いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:青春歴史小説「たつやの古代旅日記」 > 第2章

第2章 潜移暗化 第1節

 「先生、出雲の卒論ができました。ゼミで発表する前に見て頂こうと。」
 さとしはたつやの部屋を開けるなり、嬉しそうな顔をして挨拶もせずにいきなり、たつやに話しかけた。
 「さとしくん、できたのか。どれどれ見てみましょう。」
 「先生の意見をお聞かせ頂いて書き足したいと思います。」
 「題名は、『出雲での交わりと鉄器文化』か。なかなか面白そうだね。」
 たつやは、さとしの卒論をさっと目を通した。さとしは釘いるようにたつやが読んでいる姿を見ながら、たつやの一声を待っていた。
 「はじめを読んだ感じでは、出雲民族がどのようにヤマト王権と交わり、日本人として同化していく。うーん、出雲民族は朝鮮半島から渡って来たとさとしくんは考えているのですね。」
 「以前、ケイコさんと同席したときに、先生は縄文人が食料難で朝鮮半島に渡った人達もいると言われましたが、ここは定説通りにしました。」
 「この辺りが古代史の謎だし、面白いところ。さとしくん、朝鮮半島と日本の地図を開いてみなさい。」
大陸から見た日本列島 さとしは、地図と言われて先生が何を考えておられるのか、理解出来ずに本棚から地図を持ち出し、朝鮮半島と日本列島が載っているページ、正面に日本列島をたつやが見えるように開いた。
 「さとしくんの方から、日本列島を見てください。」
 「大陸側から、日本を見るのですね。先生、韓国の釜山から福岡までは近いですけれど、出雲もわりと近いですね。」
 「釜山は、昔、新羅の国だった。いや、三韓時代には弁韓。その辺りから船を出航すると日本の姿は、北九州と山陰と北陸の辺りが最初に見える。」
 「確かに、私の方から日本を見ますとそのように見えます。」
 「日本人は、普通、太平洋側を下にして、日本海側を上に。そして、韓国を上に見ますよね。物事は上から下へと流れてくるように勘違いしてしまう。」
 「つまりは、発想の転換なのですね。」
 「日本の文化の源は、大陸から来たのは確かですが、果たして人はどうだったのでしょうか。その辺りはまだ解明されていませんね。ただ、糸魚川の翡翠が朝鮮半島で発見されたという事実だけでは決め手にならないですからね。」
 「では、やはり、その当時の人は行ったり来たりしていたのですね。それが、縄文人なのか。それとも、中国の人達だったのかがわからない。」
 「日本から朝鮮半島に渡るから縄文人。朝鮮半島から日本に渡るから渡来人と決めつけることは危険です。」
 「三内丸山の人達は、縄文人ですよね。」
日本列島近海の海流 「さとしくん、もう一度そちらから地図を見てみてください。ロシアのウラジオストクからだと青森県は近いでしょ。それよりも、日本海に流れている対馬暖流は、北九州から山陰、北陸、東北に沿って北に流れていて、韓国の釜山辺りから出航すると対馬暖流に流されて、青森辺りまで行ってしまう可能性はありますね。また、北朝鮮の江原道元山市からも直接青森県まで行ける海流もあります。そして、その地で永住してしまい、その地にいた原住民と交わってしまいます。また、その原住民も更に昔に大陸から渡って来た人達かも。ですから、日本人の源が原住民である縄文人と考えるのも危険です。ただ、縄文時代に日本に住んでいた人達として縄文人と括るのは、学問上しかたがないことですけれどね。」


