いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:青春歴史小説「たつやの古代旅日記」 > 第4章

第4章 永永無窮 第1節

 青柳良祐と松井俊樹は、今年最後のゼミ「日本人起源論」を受けるため大学に。二人とも時間待ちのために大学の学生食堂に立ち寄っていた。
 「俊樹、ここにいたのか。」
 「良祐、たつや先生のゼミを受けてよかったと思う。」
 「なぜ、そんなこと聞くの。当然、いいに決まっているのに。」
 「ぼく、天皇家や物部氏や蘇我氏の起源を調べたいのに先生はその辺りのことを教えてくれないので。」
 「実家が福岡の糸島だろ。この間、帰った時に神武天皇のことを調べた。なんせ、神武天皇の伝説が多いので。」
 「天皇家は福岡出身なのか。」
 「いや、その辺りはぼくにも分からない。俊樹も物部氏や蘇我氏のことを調べて、ゼミで発表すれば、何かの形でたつや先生が助言してくれるかも。ぼくも先生の見解を聞いてみたいし。」
 「今日は、ケイコさんの米の発表があるし、ぼくも本格的に調べてみるか。」
 たつやのゼミには、20人程が参加していて、それぞれ課題を決めて発表し、たつやがコメントを述べる授業形態になっていた。松井俊樹は、物部氏と蘇我氏の課題について発表していなかった。
 良祐は、俊樹のゼミの発表を期待しながらも、ケイコさんの米の発表がどのようになるか気になってきた。そして、腕時計を見、そろそろゼミが始まる時刻を告げていた。
 「俊樹、ゼミが始まるよ。行こう。」
 良祐と俊樹がゼミ教室に入った時、もう殆どの学生が揃っていた。そして、たつやが教室に。
 「今日は、ケイコさんが発表する番ですね。稲作が日本で初めて行われた研究だそうです。みなさん、楽しみにして聞きましょう。」
 ケイコは、少し緊張した様子で教壇にたった。
 「では、日本の米が何処から来たかについて米のDNAからの見解を発表します。」
 「難しそう。」と教室にいた誰かが冷やかした。ケイコの発表を簡単に説明すると。
世界の米の種類 日本に生息している米の品種は300種類程あって、寒さや病気に強い品種や大量に生産できる品種、寒さや病気に弱いがうま味のある品種など現代直面している稲作で改良に改良を重ねての品種です。世界で米の種の分類は、インディカ種、ジャポニカ種、ジャパニカ種となっています。日本に生息している米はジャポニカ種で、日本独自の米の分類は短粒、中粒、長粒と分けていて、短粒、中粒がジャポニカ米で生息し、長粒はインディカ種。日本では、ジャポニカ米の短粒(コシヒカリなどの市販されている米)と中粒(カルフォルニア米のカルローズ、イタリア産のヴィアローネなど)、殆どがジャポニカ米の短粒。
米の種子 玄米(米の種子)の種類、雑穀米は、世界で36種あると言われ、その中で中国から日本に渡ってきた古代米は赤米、黒米、綠米の3種類です。赤米は赤飯の起源とも言われ、野生の稲のほとんどが赤米で、吸肥力が強い、病害虫や気候の変化などの環境変化に強い、棚田などの環境不良田であっても育成が比較的容易で縄文の陸稲時代から存在している種子の種類です。黒米は中国では紫米とも言われ、酒に加工されたほか、漢方薬や産婦の栄養食品としても用いられた。また、赤米と同じような特性を持っていますが、丈が長く倒れやすい、収量が少ない、低温に弱いという難点がありました。綠米は、赤米、黒米と同様に日本には縄文時代に中国から伝わったとされているもち米で、普通のもち米より粘りが強く甘味がありました。
 ここまでケイコが発表しているとき、たつやは立ち上がり、ケイコの側まできた。


