いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:古代史ファイル > 2013

 紀元前2,900から2,400年頃の新石器時代末期、銅器時代を経て、青銅器時代初期にかけてヨーロッパ北部一帯に広まった縄目文土器文化は、インド・ヨーロッパ語族が黒海北東部からドニエプル川を北上して、ヨーロッパ西部に進出してきて、西はエルベ川西岸地方、東はドニエプル川中流域まで広がっていた銅器時代文化、球状アンフォラ文化(紀元前3,400年頃~紀元前2,800年頃)の後を引き継いだ文化です。球状アンフォラ文化は、埋葬の儀式、とくに寡婦の殉死の習慣が見られること、生贄の牛を埋葬し、琥珀の日輪像を副葬品とするなどの風習からインド・ヨーロッパ語族が築いた文化だと推測できる。
 1956年にマリヤ・ギンブタスは、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱している。クルガン文化は、ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方で紀元前4千年紀の前半に起こったとされ、人類による馬の家畜化の起源ではないかと考えられている。インド・ヨーロッパ語族がドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方に移動していくなかで、紀元前5,500年~2,750年頃に栄えた「古ヨーロッパ」の代表的文化、ククテニ文化を吸収していった。
curugan
haplogroup_f Y染色体でみると、ハプロタイプSNPマーカーR1a という特殊な遺伝的形質をもつ人々は、いくつかの点でクルガン文化と関連性があり、この遺伝的形質は、中央アジアから西アジア、インド、イラン、ヨーロッパ中部や東部のスラヴ人、ヨーロッパ北部のスカンジナヴィア人にもっとも頻繁に見られ、その周辺に向かってだんだんと稀になっていく特徴である。全般的にR1aが最も顕著に出る民族集団はスラヴ人、次いでスカンジナヴィア人(デンマークを除く)であり、球状アンフォラ文化の中心地であったポーランドで、スカンジナヴィアではノルウェーで明白です。一方、このR1aはヨーロッパの最西端にあたるバスク地方、イベリア半島西部、ブリテン島西部といった、西からの男系の家系が社会的支配層(すなわち上流階級)を除くとほとんど入り込まなかった地域には広がらなかったようです。また、バスク人など Eu18 に属するハプロタイプの人々やハンガリー人やウクライナ人に見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々は、20,000年前から13,000年前の最終氷期(ヴュルム氷期)に(アフリカから)イベリア半島を経由して移り住んできたことが確かめられ、パキスタン、インド、中央アジアに見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々が移り住んだ範囲が拡大していく。
 クルガン文化、球状アンフォラ文化、そして、縄目文土器文化(コーデッドウェア文化)の後、中央ヨーロッパ東部から東ヨーロッパ西部、オドラ川西岸一帯からドニエプル川中流域にかけての広い地域に存続したトシュチニェツ文化(紀元前1,700年~紀元前1,200年)、ドニエストル川中流域にコマロフ文化(紀元前1,500年~紀元前1,200年)が栄え、プロト・スラヴ人あるいはトラキア人の集団をなし、その後、スラヴ人の起源における中心的な文化、チェルノレス文化(紀元前1,200年~紀元前200年)が黒海の西北部、ドニエステル川とドニエプル川に挟まれた、森林性ステップ地域に広がった。このチェルノレス文化が青銅器文化から鉄器文化に移行する過度期の文化であり、遺跡から出土する様々な金製品の特徴から、遊牧系スキタイ人と接触があり、さまざまな借用語や河川名は、もとはイラン語群の言語から来たものであり、遊牧系スキタイ人がイラン語群の言語を話していたとすれば現在のスラヴ語派やバルト語派には、イラン語群からの強い言語的影響があると推測される。
2013年3月3日

