淡路島が神話で、イザナギとイザナミが海をかき混ぜ、最初にできた国となっています。国生み神話ですね。この淡路島にイザナギとイザナミの総本山と言える伊弉諾神宮が、淡路市多賀740にあり、北部九州からヤマト王権よりも前に近畿圏に現れた海人は、淡路島に集結したのでしょう。イザナギとイザナミは海人族の神さまですからね。その海人とともに、倭文織を生産していた工人の集団もこの淡路に住むようになりました。その証しが、現在の南あわじ市倭文村に庄田八幡神社に合祀せられているため、祠だけの倭文神社ですが確かに存在します。1,900年~1,800年前の鉄器づくりを行っていた鍛冶工房、五斗長垣内遺跡も淡路市黒谷1395-3にあります。物部氏を中心にした海人族が淡路島に集結していたのでしょう。その後、物部氏が河内国や大和国に移住するとともに倭文織を生産していた工人の集団も奈良県葛城市加守1045にある葛木倭文坐天羽雷命神社を創建して、大和国葛下郡を本拠地とした。
倭文部は、飛鳥時代に倭文氏と名乗るようになった。そして、「倭文」が織物に関係があり、「しとり」から「はっとり」と変化し、服に関係していることから服部氏と名乗るようになったそうです。倭文氏の出所として興味深いのは、茨城県那珂市静に静神社があり、この神社も倭文部の神、建葉槌命を主祭神としている。この「静」は、「しず」と読みますように、倭文の「しず」です。そして、この静神社は806年に創建された。倭文氏が常陸国まで同系の藤原氏とともに進出していったのでしょうね。その所在地が茨城県に流れている那珂川の川縁にあり、この那珂川の名は福岡にもあります。奴国に流れていた川ですね。その様に考えると物部氏が関東に進出して、常陸の国に出身地の那珂川と言う名を付けたと考えても間違いではないのでしょうか。
2018年5月27日
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