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第2章 潜移暗化 第2節

 たつやの対馬暖流の話を聞いていたさとしは、出雲民族が朝鮮半島から丸太舟に乗って出雲の国にたどり着いたことを確信した。しかし、今から5,500年前から4,000年前に栄えた三内丸山の地にも、朝鮮半島北部から海流に乗って、集団ではなく、年月をかけてその都度、東北の青森県の海岸にたどり着いた人達が、三内丸山で永住し、或いは、故郷を求めて、日本海の海岸沿いに南下した人もいたかも知れない。そのようなことにさとしは気が付いた。
 「先生、出雲のことを調べているうちに、古事記ではスサノオの命やオオクニヌシの命の逸話が出て来ます。スサノオの命は、高天原から根の国、出雲の国に。オオクニヌシの命は、因幡の白兎の説話でウサギがこの地にたどり着くのにワニを集めて、背中を足場にして渡って来て、約束を違えたウサギの皮を剥ぎ取り、痛々しくしているウサギを助ける。スサノオの命もオオクニヌシの命も渡来人ですよね。」
 「イザナミが神産みでヒノヤギハヤヲの神を産んだとき、大火傷をして黄泉の国に逃げ帰り、死んでしまう。この黄泉の国も出雲の国ですね。」
 「スサノオの命が母、イザナミの国に行きたいと言って、根の国に行きますから、黄泉の国も出雲ですね。そして、ヤマタノオロチを成敗する。このヤマタノオロチは、高志の国、現在の北陸地方の人達のことなのでしょ。」
 「日本書記のヤマタノオロチの前段に、スサノオの命は高天原から子のイソタケルと新羅の曾尸茂梨に降り立って、そこに居たくないので、埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の斐伊川上の鳥上の峰へ到ったとあります。ヤマタノオロチを斐伊川の氾濫と捉える方もおられますが、出雲国風土記に記載されている島根県の意宇郡母里郷の地方説話、越(高志)の八口の平定で、出雲と高志の勢力争いをヤマタノオロチ神話の原型や土台とする方も。ヤマタノオロチは、高志の人達かも知れませんね。」
 「北陸地方の高志の人達は、どのような方だったのでしょうか。ひょっとして、スサノオを代表とする出雲民族よりも前に、日本の東北地方に朝鮮半島から船でやって来て、南下して翡翠などを発見した人達。話が膨らむなぁ。」
出雲大社のヒスイ製勾玉 「出雲国風土記の意宇郡条の最初に、国引きの神話があって。そこには、出雲国風土記でしか出てこない神様、ヤツカミズオミツヌの命の頃には、出雲国の面積が細長い布のような小さな国であったようで、志羅紀、北門佐岐、北門農波、高志の余った土地を奪ってできた領土が現在の島根半島だったそうです。それから、高志を攻めて北陸地方まで出雲の勢力を伸ばした。」
 「それで、出雲に糸魚川で採れたヒスイ製勾玉が、出雲大社の宝物殿にあるのですね。古事記によると、国譲りの段でオオクニヌシの命で、天津神に従う代わりに大きな宮殿を建てる約束をタケミカヅチと約束したのでしょ。」
古代出雲大社の復元 「出雲国風土記では、カミムスビが楯縫郡の郡名の由来にもなっている所造天下大神の宮、出雲大社の造営を命じている。あの階段が何段もある高い神殿を。このカミムスビは、古事記では、イザナキとイザナミの前にこの高天原に現れた女神の造化三神で、オオクニヌシの命が兄神に殺されたときに蘇生させている神。出雲民族に関係があるのでしょうね。」
 たつやとさとしは、出雲の昔の話に熱を帯びてきた。

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第2章 潜移暗化 第3節

 古事記にしても出雲国風土記にしても歴史根拠は乏しいが、さとしの卒論には日本の神話のことも書かれており、古書もある程度の参考になっているようだった。
 「先生、ヤマト王権と出雲の関係は、古事記や出雲国風土記を読めばある程度わかるのですが、どうも鉄器と関係深い出雲民族は、どのように日本に来たかはわかったのですが、どこから来たかがまだわからないのですが。」
 「青銅器の銅鐸が、西日本で発見されていますが、出雲がそれらの地域よりもかなり多くなっていますね。出雲の人達は、たたらの鉄器を作る集団だと言われていますが、元々は青銅器を盛んに作っていた民族のように思います。」
 さとしは、たつやが言っている青銅器の話を聞きたくなった。
 「先生、出雲民族が青銅器文化を栄えたところから来たと仰いましたが、その当時、青銅器を生産していたところは、中国では多くあるのではないですか。」
 「青銅器をたくさん製造していた人達でこそ、青銅器の欠点をよく知っていた。鉄器も製造過程では、原料が違うだけで作れますし、鉄の方が頑丈だということも知っていたと思います。」
 「確か、現在でも中国の鉄鉱石の産出は世界一でしょう。ただ、品質はあまりよくないそうです。韓国でも鉄鉱石が採れますね。日本では殆ど採らなくなりましたが、長野県の柏原鉱山、熊本県の第一阿蘇鉱山、大分県の新木浦鉱山ではいまでも創業しています。他でも採れるそうですが採算が合わないそうです。中国の鉄鉱石は安いですからね。」
 「出雲や吉備のところで鉄鋼石が採れましたからね。出雲民族の人達が出雲を選んだ一つが産地に近かったからでしょう。そして、鉄鉱石を鉄にするのに森林木が必要でしたからね。」
鹿方鼎 「青銅器をたくさん製造していた人達。出雲の人達は、中国のどの辺りからきたのでしょう。」
 「中国で、紀元前17世紀ころ夏を倒した殷王朝の末柄だと言われています。でも、考古学的に証明されていないので。殷王朝が栄えていた河南省の安陽市にある殷墟の遺跡から当時使っていた青銅器が発見されています。」
 「安陽市の殷墟博物館で、史上最大、最重量の鼎、司母戊鼎を見たことがあります。」
九鼎 「中国の諺に『問鼎軽重』があって、鼎の軽重を問うということで鼎も重量によってその政権の存在を計った。だから、殷墟に最重量の鼎があるのでしょう。鼎の中に、三本足の九鼎があり、その鼎は夏王朝から殷王朝へ、そして、周王朝に渡り、政権の象徴とされた。」
 「先生は、出雲民族が殷や周に関係があるとお思いですか。」
 「はっきりと確言できないですが、周の武王となる姫発と周の時代になって斉の国を与えられた太公望とも言われる呂尚とが、紀元前11世紀に起きた牧野の戦いで殷の帝辛率いる軍を大敗に追い込んで殷王朝は滅びる。殷が滅んだ後に、帝辛の親戚の箕子が殷の敗北者とともに朝鮮半島に流れて来た。そして、その警護を兼ねて、太公望を山東省辺りの斉国の王に据える。」
 「その話と出雲民族と関係があるのですか。」
 「中国の戦国時代を終わらせた秦の始皇帝が、斉や燕の国を滅ぼしたときに、斉国、山東省や燕国、河北省の殷や周を先祖とする人達が朝鮮半島の釜山辺りから日本を目指したと思います。」
 「殷王朝が周王朝に滅ぼされたときに、殷の人達は河北省辺りに移住したのですか。」
 「南の江蘇省辺りにも。そして、周王朝の初代皇帝の武王の父、文王の兄、太伯と虞仲の配下になった人達もいる。春秋時代の呉の人達ですね。」
 「紀元前11世紀の頃から紀元前3世紀の頃まで、殷の人達は周王朝に従い、春秋・戦国時代の戦下をくぐり抜け、700年の間に丸太舟で日本にやってきたのですね。」


