いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:青春歴史小説「たつやの古代旅日記」 > 第3章

第3章 渾渾沌沌 第1節

邪馬台国とその周辺国 校庭に桜が咲き、木々にも新芽が出て青々としてきた頃、毎年のようにゼミに新しい顔ぶれが。たつやのゼミにも。最初にたつやの部屋に現れたのは、福岡県出身の青柳良祐でした。
 「先生、おはようございます。先生の古代史の講義がおもしろくて、先生のゼミを選びました。私、青柳良祐と言います。」
 「では、りょう君だね。地方から来たのかね。」
 「ぼくは、福岡の出身で。」
 「博多っ子ですか。奴国の人達の子孫ということかな。」
 「先生、もう、講義ですか。糸島ですよ。」
 「いいところだね。昔、伊都国があって、三雲南小路遺跡・平原遺跡であるところだね。」
 「わたしの町のお年寄りの方の話では、神武天皇の逸話がよく聞かれます。小さい時からそんな話を聞いて育ったもので。」
 「神武天皇の逸話?」
 「神武天皇の逸話は別として、糸島は、古代史を勉強するには重要な土地ですから。」
平原遺跡・1号墓 「平原遺跡の王墓には、鏡やガラス勾玉が発見されていて、邪馬台国の卑弥呼の墓ではと言われています。」
 「そうかも知れないね。このような話は日本の文献、その当時の古書にはなく、中国の魏の三国志の魏志倭人伝という文献に少し記載されているだけですから、今のところはなんとも言えませんね。」
 「邪馬台国、卑弥呼は、本当に存在していたのですか。最近、歴史書ではあまり出版されなくなりましたが、アニメの方ではその種のものが見掛けられます。」
 「卑弥呼は、中国の文献にあるように存在していたと思いますよ。私の見解ですが、秦の始皇帝が不老不死の名薬を求めて、徐福に命じて日本に1,000人近く渡らせた。紀元前200年頃の話です。その人達が住み着いたのが、北九州の地域で、最初は村から歳月を経て小国家に成長し、西暦のころになると九州周辺に100ぐらいの国が存在していたようです。」
 「では、ぼくもその人達の子孫ですかね。」
 「それから、また歳月が経って1,000人ぐらいの人ではあったが、人口が増え、領土の拡大や水源の確保など、小国家同士の争いが。そして、『後漢書』卷85 東夷列傳第75に記されているように、後漢の桓帝・霊帝の治世の間、146年から189年に日本史上初の内戦、倭国大乱が起こるのですね。」
 「日本にその当時、小国があったと高校の日本史で習いました。でも、そんな内戦があったとは。」
 「その倭国大乱を治めたのが、卑弥呼でした。邪馬台国は、ある程度の小国が集って九州での統一国家を形成したと思います。」
 良祐はたつやの話を聞いて、自分が育った糸島にそんな出来事があったことを始めてしった。そして、たつやの話に心が躍り、友達との約束した時間を忘れていた。


