いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:青春歴史小説「たつやの古代旅日記」 > 第6章

第6章 殷鑑不遠 第1節

 大学校内も日差しがきつくなり、いよいよ夏休みが近づいてきた頃、たつやの部屋に青柳良祐がやって来た。
 「やぁ、りょう君。入りなさい。」
 「先生、今日は沖縄から来ている大城陽介君を連れてきました。」
 「陽介君もどうぞ。沖縄ですか。沖縄のどの辺りの出身ですか。」
 「私、沖縄本島の南にある知念岬辺りで、知念高校から東京のこの大学に入学しました。」
知念岬から見た久高島 「陽介君がこの夏に沖縄に帰るというので、私も沖縄を旅行して来ようと思っています。」
 「それでしたら、久高島にも行かれたらいいのでは。」
 「久高島ですか。」
 その時、大城陽介が青柳良祐の肩をたたいて。
 「良祐、それがいい。久高島は、アマミキヨという神とニライカナイ(神の世界)という伝説がある島ですからね。」
三庫理から眺む久高島 「アマミキヨ。それは、アマテラスではなくて。」
 「ニライカナイにいる太陽神、東方大主がアマミキヨを最高の聖地、久高島のクボー御嶽(祭祀場)に臨降させるのですね。それと、久高島の中ほどにあるイシキ浜には、五穀が入った壷が流れてきて、それから久高島、沖縄本島へと穀物が広まったという伝説があります。ニライカナイは、古事記に書かれている根の国にあたるのでは。」
 「古事記では、アマテラスはイザナギとイザナミの子として扱われています。ニライカナイもそれらしい神がいたのですか。」
シルミチューの洞窟 「沖縄本島中東部のうるま市にある浜比嘉島には、久高島と同じように神話伝説があり、ニライカナイから女神であるアマミキヨと男神のシネリキヨが降り立ち住み着いたと言われるシルミチューの洞窟がある。沖縄には洞窟がたくさんあるからね。アメリカが沖縄に攻めてきたときに沖縄の人達はそのような洞窟に避難したようです。」
 「浜比嘉島辺りは、今、ホテルが建築されてリゾート地になっています。良祐、大泊ビーチ大泊ビーチに泳ぎに行くか。」
 「陽介、それもいいけれど。僕は沖縄の神話に興味があるなぁ。先生、アマテラスのような食物起源神話やイザナギとイザナミの創生型神話が沖縄にもあったのですね。よく似た神話が沖縄にもあったのですね。」
 「国立民族学博物館名誉教授だった伊藤幹二先生によると、日本と沖縄の神話を比較しておクボー御嶽られて、イザナギとイザナミのオノゴロ島の国生み神話とアマミキヨが島々をつくる神話はよく似ていますが、風による妊娠、原祖の地中からの出現、原祖の漂着、犬祖などの神話は沖縄しか見られないと述べられています。久高島が最高の聖地である七御嶽があり、ノロ(祈願行事の司祭をおこなう祝女)が御嶽で祈祷する習慣は沖縄や奄美諸島にしかありません。久高島は沖縄本島から見て、太陽が昇る東方信仰(太陽信仰)の聖地だったのです。」
 良祐はたつやの話を聞いて、沖縄の先史時代に興味が湧いてきた。