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第4章 永永無窮 第2節

 教壇に立ったたつやは、笑みを浮かべながらケイコが続けようとしている言葉を止めた。  
 「ケイコさん、よく調べてきたね。現在、イネ科で生存しているのは22種類で、栽培されているのは西アフリカで一部稲作が行われているグラベリマ種と殆どがインディカ米、ジャポニカ米、ジャパニカ米のサティバ種。東南アジアのアッサム、雲南地方にわたるヒマラヤ山麓で紀元前7,000年~紀元前6,000年に栽培し始めた品種。これが現在の定説になっていますが、中国の長江(揚子江)下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、紀7000年前の籾米元前8,000年ころの水田栽培による稲のもみ殻が見つかった話しもあります。このことは、このサティバ種が野生稲のペレニス種から畑で栽培化され、突然変異から熱帯ジャポニカ米が生み出され、水田による稲作へと技術革新が行われて、改良されて温帯ジャポニカ米が生まれた。それが、今から約10,000年前。この上山遺跡から東の東シナ海沿岸付近に河姆渡遺跡(浙江省寧波)からは、7,000年前の稲のもみ殻が発見されています。」
プラントオパール 「先生の言われたように、熱帯ジャポニカ種は日本でも紀元前4,000年ころには生育していた。岡山市津島東の朝寝鼻貝塚の6,000年前の土壌から土器が発見され、その土器に密着している稲(茎の化石)の胎土を電子顕微鏡で検査した結果、米のプラントオパールが発見された。縄文人が土器で煮炊きする中で、稲もその土器に入れ、かなりの温度で加熱すると、稲の茎などはリッキト状になり冷えて土器にこびり付く。その土器の原料の土の成分を調べるために顕微鏡で検査するのですが、その過程で米のプラントオパールが発見されます。」
 この発表を聞いていた良祐は、稲がどうして中国から日本に渡ってきたのだろうと疑問に思った。そして、手を挙げた。
 「縄文時代には、すでに熱帯ジャポニカが生息していたのですね。でも、その種子は海を渡ってどのように渡って来たのですか。中国からの偏西風に乗って飛んできたのですか。」
 「りょう君の疑問もよくわかります。偏西風に飛ばされてやって来たことなどないですね。人力ですよ。一般的に言われているのは、弥生時代に朝鮮半島から。或いは中国から直接。または、沖縄諸島から。でも、これらの定説が崩れたのですから。考古学ではまだ発見されていないので何とも言えないですけれど、古代の稲が朝寝鼻貝塚で発見された、それ以前にすでに日本に熱帯ジャポニカ米の野生種が存在していたと思っています。」
 そのたつやの話しを聞いていたケイコは。
 「先生、6,000年前以前にも日本に熱帯ジャポニカ種があったのですか。」
 「あったと思いますよ。日本の土器は、煮炊き物をするために作られ、その最古の土器は、青森県の大平山元遺跡から発見された土器。付着した炭化物(食べ物の付着物)のAMS法による放射性炭素年代測定法で16,000年前とあり、その土器に稲の炭化物はなかったでしょうが、それ以後の土器には稲の炭化物に稲も含まれている可能性があります。」
 「では、りょう君も先生に聞きましたが、熱帯ジャポニカ種はどこからきたのでしょう。」
鳥浜貝塚の丸木船 「福井県の若狭町に鳥浜貝塚がありまして。縄文時代草創期から前期に掛けての集落跡なのです。まぁ、年代的には今から約12,000~5,000年前。この鳥浜貝塚からスギの木材を使った丸木舟が発見され、縄文時代前期のものらしいです。この辺りでピンときませんか。先ほど、河姆渡遺跡の7,000年前の稲のもみ殻の話しと結びつけると。中国の浙江省の海辺にいた人達が丸太舟に乗って、黒潮海流と対馬海流に流され、日本海海岸到着。その時、熱帯ジャポニカ種の種子を持ってきた。」
 「先生、凄い発想ですね。」
 「いや、いや。では、ケイコさんの米の発表を続けてください。」


