紀元前2,900から2,400年頃の新石器時代末期、銅器時代を経て、青銅器時代初期にかけてヨーロッパ北部一帯に広まった縄目文土器文化は、インド・ヨーロッパ語族が黒海北東部からドニエプル川を北上して、ヨーロッパ西部に進出してきて、西はエルベ川西岸地方、東はドニエプル川中流域まで広がっていた銅器時代文化、球状アンフォラ文化(紀元前3,400年頃~紀元前2,800年頃)の後を引き継いだ文化です。球状アンフォラ文化は、埋葬の儀式、とくに寡婦の殉死の習慣が見られること、生贄の牛を埋葬し、琥珀の日輪像を副葬品とするなどの風習からインド・ヨーロッパ語族が築いた文化だと推測できる。
1956年にマリヤ・ギンブタスは、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱している。クルガン文化は、ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方で紀元前4千年紀の前半に起こったとされ、人類による馬の家畜化の起源ではないかと考えられている。インド・ヨーロッパ語族がドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方に移動していくなかで、紀元前5,500年~2,750年頃に栄えた「古ヨーロッパ」の代表的文化、ククテニ文化を吸収していった。
Y染色体でみると、ハプロタイプSNPマーカーR1a という特殊な遺伝的形質をもつ人々は、いくつかの点でクルガン文化と関連性があり、この遺伝的形質は、中央アジアから西アジア、インド、イラン、ヨーロッパ中部や東部のスラヴ人、ヨーロッパ北部のスカンジナヴィア人にもっとも頻繁に見られ、その周辺に向かってだんだんと稀になっていく特徴である。全般的にR1aが最も顕著に出る民族集団はスラヴ人、次いでスカンジナヴィア人(デンマークを除く)であり、球状アンフォラ文化の中心地であったポーランドで、スカンジナヴィアではノルウェーで明白です。一方、このR1aはヨーロッパの最西端にあたるバスク地方、イベリア半島西部、ブリテン島西部といった、西からの男系の家系が社会的支配層(すなわち上流階級)を除くとほとんど入り込まなかった地域には広がらなかったようです。また、バスク人など Eu18 に属するハプロタイプの人々やハンガリー人やウクライナ人に見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々は、20,000年前から13,000年前の最終氷期(ヴュルム氷期)に(アフリカから)イベリア半島を経由して移り住んできたことが確かめられ、パキスタン、インド、中央アジアに見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々が移り住んだ範囲が拡大していく。
クルガン文化、球状アンフォラ文化、そして、縄目文土器文化(コーデッドウェア文化)の後、中央ヨーロッパ東部から東ヨーロッパ西部、オドラ川西岸一帯からドニエプル川中流域にかけての広い地域に存続したトシュチニェツ文化(紀元前1,700年~紀元前1,200年)、ドニエストル川中流域にコマロフ文化(紀元前1,500年~紀元前1,200年)が栄え、プロト・スラヴ人あるいはトラキア人の集団をなし、その後、スラヴ人の起源における中心的な文化、チェルノレス文化(紀元前1,200年~紀元前200年)が黒海の西北部、ドニエステル川とドニエプル川に挟まれた、森林性ステップ地域に広がった。このチェルノレス文化が青銅器文化から鉄器文化に移行する過度期の文化であり、遺跡から出土する様々な金製品の特徴から、遊牧系スキタイ人と接触があり、さまざまな借用語や河川名は、もとはイラン語群の言語から来たものであり、遊牧系スキタイ人がイラン語群の言語を話していたとすれば現在のスラヴ語派やバルト語派には、イラン語群からの強い言語的影響があると推測される。
2013年3月3日
原始ブログ集まれ。
隠された古代史を探索する会
1956年にマリヤ・ギンブタスは、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱している。クルガン文化は、ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方で紀元前4千年紀の前半に起こったとされ、人類による馬の家畜化の起源ではないかと考えられている。インド・ヨーロッパ語族がドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方に移動していくなかで、紀元前5,500年~2,750年頃に栄えた「古ヨーロッパ」の代表的文化、ククテニ文化を吸収していった。
Y染色体でみると、ハプロタイプSNPマーカーR1a という特殊な遺伝的形質をもつ人々は、いくつかの点でクルガン文化と関連性があり、この遺伝的形質は、中央アジアから西アジア、インド、イラン、ヨーロッパ中部や東部のスラヴ人、ヨーロッパ北部のスカンジナヴィア人にもっとも頻繁に見られ、その周辺に向かってだんだんと稀になっていく特徴である。全般的にR1aが最も顕著に出る民族集団はスラヴ人、次いでスカンジナヴィア人(デンマークを除く)であり、球状アンフォラ文化の中心地であったポーランドで、スカンジナヴィアではノルウェーで明白です。一方、このR1aはヨーロッパの最西端にあたるバスク地方、イベリア半島西部、ブリテン島西部といった、西からの男系の家系が社会的支配層(すなわち上流階級)を除くとほとんど入り込まなかった地域には広がらなかったようです。また、バスク人など Eu18 に属するハプロタイプの人々やハンガリー人やウクライナ人に見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々は、20,000年前から13,000年前の最終氷期(ヴュルム氷期)に(アフリカから)イベリア半島を経由して移り住んできたことが確かめられ、パキスタン、インド、中央アジアに見られる Eu19 に属するハプロタイプの人々が移り住んだ範囲が拡大していく。
クルガン文化、球状アンフォラ文化、そして、縄目文土器文化(コーデッドウェア文化)の後、中央ヨーロッパ東部から東ヨーロッパ西部、オドラ川西岸一帯からドニエプル川中流域にかけての広い地域に存続したトシュチニェツ文化(紀元前1,700年~紀元前1,200年)、ドニエストル川中流域にコマロフ文化(紀元前1,500年~紀元前1,200年)が栄え、プロト・スラヴ人あるいはトラキア人の集団をなし、その後、スラヴ人の起源における中心的な文化、チェルノレス文化(紀元前1,200年~紀元前200年)が黒海の西北部、ドニエステル川とドニエプル川に挟まれた、森林性ステップ地域に広がった。このチェルノレス文化が青銅器文化から鉄器文化に移行する過度期の文化であり、遺跡から出土する様々な金製品の特徴から、遊牧系スキタイ人と接触があり、さまざまな借用語や河川名は、もとはイラン語群の言語から来たものであり、遊牧系スキタイ人がイラン語群の言語を話していたとすれば現在のスラヴ語派やバルト語派には、イラン語群からの強い言語的影響があると推測される。
2013年3月3日
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