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第6章 殷鑑不遠 第2節

 大城陽介は、本土と沖縄とは別の国、或いは本土にある程度対抗意識を持っていた。それで、たつやの神話の話を聞いて、琉球神話が本土の神話より先に出来たのかと疑問が湧いてきた。
 「先生、沖縄は本土より早く日本人が住んでいるのではないでですか。たとえば、山下洞人や港川人。石垣島では、約2万7千年前の人骨が19体も見つかっていますね。」
 「山下洞人は、3万2千年前と言われていますが、人骨から直接抽出されたタンパク質を調べたのではなく、人骨と一緒に出土した炭化物の年代を測定したもので、信頼性が薄い。それと、石垣島の人骨を国立科学博物館が母系の遺伝子、ミトコンドリアを調べたところ、ハプログループM7aとなり、沖縄では23%で本土では7%でした。約2万5千年前にスンダランドで誕生し、北上して日本列島に到達した系統ですね。」
 その話を聞いていた良祐が。
サキタリ洞遺跡 「2万5千年前。先生、その頃の貝製の釣り針が沖縄のサキタリ洞遺跡で発見されたのをニュースでしりました。2万3千年前のもので、世界最古の釣り針だそうです。また、そのサキタリ洞遺跡から約1万4千年前の人骨と石器が出土したそうです。」
 「沖縄で発見された人骨に限り、沖縄から本土に移り、縄文人となったと考えてもいいのではないですか。」
 「陽介君、それが違うんだなぁ。確かに、沖縄の人には25%を占めているミトコンドリアのハプログループM7aも日本人には7%。それと沖縄にもM7a以外の母系遺伝子を持った人が75%もいます。その当時、沖縄から日本に渡ったのは僅かだったと思います。」
 「すると、先生は本土から沖縄に渡った人の方が多いとでも言われるのですか。」
鬼界アカホヤ火山 「日本から沖縄に渡った最初の出来事は、縄文時代、7千300年前におきた鬼界カルデラの鬼界アカホヤ火山噴火で、九州にいた縄文人は殆ど全滅したが一部は九州や奄美群島から沖縄に避難している。そこで、琉球人と縄文人が交わっています。縄文時代晩期になって、中国から稲作が九州に伝わり、九州にも中国からの渡来人として人口が増え、その一部が奄美群島から沖縄に渡り、稲作を伝えた。或いは、中国から近かった久米島に最初に渡り、その後、沖縄本島に稲作を伝えた可能性もあります。」
 「沖縄は琉球王国の時代から中国と関係が深く、本土とは江戸時代の薩摩藩の南下政策により、本土と関係ができたとばかり思っていました。」
 奄美群島から沖縄への話を聞いていた良祐は、琉球神話と結びつけようと。
 「先生、先ほどの琉球神話と日本神話の関係は。」
中山世鑑 「琉球神話が正史として書かれたのは、日本で言うと江戸時代の徳川家光の頃で、1650年に琉球王国の第10代国王、尚質王の命により、王家分家の呉象賢(日本名は羽地朝秀)によって編纂された『中山世鑑』です。ここには、神話的な琉球開闢説話も記載されていますね。琉球神話と日本神話の関係の話をする前にりょう君も陽介君もコーヒーでも飲みませんか。」
 「頂きます。」


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第6章 殷鑑不遠 第3節

 『中山世鑑』は、ニライカナイやアマミキヨの神話的な琉球開闢説話から、源為朝が琉球へ逃れ、その子が実在しない伝説上の王統の舜天になったという説話まで載っています。この為朝琉球渡来説が発端になって、京都の五山僧侶、臨済宗の月舟寿桂等によって唱えられた日琉同祖論。日琉間の禅宗僧侶の交流を通じて琉球戦前の羽地朝秀の墓へもたらされ、呉象賢(羽地朝秀)は、『中山世鑑』を編纂する前に日琉同祖論の影響を受けたようです。また、この『中山世鑑』を編纂する前、薩摩藩に留学して、日本の書物をかなり読破したようで、1666年に尚質王の摂政になって、薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功。そして、摂政を退任する1673年に令達及び意見を記し置きした書、仕置書を書留、その中に、「琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている。」と述べている。
 たつやは、コーヒーを飲みながら羽地朝秀のことを良祐と陽介に説明した。
 「羽地朝秀の話は、お爺さんから聞いたことがあります。でも、それ以前の本土と琉球の関係は知りません。」
 「琉球神話がどのようにして出来たか。知りたいなぁ。」
 「まずは、陽介君の疑問から。江戸時代初期に浄土宗の僧侶、袋中がおられました。その僧侶は、かねてよりエイサー明に渡って未だ見ぬ仏法を学びたいと望んでおられ、1602年に出国しています。そして、沖縄に漂流。結局、明に渡れずに日本に帰国しました。その時、沖縄で念仏踊りをその当時の琉球人に教えています。それが現在でも伝わっているエイサーですね。」
 「へぇ、エイサーにそんな歴史があるのですか。」
 「袋中の浄土宗では、西方浄土という考え方があり、浄土宗の信者はこの世の西方、十万億の仏土を隔てたところに極楽浄土があると信じていた。浄土信仰は平安時代末期の浄土教に端を発し、神仏習合の考え方が平安時代頃からあり、古事記に出てくる他界観を表わす『常世の国』が海のはるか彼方の理想郷にあるという考え方と合致して、南方に臨む海岸から行者が渡渡海船海船に乗り込み、そのまま沖に出るという捨身行が行われるようになった。補陀落渡海と言います。渡海船は、入母屋造りの箱が置かれ、その四方に四つの鳥居が建てられ、艪、櫂なども含めて航行のための道具は備えていない。その箱の中には30日分の食物や水とともに行者が乗り込み、箱が壊れない限りそこから出られない修行で、殆どが日本に帰ってくることができない。」
 「凄い修行ですね。全く死に行くみたい。それで、その渡海船が沖縄に漂流するわけ。」
 「そうですね。沖縄に仏教が伝わったのは、そんな渡海船に乗った僧侶が沖縄に漂着したから。『中山世鑑』の後に編纂された『琉球国由来記』では、鎌倉時代の蒙古襲来の頃に、禅鑑という渡海船に乗った禅宗の鑑真第六回渡海図僧侶が小那覇港に流れ着き、仏教を沖縄に伝えたとあります。この僧が日本人であるか、その当時の中国、南宋の僧侶であったかは、はっきりと明記されていませんが。それ以前にも、奈良時代に唐招提寺を建立した鑑真和上も754年に沖縄に半月間滞在していますから、沖縄には日本や中国の僧侶が立ち寄ったことでしょうね。また、白鳳時代や奈良時代の遣隋使や遣唐使も沖縄に立ち寄り、日本の文化を伝えた可能性はありますね。」
 良祐はたつやの長い話を聞いて、早く琉球神話と日本神話の関係を知りたくてやきもきして、落ち着かないそぶりをしていた。