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第4章 永永無窮 第3節

 たつやも教壇から戻り、ケイコの米の発表を聞くことにした。
陸稲の様子 「先生が言われたサティバ種のジャパニカ米は、熱帯ジャポニカ種のことで、現在でもインドネシアやアジアの熱帯地域では行われている耕作方法(陸稲)で栽培されています。この熱帯ジャポニカ種の弱点は、温帯ジャポニカ米に比べて、脱穀しやすくその関係もあって、それと稲穂の背が高いため脱穀する前に種子が落ちてしまい、生産量が低い。それと、寒さに弱かったのですね。そこで、寒さに比較的強く、稲穂が垂れ下がらないくらいの背の高さで、脱穀し難い温帯ジャポニカ米が、7,000年前ぐらいに中国の揚子江周辺で栽培されるようになりました。」
 「水田による稲作が長江流域で始まったのと一致しますね。」
温暖湿潤気候の地図 「そうですね。熱帯ジャポニカ米が温帯ジャポニカ米に変異していった経緯は、気候にあるようです。ドイツの気候学者ウラジミール・ペーター・ケッペンが提唱したケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属し、夏は高温(22℃以上)で雨が多く、冬は低温(-3℃以上18℃未満)で四季がはっきりしています。全く日本の気候ですね。中国の揚子江周辺もこの気候にあたります。年平均降水量は、1,000mmを超えることが多いため稲の生育に適しているようです。ただ、夏から秋にかけて台風や熱帯低気圧が発生しやすく降水量が増え、災害も多い。」
 「ケイコさんは、気候まで勉強したのですか。長江流域では夏から秋にかけて降水量が多いため、長江周辺の川が増水して氾濫したようです。これは、中国の神話にも出てきて、伏羲と女媧が巨大な瓢箪に乗って洪水の難を逃れたという神話があります。伏羲と女媧の神話は長江辺りから出てきた話ですからね。ケイコさん、続けてください。」
 「はい。7,000年前の揚子江周辺で熱帯ジャポニカ種を植えたと思うのです。この地域、川も多く、河川の氾濫もあって、湿地帯が多かったと想像します。日本米が世界で一番おいしい米と言われている要因に、水分を含ませそれに熱を加えると粘りやツヤが出る。この要因は、6月の梅雨の時期に稲の苗をそそいだ水浸しの田んぼに植え、苗が水分を含み、真夏の太陽によって、スクスクと育つ。この日本の稲作方法は、揚子江周辺の湿地帯で熱帯ジャポニカ種を植えたときに異変がおきて、温帯ジャポニカ種に変異する過程とよく似ている。この現象が水田による稲作の始まりだと思います。」
 良祐は、ケイコのこの発表を聞いていて、とっさにケイコに合図した。
 「青柳くん、何か。」
 「すると、湿地帯が多い日本では、かなり前から熱帯ジャポニカがあったと言うことですか。先生。」
東名遺跡の地図 「うん。日本では、水稲(水田による稲作)は7,000年前頃にはなかったと思う。でも、陸稲はあったのではないだろうか。国内最古の湿地性貝塚、佐賀市の東名遺跡から縄文時代早期、約8,000年前の木製編み籠が発見された。この東名遺跡は、縄文海進が16,000年前から7,000年前まで続き、約8,000年前には海岸線でした。木製編み籠がどのように使用されていたかは定かではないですが、私の思うには熱帯ジャポニカ種のもみ殻を削除するための物ではなかったかと。」
 「約8,000年前に。先生、この辺り、約7,300年前の鬼界カルデラの大噴火により、鬼界アカホヤ火山灰で埋まってしまったのではないですか。その火山灰の下の層で木製編み籠が。その籠で籾米を入れて脱穀したのですか。」
木製編みかご 「ケイコさん、東名遺跡の木製編み籠は保存状態がよく、完全な状態で発見されました。完全な形の木製編み籠は、今のところ日本では最古のものです。しかし、一部の籠でしたら、約10,000年前に滋賀県大津市晴嵐沖の琵琶湖湖底にある、瀬田川河口付近の琵琶湖の東岸であった地域の粟津湖底遺跡も発見されています。この遺跡では、稲の種は発見されませんでしたが、土器やクリ・トチ・クルミの実などが発見されています。」
 ケイコは、たつやの話しに聞き入っていて、もっと米の研究をしなければと思っていた。