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第3章 渾渾沌沌 第2節

芥屋の大門 たつやは糸島の人達の神武天皇の逸話に興味を示し、糸島に出向いてその話を地元の方から聞きたい衝動がおこってきた。そして、良祐にたつやが知っている神武天皇の話を続けた。
 「りょう君の町、糸島のお年寄りの方のお話を聞かせてくれませんか。」
 「うろ覚えなのでハッキリとは言えませんが。糸島半島の海岸線に芥屋の大門があり、そこで神武天皇が海に浸かって、体を海水で清めたそうです。それで、東征を決意したそうです。」
 「そうだ。古事記には、神武天皇が北九州市の岡田宮で1年過ごしたと書いてあるだけですが、日本書記には、シオツツノオジに東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出たとある。そのシオツツノオジと出合ったのが芥屋の大門だったのか。」
英彦山 「先生、その他には細石神社が三雲南小路遺跡のそばにあって、神武天皇のご先祖さんのニニギさまのおくさんのコノハナノサクヤビメとイワナガヒメが祭られていて、博多に行けば、ホミミさまの英彦山がありますし。」
 「このあたりが、古代史を研究していて悩ましいところでね。古事記や日本書記に書かれた事柄なので。天武天皇の時代に昔の言い伝えを史実化されていて、その物事が実際にあった話なのか。作り話なのかが理解できない。また、中国の歴史書は年代、あった事柄が明記されているのである程度、信用できる。」
 「日本の神話の世界ですね。ぼくなんかは、日本の神代の世界だと理解しています。でも、実際、神武天皇は存在していたのですよね。」
 「現在でも、本人の功績を美化したり、ある小さな出来事を誇張したり、実際は他の人がしたことでも借用して、如何にも本人がしたようにしゃべられる方がおられるでしょ。あれと同じだと思うのです。」
 「選挙で、地方遊説している政治家みたいですね。」
 「古事記や日本書紀を編纂した頃は、天智天皇の生前、最上の冠位「大織冠」と大臣の位を贈られ、藤原の姓を与えられた中臣鎌足が天智天皇の死後、実権を握るようになり、皇位継承も藤原家の血筋である大友皇子を弘文天皇に据えたことから、藤原家の息のかかった勢力と今まで国を支えてきた豪族を味方にした大海人皇子の勢力に国が二極化し、壬申の乱が。そして、大海人皇子が勝利し、豪族の血筋ではない天智天皇の娘(母方は、蘇我氏)、鸕野讃良皇女を娶り、皇族を要職につけて他氏族を下位におく皇親政治を行った。そこで、皇族の正当性を掲げて編纂作業に入ったのです。」
 「天武天皇と持統天皇は、叔父と姪の関係だったのですね。今では考えられないことですけど。」
 「記紀のもう一つの目的は、天智天皇の時代に白村江の戦いに敗れて、天武天皇の時代に新羅が朝鮮半島を統一し、中国も唐にとって統一されていた時代で、日本としても新羅や唐に外交上、日本の正当な政権であることを示したかったからです。」
 「なるほど。でも、神武天皇は。」
 「りょう君、神武天皇の時代に天皇という名称はなかったし、この神武という名称だけでなく、天智天皇の子、大友皇子の弘文天皇という名称まで奈良時代の皇族出身の文人、淡路三船が名付けたのですよ。」
 「先生、今度のゴールデンウィークに実家に帰って、もう少し神武天皇のことを調べてきます。必ず、先生に報告しますね。」


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第3章 渾渾沌沌 第3節

 青柳良祐は、ゴールデンウイークには糸島の自宅にいた。たつやに神武天皇のことを報告すると言ったが、さて何から調べたらいいか、迷っていた。そして、高校の恩師である高橋先生を訪ねることにした。
 「やぁ、青柳君、久しぶりだね。東京での学生生活はどうだい。」
 「何とか、アルバイトもしながら過ごしています。」
 「確か、青柳君は文学部の史学科を専攻しているようだね。」
 「はい。3年になってゼミで日本人起源論を受けることにしました。」
 「日本人起源論か。なにか難しそうだね。」
 「たつや先生の講義が面白かったので、ゼミに参加しました。それで、たつや先生の部屋に挨拶に行ったとき、ぼくの出身地である糸島のことを話すと、倭国のことや神話の話をされて、結局、神武天皇のことを調べることになってしまいました。」
 「神武天皇ですか。芥屋の大門の話はしましたか。」
 「はい。神武天皇がみそぎをして東征を決意した話を。」
 「久米氏のことは。神武天皇が東征するときに、伊都に勢力があった久米氏が参戦して。」
 「そんな話があるのですか。」
久米舞 「神武天皇が東征するときに久米の軍団が歌ったのが元で、宮中の儀式、大嘗祭でその歌が踊りになって、久米舞を披露されています。」
 「久米舞ですね。では、久米氏を調べればいいのですか。」
 「神武天皇と安曇氏の関係は。」
 「それって、奴国の漢委奴国王の印の話ですか。」
 「神話では安曇氏の祖はワタツミで、ウガヤフキアエズと結ばれたタマヨリビメとの間の子が神武天皇。」
 「先生には、タマヨリビメとトヨタマヒメを祀ってある細石神社の話はしました。」
 「安曇氏の拠点である志賀島を調べてみては。」
神武の里の日の出 「糸島から志賀島までは、そんなに離れていないので調べてきます。」
 「それと、久米氏の祖はアマツクメノミコで、ニニギが高千穂に天孫臨降したときにアメノオシヒとお伴したとあるので、少し足を伸ばして宮崎の高原町にある神武の里を訪れては。」
 「先生には、ニニキの父に当たるホミミの英彦山もお話しましたが。」高原町マップ
 「もう一つの高千穂も存在しています。それは、宮崎の高千穂町でくしふる峰、二上山、祖母山などを高千穂と読んでいます。」
 「へぇ、高千穂が2カ所ある。では、そこも。」
 良祐の頭の中は、神話の世界に埋まってしまいました。
 「高橋先生、いろいろと教えて頂いてありがとうございました。早速、久米舞のことや漢委奴国王の印や高千穂のことを図書館で調べて、志賀島、神武の里、高千穂町に行ってきます。」