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第2章 潜移暗化 第4節

 たつやとさとしが出雲の話で一息終えたとき、ケイコがドアを開けた。
 「あけましておめでとうございます。」
 「ケイコさん、いいときに来たね。今、さとしくんと出雲の話をしていたところです。」
 「出雲。私、出雲大社に初詣をして帰って来たところです。」
 「へぇ、良縁を求めて、縁結びの神様にお参りしてきたのかい。」
 「いやだ。先生。先日、先生が教えてくださった吉備の米の話。一度調べようと思って、岡山に。そして、足を伸ばして出雲まで。」
 「何か、収穫がありましたか。」
 「これから、取材をまとめて先生に報告します。」
 ケイコが部屋に入ってきて賑やかになった。
 「出雲大社は、縁結びの神様としても有名ですけれど、ケイコさん、いい彼氏でもできたのかね。」
 「先生、いやぁ。そんな人いないですよ。」
 さとしは、ふと、出雲の神様が八十の神が集っていることに疑問をもった。
 「縁結びの神様。オオクニヌシの命は、私が知っているだけでも多くの姫と結ばれています。因幡の白兎のときに登場するヤカミヒメでしょ。オオクニヌシの正妻で、スサノオの命の娘のスセリビメでしょ。国譲りのときに出てくるタカムスビの娘のミホツヒメでしょ。その他にも、宗像三女神のタキリヒメも、高志の国のヌナカワヒメも。コトシロヌシの母のカムヤタテヒメも。オオクニヌシの命は、モテたんですね。それだけ、出雲には八十の神がたくさんいるということですか。」
 「神話は、文字のない時代に言い伝えによってできあがっていますから、主人公は統一され、時代ごとに付け加えられています。そして、天武天皇以降に編纂され、そこでも手が加えられていますからね。古代史を研究するものにとっては、厄介な代物であり、また、面白みもあります。八十の神が出雲に集結しているのも面白いですね。」
 「先生、私の考えでは、因幡の白兎でワニの背中を飛び台にして渡って来たウサギも中国からの渡来人で、オオクニヌシの命も。そして、オオクニヌシの命の兄弟、八十の神も中国からの渡来人ではないかと。」
 「その可能性はありますね。出雲には、一度に渡来人がやって来たのではなく、100年や200年のスパーンで、中国の違った地域から日本にやって来たのでしょうね。年代的に出雲を支配した実力者が他民族を征圧するたびに姫君を我が物にし、その実力者がすべてオオクニヌシの命として括られ、最終的にオオクニヌシの命という象徴的な神を崇める民族が出雲を支配したと思います。」
 「ヤマト王権が日本書紀や古事記で描いたスサノオの命の母方、イザナミも出雲の出身だと言われていますね。そして、スサノオの命は母方の国、出雲に行って同化したのかも知れませんね。」
 「オオクニヌシの命の国譲りの話以前、日本は一つの国ではなく、紀元前後には中国各地から渡来してきた人達が集落から小国家に。また、その頃の渡来人以前から日本に住んでいた人達も集落ごとに自治権を持っていて、戦い、侵略を繰り返し、娘の引き渡しのような人質同然の行為と共に国家として成長していった。出雲で縁結びの神と括っていますがその意味の中には、出雲政権が他民族を吸収していった歴史が隠されているかも知れませんね。」
 「先生、いろいろと出雲のヒントをお聞かせして頂いてありがとうございました。」
 「今日は、先生に出雲のお土産をお持ちしました。また、私の相談にものってくださいね。」
 「はい、ありがとう。ケイコさん、いつでも来なさい。」
 「ケイコさん、よいところに来たので。ちょっと、私に付き合ってもらいます。」
 「さとしさん、えぇ。」


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