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第6章 殷鑑不遠 第4節

首里城 陽介は沖縄が琉球国であったことぐらいは知っていたが、その琉球国がいつ頃出来たかは知らなかった。首里城が14世紀の末に建てられたことぐらいの知識でした。
 「先生、『中山世鑑』を編纂されたころに琉球国があったのはわかりました。しかし、それ以前がわかりません。」
 「中山世鑑に書かれているように。13歳の時、父、源為義に勘当されて九州に追放され、鎮西総追捕使になっていた源為朝は、保元の乱で崇徳上皇側に付き、後白河天皇側の平清盛に敗れ、伊豆大島に流され、最後はその地で自害した。その源為朝が沖縄に逃れるストーリーがあり、その為朝の子が舜天になり、初代琉球国王になったとあります。舜天は、それまで沖縄を支配していた天孫氏を滅ぼした逆臣、利勇を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされている。1187年のことらしいけれど、実存性は乏しい。」
 「それはないでしょう。保元の乱が1156年で、1170年に島で生まれた9歳になる我が子、為頼を刺し殺して、自害している。」
三山時代の勢力図 「りょう君、日本史ではそうなっていますね。そてから、舜天から3代続いて、沖縄は天孫氏の流れを汲む英祖王統になる。その頃、元寇が日本に攻めてきた頃です。英祖王統が5代続いて、三つに分裂します。それが三山時代で、北山、中山、南山に。1429年に第一尚氏の第2代王になる尚巴志が三山を統一。尚円王が1469年に第二尚氏の初代王となって、明治時代の廃藩置県まで第二尚氏の王権が続いた。」
 「先生、よくわかりました。琉球国の前は天孫氏が。」
 「天孫氏。日本の天孫族ではないのですか。天皇陛下を中心にした。」
 「天照大神を祖先に持つ皇室、氏族が天孫族ですね。沖縄の天孫氏は、奄美群島にも存在していました。また、琉球神話のアマミキヨは、アマミクとも言います。奄美群島ではアマミコと言っています。ちょっと、メモするね。」
 たつやは、紙とペンを用意した。 
 「天孫の天をアマ、孫をミコと読めば、アマミコとなる。」
 「読もうと思えば、よめますね。」
 「日本書紀によると、斉明天皇の時代、657年に奄美群島からアマミの文字使者が来ています。その時に『日本書紀』には「海見嶋」と記入されています。また、天武天皇の時代、682年に「阿麻弥人」と。『続日本記』には「菴美」と記されています。奄美群島からヤマト王権に朝貢している。」
 「これも読めますね。」
 「アマクミを漢字で書くとこおね。」
 「これって、アマミキヨは奄美から発しているということですか。」
 「中山世鑑では、天孫氏の統治は乙丑に始まり、丙午の年になるまでの間、およそ17,802年、25代にわたったと記載されています。そんな長くはないですよね。始まりの乙丑の年は、中国の『隋書』に「流求」の名が記載されている605年と同じであるため、これから取り入れたと考え、また、滅亡した丙午の年は舜天が即位した1187年の前年にあたるとし、すなわち1186年を天孫氏が滅亡した年としたのではないか。」

明時代の地図
 「そうすると、沖縄と奄美群島は一体だったのですか。」
 「そうかも知れませんね。その当時の中国では、台湾も含めて流求としていたみたいです。」
 「605年と言うと推古天皇の時代ですね。そして、607年には小野妹子を遣隋使として派遣している時代ですね。日本神話はその頃にできたと思いますし、琉球神話も日本の影響を受けて、出来上がったように思います。」
 「りょう君、いいところに気が付きますね。」
 「これから話すことは、憶測になり、研究材料にはなりませんが。沖縄の天孫氏の祖先と天皇家や皇族や天孫族の豪族の祖先も同じ民族ではなかったかと思っています。」
 「先生、沖縄の話、とても参考になりました。そうだよなぁ。陽介。これで、沖縄旅行がもっと有意義なものになりそうです。ありがとうございました。」

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