
 初夏のある日、ワタツミはウサツヒコとの合議に参加するため、イハレビコとタシトをともにして、ワタツミの集落を出発した。
 小高い山間を通ると壮大な田園地帯が広がり、その地帯に流れる大野川と大分川が望めた。そこには数か所の集落があり、豊の国の豊かさを象徴する風景であった。これらの集落を通って、大野川と大分川を渡って、海岸沿いに行くと地面から温かな湯が沸きあがっている所に着いた。現在の別府温泉である。昔から日本の各地に温泉があり、日本人が現在でもお風呂好きであるのも納得がいく。イハレビコ達は、この温泉がある集落で宿をとることにした。翌朝、山間を抜けると、水の恵みに満ちた駅館川が流れ、その川に沿ってたんぽぽが咲き、川沿いを行くと、堀と擁壁で囲まれ、中央に聳え立つ足一騰宮が見え、一つの集落と言うよりは要塞という感じであった。
 ワタツミに案内されて場内に入ると、中央に広い道があり、その道の突き当たりに高々と聳え立つ宮殿があった。地上から階段があり、上がりきるとこの要塞全域が見渡され、宮殿に入ると広々とした居間が四部屋あった。ここに、ウサツヒコとウサツヒメが生活されておられた。ワタツミはウサツヒコと面会されるので、玄関先の居間で待機するとのことであった。イハレビコ達は、面会が終わるまで、宮殿を出て足一騰宮をぶらりと探索することにした。
 「タシト、宮殿の華やかさには感服したな。それにしても、この宮の賑やかさにも驚かされる。会う人会う人が活気に満ち、優雅で裕福そうである。」
 「若、わたしはこの宮が敵に攻められたとしても容易に攻め落とせないように造られているのに感心しました。堀にしろ、擁壁にしろ、戴したものですし、宮殿に上がると東西南北が見渡せます。」
 足一騰宮の場内では、豊の国の集落の特産物が持ち込まれ、物々交換している光景が見られた。米はもちろん野菜、魚介類、畜産類、陶器類、衣類、なかには他国からの珍しい品物も見受けられることもあった。畜産類では、狩猟による猪や鳥の肉もあったが、その当時は犬や鶏が家畜されていたようで鶏肉もあった。陶器では、すでに弥生時代の後期でもあるので、壺はもちろんのこと茶碗や湯のみもあった。衣類では、蚕が飼われている国もあり、蚕の糸の生地で作られた衣服があり、韓の国からの使者が足一騰宮に参上したさいの土産としてもたらされた衣服もあった。他国からの品物では、鉄で加工された剣や矢尻や青銅で加工された鏡等の品物もたまには見られた。
 「若、日も落ちてきたので、ワタツミ様の別宅に帰りましょうか。」
 イハレビコ達が別宅に着いた時には、ワタツミも帰ってきていて、玄関まで向かいに出て来ていた。
 「お爺様、宮殿といい、場内での人の往来といい、感服いたしました。」
 「まあ、入られよ。宮殿で二日程所用を済ませるので、ここでゆっくりされよ。また、それから、筑紫の国のナキカツヒコのところに連れてやるのでのう。」
 「ありがとうございます。」
 ナキカツヒコの集落は、筑紫の国でも関門海峡の沿岸(福岡県北九州市小倉北区付近)にあり、海を隔てた周防の国が見えるところにあった。また、海を渡って、周防の国や安芸の国の物資と文化が入ってき、筑紫の岡田の宮(遠賀川の下流付近)と筑紫の訶志比の宮(大宰府の北側で福岡市東区香椎付近)からは、対馬、壱岐の島を渡って来た馬韓や辰韓の渡来人が物資や文化をもたらしていた。
なお、古事記によると岡田の宮は、イハレビコが大和朝廷を樹立するために東の倭の国に行くまでに、筑紫の国で一年余り滞在した宮であるが、訶志比の宮は、古事記では仲哀天皇が九州に制圧軍を送った時に、筑紫の国に宮を住居にしたとあるが、本書ではイハレビコの時代にすでにあったと仮定する。
 「お爺様、宮殿での所要がお済になられましたか。」
 「秋の稲作の収穫祈願の打ち合わせをしておった。今年は、雨も降り、日照りも続きそうなので、嵐が来なければ豊作になるだろう。そのための新嘗祭での祈祷についての話し合いだ。漸く終わったわい。」
 「それは、ご苦労さまでした。」
 「明日の早朝に、駅館川下流から船に乗って、ナキカツヒコの集落まで行こう。」
 イハレビコとタシトは、船旅が初めてで、その当時の船としては、丸太を削ったもので、大きさは現在の五人乗りのカヌーのようなものであった。ワタツミは駅館川下流の漁師の集落に行き、船を用意した。
 「イハレビコ君、東に見えるのが伊予の国で、北に見えるのが周防の国です。これから、豊の国の沿岸を航海すると、筑紫の国の沿岸になり、海流の流れが激しい海峡を通ります。そして、ナキカツヒコの集落に着くのう。」
 「お爺様、我が国日向では航海術が苦手で、いざ海での戦闘になると苦戦しています。山河での戦闘には自信がありますが。」
 「豊の国では、戦闘をすることは重要ではあるが、国を治めるには戦闘をしなくても知的戦略で国を栄える方法があると考えている。戦闘だけが国力を高めるものではない。」
 「航海術を学ぶには、どの国へ行けばよいですか。」
 「筑紫の国は、大陸まで行くのに航海術を備え、イキの島、ツの島に渡り、韓の国の南端弁韓に集落を作って、高句麗や辰韓、馬韓を掌握している国だし。航海術としては筑紫の国がよいし。海での戦闘となると、安芸の国は伊予の国と海の領域を争って絶えず戦闘を繰り返している。安芸の国がよいかな。」
 イハレビコは、ワタツミに航海術のこと等を聞きながら、船旅を楽しんでいた。


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