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第4章 永永無窮 第4節

 ケイコの米の発表が一区切りついた時、たつやはケイコと交代して教壇にたった。
 「ケイコさんの発表でも解られたと思いますが、米が日本で食べられるようになったのは、中国で稲作が開始された時期とそんなに変わらないのではないか。中国の浙江省の河姆渡遺跡から紀元前5,000年頃の水田跡が発見され、その水田の周りに集落が形成されています。この頃、日本でも青森県の三内丸山で集落が発生し、200人以上の縄文人が共同生活をしていました。また、この三内丸山遺跡の集落跡は、中国の河姆渡遺跡の集落跡とよく似ているのです。りょう君、何か。」
 「先生は、河姆渡の人達が日本にやってきたとでも言われるのですか。」
 「その当時の三内丸山では、稲の形跡がないので何とも言えないですが。北九州や日本海沿岸の西日本には、河姆渡の人達が丸太舟でやってきたのではないでしょうか。現在でもそうですが、見知らぬ土地に旅立つときは食料を確保するのが当たり前ですからね。ケイコさん、そうですよね。」
 「稲作の日本への伝達ルートなのですが、先生は江南説(対馬暖流ルート)を支持されているのですか。」
稲作の伝来 「伝達ルート説には、その他に朝鮮半島経由説と南方経由説(黒潮ルート)がありますね。この3つの説をひとつに決めるのは、難しいですね。それぞれ正しいと言えば正しいですし。中国で紀元前5,000年前に水稲がはじまり、日本で現在最古の水田跡が発見されたのは、佐賀県の菜畑遺跡でしょ。それが紀元前930年だとされています。この4,000年の時の流れがあるのでしょ。その間にどれだけの人が大陸からどのようなルートで流れてきたかと言うと一概には言えません。縄文人は元々日本に石器時代からいた人達と限定するのもおかしな話で、弥生時代になって大陸から渡って来た人達が弥生人だと限定するのも。縄文時代から大陸から渡って来て、その当時の原住民と同化していったと考えるのが正しいでしょう。」
RM1遺伝子の国別の分布 「米のこと(米の遺伝子解析)を調べているときに、ひとつ疑問に思ったのがあります。水稲(温帯ジャポニカ)の遺伝子を解析するとRM1にAからHの8種類の遺伝子があり、中国ではこの8種がすべてあるそうで、Bが最も多く、Aが次いで多い。朝鮮半島では、このうち7種があり、Aが多くて、Cがその次、そのうちBが無い。日本では8種のうちAとBとCがあり、そのうちBが一番多い。このことから、朝鮮半島から稲作が伝わってないのでは。そんなふうに思うのです。
 「このことは、私が描いている伝達ルートに合いますね。」
 「と言いますと。」
 「これはあくまで仮説ですけれど。中国で、Bが最初に栽培されて、その後、地域にもよりますが、後の7種は改良された品種だと思います。日本でBが多いのは、中国で初期の稲が持ち込まれていると思います。AとCはだいぶん後に朝鮮半島から。それと、Bは寒さに弱いのではないですか。朝鮮半島は、日本より寒いですから。こんなふうに言われる方もおられて、朝鮮半島は稲作の不毛地帯だった。そこで、日本にある寒さに強いAを逆に朝鮮半島に持っていった。」
 良祐は、先生のその言葉にピンときた。
 「それって、紀元前後に北九州の諸国(奴国、伊都国、末ら国)が朝鮮半島の南にあった加羅諸国と交流があったからではないですか。」
 「りょう君、その辺りのことをまた調べて発表してください。では、この辺りで授業を終わります。」


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