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 欽明天皇の時代に百済の聖明王の使者が仏像と経典を持ち込んだことにより、日本の仏教が伝来した。その後、聖徳太子や天武天皇の飛鳥時代、東大寺を建立した奈良時代そして、平安時代の紀元804年に最澄と空海は遣唐使として中国に渡り、最澄は天台山に登り法華経などの経典や禅や密教を持ち帰り、空海は長安の青龍寺などで密教を教わり日本に真言密教を伝えた。最澄の密教を台蜜、空海の密教を東蜜と言われている。
 密教にはインド密教とチベット密教があり、インドでは釈迦の教えに西インドの呪文を取り入れたのがインド密教の始まりで、チベットではインド密教を取り入れる前に、紀元前16,000年頃、中央アジアのオルモルンリンの地にトンパ・シェンラプが現れ、十二儀軌の神がみ(クンイン、ゲニェン、チャムデン、ドゥンコル、クンリク・ナムナン、クンサン・ゲルワ・ギャムツォ、ナムパル・ジョンパ、メンラ、モンラム・ターイェー、ナムダク・ユム、ユムチェン・シェーラプ・チャンマ、ゲチョ・ナムパルダクパ)を生み出したボン教を基にインド密教と合体した。そのボン教はタジクからシャンシュン国を経由して、チベットに入ってきたと言われている。このボン教の説話については、歴史的に問題があり、紀元前16,000年と言うのはあり得ない。また、タジクも架空の国だったのです。
 オルモンリンの地とはアフガニスタン北東部からバダフシャンまで伸び、パミール地区をも含むが、タリム盆地は域外。あるいは、その範囲内にバルチスタン、ギルギット、カシミール北部、パキスタン北部のスワートやチトラル、そしてバダフシャンを含む。またもしガンカがガンガー(ガンジス河)のことなら、インド北部のウッタル・プラデーシュ州まで含むことになる。この地方は、紀元前9,000年頃からインド・アーリア人がいた。アンドロノヴォ文化(紀元前2,300年頃~紀元前1,000年頃)を築き、インダス文明を崩壊させたインド・アーリア人のバラモン教聖典に「ヴェータ」があり、その初期の聖典の「リグ・ヴェータ」は、紀元前1,700年頃から口伝えで伝わり、紀元前1,100年頃からサンスクリット語で編纂された。ヒンドゥー教のカースト制度などを記載されています。このようにインドでは、「ヴェータ」を基に、バラモン教、ヒンドゥー教そして、釈迦によって仏教が生まれ、アショーカ王(紀元前268年~紀元前232年)によって広まる。
 一方、アフガニスタンのバクトリア王国のバクトラ(現在のバルフ)で紀元前1,100年頃にゾロアスター教のザラスシュトラは、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー)が生命、真理などを選び、悪の霊(アンラ・マンユ)が死や虚偽を選んで、この善悪2神で世界を創造したと唱えた。このアフラ・マズラーは古代ペルシアのエラム(紀元前3,200年頃~紀元前539年)でも出てくる神で、ゾロアスター教には古代ペルシアの神々が出てくる。これも、アフガニスタン北東部辺りの中央アジアにインド・アーリア人だけでなく、イラン・アーリア人も混じっていたことが伺える。
 このゾロアスター教の善の神アフラ・マズダーは、ヒンドゥー教では太陽神であるヴィローチャナであり、チベット密教では大日如来のことをマハー・ヴィローチャナと言っている。すなわち、ボン教はゾロアスター教の以前の原始宗教となんらかの繋がりがあるのだろう。ボン教が発生したと言うタジクのオルモンリンは、チベットの学者によると西チベットカイラス山の付近としているが、シャンシュン王国のボン教の聖地であり、紀元前329年から紀元前327年にアレキサンドロス3世はアケメネス朝ペルシア(紀元前550年~紀元前330年)を攻撃するため、アケドニア軍をソグディアナとバクトリアに進攻させ、占領し、ギリシャ人はバクトリア人、ソルド人、タジク人が生活していた西域にグレコ・バクトリア王国(紀元前255年頃~紀元前130年頃)を建国した。この地域は、その他にもサカ人(インド・アーリア人)が住んでいて、中国史で言うと秦の始皇帝(在位:紀元前246年~紀元前210年)の時代に中国の北方では東胡と月氏が強盛であった。一方、匈奴は陰山の北からオルドス地方を領する小国にすぎず、大国である東胡や月氏の間接支配を受けていた。その匈奴の冒頓単于(在位:紀元前209年~ 紀元前174年)が東の東胡に攻め入って滅ぼし、月氏も西に移動し敦煌付近に逃れていたが、漢の孝文帝(在位:紀元前180年~紀元 前157年)の時代になって匈奴右賢王の征討に遭い、月氏王が殺され、月氏の一部は小月氏になり、青海省に留まり、羌族(現在のチャン族)になり、イシク湖周辺に逃れてきた月氏の残党(大月氏)は、もともとそこにいたサカ人の王を駆逐してその地に居座った。しかし、匈奴の老上単于(在位:紀元前174年 ~紀元前161年)の命により、烏孫の昆莫が攻めてきたため、大月氏はまた西へ逃れ、最終的に中央アジアのソグディアナに落ち着いた。なお、仏教を誕生させた釈迦族は、ソグディアナから南下してきた農耕をしていたサカ人の一部ではないかとも言われている。
 このようなことから、タジクのオルモンリンにいたのは、サカ人ではないか。あるいは中国で言われている月氏かも知れない。この大月氏やサカ人がソグディアナから南下して、西チベットのシャンシュン王国に入り、ボン教を伝え、その当時にインドから密教もこのシャンシュン王国に入ってきて、チベットにボン教と密教が伝わった。
2013年1月13日