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第3章 渾渾沌沌 第4節

 ゴールデンウィークも終り、良祐は大学の日本語言語学の授業を受けていた。今日の授業の内容は、古代日本人の発音記号の説明で、母音が8種類あるという話で、何か退屈そうな様子でした。

上代日本語の音韻表
 「良祐、ゴールデンウィークボケか。何か眠たそうだね。」
 「神武天皇のことで頭が一杯で。」
 話かけてきたのは、大学に入学以来の友達で、同じゼミを選択した松井俊樹でした。
 「俊樹、たつや先生の部屋に一緒に行かないか。」
 「この授業は。」
 「この様な話より、たつや先生と話している方がおもしろい。」
 「仕方がない。つきあうか。」
 良祐と俊樹は、ソーッと立ち上がり、ドアを開けて退席した。たつやの部屋は別の棟にあり、桜が咲いていた通路を進み、たつやの部屋に着いた。
 「よぉ、りょう君ではないか。とし君も一緒か。いいとこに来たね。今、久米舞のビデオを見ていたところでね。」
 「これはどこの久米舞ですか。」
 「奈良の橿原神宮の久米舞なのだ。りょう君もとし君も一緒に見ようよ。」
 「先生、私の糸島では久米氏が神武天皇の時代にいて、東征のときに戦勝祈願の思いを込めて、歌に合わせて踊ったそうです。」
 「ゴールデンウィークで帰郷して、少しは調べてきたみたいだね。」
 「現在でも、宮中の新嘗祭で久米舞が演じられるそうですね。」
 「天皇家と久米氏の繋がりが深いのでしょうね。久米氏は、安曇氏、宗像氏、海部氏などの海人族で、入れ墨を入れた荒くれ者でしたからね。天皇家もその戦力を頼りにしていたのでしょう。」
 「この間、ホミミさまが英彦山に天孫臨降したとお話しましたが、ホミミさまの子のニニキさまも宮崎の高千穂に天孫臨降されて、そのときにアマツクメノミコトとアメノオシヒを伴って、高千穂の頂上に剣を差し込んだそうですね。」
三種の神器 「おぉ、そこまで調べましたか。アメノオシヒは、大伴氏の祖ですね。古事記によるとこの天孫臨降の際に、アマテラスはニニキに三種の神器を添えて、オモイカネとアメノタヂカラオとアマノイワトワケノカミを同行させたとあり、アメノコヤネもニニキに同行しています。これらの神は、アマテラスが岩戸にお隠れになったときにオモイカネが策を考え、アマノイワトワケノカミはその策を占ったフトダマの子、アメノタヂカラオは岩戸を開いた力持ち、フトダマと一緒にアメノコヤネも占った神。」
 「天孫臨降にたくさんの神が同行したのですね。」
 「アマノイワトワケノカミの子がアメノオシヒで大伴氏の祖、尾張氏の祖、海部氏の祖でしょ。アメノコヤネの子孫は中臣氏、アメノタヂカラオの子孫は紀氏。アマツクメノミコトが久米氏でしょ。」
 その時、氏族に興味があった俊樹が。
 「ヤマト王権は、氏族の集合体だったのですね。で、物部氏とか蘇我氏など後に政権の中枢になりますが、日本の神話ではどの神なのですか。天孫臨降の話には、彼らの神が出てこないのですか。あぁ、次の授業が始まる。」
 良祐は、俊樹に気を使いながら。
 「先生、この続きはまた聞かして頂きます。ここらで失礼いたします。」