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

fukujin お正月と言うことで日本の七福神を取り上げてみた。日本において、土着の信仰と仏教が折衷した神仏習合の到達点という信仰です。
七福神
恵比寿天:古くは「大漁追福」の漁業の神である。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となった。唯一日本由来の神様。
大黒天:インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。
毘沙門天:元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。仏教に取り入れられ日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
弁財天:七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。
福禄寿:道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神ともされる。
寿老人:道教の神で南極星の化身の南極老人。
宝袋尊:唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の僧。
 この七福神は、室町時代の末期の人々が選び出してきた神で、江戸時代に今の七人の神様になった。元々は、室町時代に明と交易し、倭寇が東シナ海で暴れまわった時代に中国の古来の神様や仏教の伝来以来あった仏様を素材にし、中国の道教の仙人思想を取り入れ、八仙(李鉄拐、漢鍾離または鍾離権、呂洞賓、藍采和、韓湘子、何仙姑、張果老、曹国舅)をもじって作られた神様なのです。それよりも私が興味を持ったのは、七福神の素材です。特に、大黒天と毘沙門天と弁財天です。この神様はインド仏教に関係があることです。
 インド仏教は、アーリア系の日種(農耕民族)に属したシャーキャ族の王子、釈迦(紀元前463年~紀元前383年)が開祖で、釈迦の死後、マウリア朝(紀元前317年~紀元前180年)のアショーカ王(紀元前304年~紀元前232年)の時代に広まった。しかし、インド仏教の誕生する前、紀元前1,500年頃にパンジャーブ地方からインドに進出したアーリア人がヴェータの経典を基にしたバラモン教があった。そのバラモン教、後のヒンドゥー教の脅威を感じながら、仏教は釈迦の教えを経典にした大乗仏教が紀元前前後からインドから中央アジアへ、そして中国に広まり、ヒンドゥー教の神々を取り入れ、その神々を菩薩や如来像として偶像化し崇拝するようになった。その後、釈迦の偶像ではなく、大日如来のような大毘盧遮那仏(中国では華厳経の教主、インドではヴァイローチャナ、日本では東大寺の大仏)が説法をし、呪術的な要素を含めた密教仏教がインドやチベットで始まった。その密教が中国に伝わり、紀元806年に空海が中国から帰国して、最澄の台蜜(天台宗の密教)、空海の東密(東寺の密教)となって日本に伝わった。
 大日如来のヴァイローチャナは、イランのゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーにあたり、インドの太陽神、アスラ王のヴァイローチャナです。だから、太陽神としての大日如来であり、日本では大日如来をアマテラスやオオヒルメに置き換えている。
 バラモン教の時代にはアフラは最高神として祀られていたが、ヒンドゥー教になってから、アフラは悪神となり、最高神にシヴァ(破壊神)・ブラフマー(創造神)・ヴィシュヌ(維持神)が付いた。ここで、日本にこれらの神が中国から伝えられ、アフラの神は阿修羅如来になり、シヴァの化身がマハーカーラ神、そして大黒天に、ブラフマーは釈迦牟尼仏が悟りを開いた時に、その悟りを人々に語るように説得した梵天に、ヴィシュヌが那羅延天から阿弥陀如来に変化していく。毘沙門天はインドのクベーラで、富と財宝の神ですし、弁財天はインドのサラスヴァティーで、ブラフマーの妻であり、水と豊穣の女神です。その他に日本では梵天と対になっている帝釈天は、インドの武神のインドラとなる。このインドラは、ゾロアスター教、バラモン教、ヒンドゥー教だけでなくヒッタイトの条文にも登場する。
 日本における仏教は、インドから中央アジア、チベット、中国、朝鮮を経てつたわったのですが、仏教が誕生する前にはイラン、さらにメソポタミア、アナトリア半島、ギリシャまで遡ることができる。これは宗教だけでなく日本の文化が中東アジアから来ていることを意味するのではないでしょうか。
2013年1月4日

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