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第3章 渾渾沌沌 第5節

 良祐と俊樹が、今日の授業の日本民族学を終え、教室を出た。
 「俊樹、これからどうする。」
 「良祐はどうするつもりだ。」
 「たつや先生のところに行こう思う。」
 「では、一緒に行くか。蘇我氏や物部氏のことも気になるし。まずは、学生食堂で腹ごしらえ。」
 学生食堂で良祐は、気になることを俊樹にはなしかけた。
 「たつや先生の神武天皇の話、日本神話の話をされましたが、その前は邪馬台国の話もされたのだ。それで、邪馬台国とヤマト王権との関係がわからないのだが。」
 「僕ら、日本史を勉強していると古事記や日本書記には邪馬台国のことなどかいてないよな。」
 「そんなところをたつや先生に聞いてみよう。」
 良祐と俊樹は学生食堂を出て、グランドが見えるベンチで5月の心地よい風を浴びて、気持ちを整えてから、たつやの部屋を訪れた。
 「とし君も、来たのだね。」
 「蘇我馬子や物部守屋のところ辺りに興味があって。」
 「物部氏が、ヤマト王権で軍武の長として活躍しますね。天皇家の当初からヤマト王権を支えた家系で、ホミミの子でニニキの兄にあたるアメノホアカリが祖となっています。ニギハヤヒと同一と言われています。」
 「蘇我氏は。」

天皇家と武内宿禰の家系
 「蘇我氏の祖は、記紀では武内宿禰とされ、葛城氏や平群氏、巨勢氏、紀氏と同じ系統とされます。物部氏よりはかなり後にヤマト王権に参加したと思われ、一部の説には百済の第18代の腆支王(在位:405年~420年)の部下の木満致と同一とされる応神天皇の時代の蘇我満致が祖とされる。蘇我氏は、欽明天皇(539年即位)の時代からで葛城氏に代わり実権を握ることになってからですね。そのため、日本神話のカミとして扱われていないのですね。」
俊樹はたつやの話を聞いて、なんとなく納得した様子でした。そして、良祐が口火をきった。
 「ヤマト王権は、いつ頃から存在していたのですか。確かに日本神話や記紀でしめされるように、ホミミやニニキから神武天皇と脈々と続いていますが。」
邪馬台国と物部氏
 「倭国の大乱の時代に邪馬台国の卑弥呼がその内乱を治め、日本にあった100近い小国が30位の国になった。それから、卑弥呼に代わり壹與が。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された『晋書』では、266年に倭の女王、壹與の使者が朝貢したとあります。この時期にヤマト王権は何をしていたのか。ヤマト王権として中国の史記に現れるのは、『晋書』安帝紀、『太平御覧』によると讃(応神天皇か仁徳天皇)が413年に晋の安帝に貢物を献ずるとあるだけです。150年もの間、中国の史記には日本のことが記載されていません。この間に、日本の記紀ではヤマトタケルから神功皇后までの日本統一のための戦いや三韓での戦いが描かれていますが、それに対する史実的事実は全くと言っていいほどないのです。」
 「日本の記紀には、ヤマトタケルが九州で熊襲と戦ったことは記されていますが、邪馬台国などの諸国と戦ったとは書いてないですものね。」
 「蘇我氏が史記に現れるのは、それから100数年経ってから、そのあたりが明白になればヤマト王権、いや、日本の古代史以前の状況がよくわかるようになるのに。これから、その頃の事実を探して、卒検の材料にしようかな。」
 「ぼくは、九州でおきた倭国の大乱を調べてみようかな。」
 「二人とも、頼もしい。いい卒論を期待しています。」

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