いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:古代史ファイル > 2012

 日本に仏教が伝来したのは、欽明天皇の時代に百済の聖明王の使者が仏像と経典を持ち込んだことにより、その当時の権力闘争に仏教が巻き込まれる。その当時、大臣の蘇我稲目は仏教崇拝派で、欽明天皇が仏教に帰依する事を薦めた。大連の物部尾輿と連の中臣鎌子は廃仏派で、仏教を大和朝廷の国家祭祀にするのに反対した。仏教伝来の直後に疫病が流行して、物部氏や中臣氏の反対によって、欽明天皇の仏教に対しての帰依を取りやめ、氏族達に寺院の建立や仏像に対しての礼拝を許可した。欽明天皇の末期にまたも疫病が流行して、大連の物部守屋と連の中臣勝海達が、大臣の蘇我馬子の仏教崇拝が原因として、大規模な廃仏毀釈を行い、仏像の廃棄や寺院の焼却などを行なった。用明天皇の時代になって、この仏教の崇拝廃仏論争は、蘇我馬子や厩戸皇子等が丁未の乱(587年7月)で物部守屋を滅ぼして幕が下りることになる。その後、蘇我馬子が推古天皇を即位させて、厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に、そして摂政に付かせて、大和朝廷の実権を握ることになる。
 現在でも、その当時の寺院や仏像が残っているのは、厩戸皇子が建立した奈良の斑鳩にある法隆寺があり、金堂には薬師如来や釈迦三尊像が安置されている。また、日本最古の寺院として、蘇我氏寺、奈良の明日香村にある飛鳥寺(法興寺)があり、本堂には釈迦如来像(飛鳥大仏)が祀られています。
 仏教は紀元前5世紀頃に、現在のネパールのルンビニで様々な民族に経典を翻訳して伝える際に、注釈を加えてわかり易く説法する世襲制の祭司族または書記族である釈迦族王、浄飯王の子として生まれ、35歳の時に六道輪廻について悟りを得て、80歳までインド各地に伝道に回った。釈迦死後、釈迦の舎利を分割して祈りの対象にしていたが、紀元前3世紀頃、マウリヤ朝の第三代目王、アショーカ王が釈迦の説いた仏説を仏典としてサンスクリット語でまとめ、南アジア、西アジア方面への仏教伝播し、ヘレニズム諸国や東南アジア、中央アジアに伝道師を派遣した。この当時、マケドニア王国のアレキサンドロス3世が東方遠征でペルシア王国を滅ぼし、インド付近まで攻めてきたのが、紀元前326年、それ以後ギリシャ人やマケドニア人のセレウコス朝(紀元前312年~紀元前63年)にも仏教が布教していった。その時に古代オリエントの文化を吸収し、紀元前1世紀頃から、仏教の祈りの対象として仏像が作られるようになった。現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部にあったガンダーラ王国で仏像が作られ、そのガンダーラ仏教美術と共に敦煌やトルファンなどの中央アジアに大乗仏教が広がり、紀元1世紀頃の後漢の時代に中国に仏教が伝わり、釈迦の舎利を埋めた中国風の五重塔をはじめとする伽藍形式の寺院が建立された。そして、その寺院にはヘレニズム文化の影響を受けた釈迦の仏像が安置され、それから後に、中国風の仏像に変化し、紀元3世紀頃、仏典もサンスクリット語から漢語に訳され、紀元4世紀頃、朝鮮半島の百済に仏教が中国から伝わり、朝鮮風の様相をした仏像と変化し、日本に紀元6世紀の欽明天皇の時代、仏教が伝来した。
 このように、初期の日本仏教美術は、ヘレニズム文化の影響を受けたガンダーラ仏教美術から中国仏教美術、朝鮮仏教美術を経ているので、少しは古代オリエントの古代ギリシャ美術が伝わっている。その証拠として法隆寺の伽藍で、古代ギリシャの神殿の柱の形、エンタティスの柱が使われている。
2012年8月11日

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 インダス文明(紀元前2,600年~紀元前1,800年)は、世界の四大文明(エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中華文明)の中で最後に花開いた文明です。この文明の頃の世界情勢は、エジプトでは第3~12古代王朝の時代で、ジェセル王のピラミットからハワーラのピラミットが造営された時代で、メソポタミアではシュメール人による都市国家が形成されていて、紀元前2,350年頃、中央政権国家アッカド帝国が生まれ、紀元前2,100年頃、シュメール人の都市国家を統合したウル第三王朝の時代を経て、セム系のアムル人が古バビロニア王朝を建国した時代で、メソポタミアには巨大都市国家が存在していた。また、中国の黄河では龍山文化(紀元前3,000年~紀元前2,000年)が、揚子江では良渚文化(紀元前3,300年~紀元前2,200年)が開花していた頃です。
 インダス文明を築いたのは、現在のインド人ではなくて、紀元前1,000年頃にバラモン教をインドに持ち込んだ北西インド・アーリア人でもなかった。5万年程前にアフリカを出、4万年前にインドに滞在し、モンゴロイドとなったホモ・サピエンスが北方のバイカル湖辺りに移動した北方系モンゴロイドと東南アジアからオセアニアなどに移動した南方系モンゴロイドがいるのですが、インドに留まったモンゴロイドもいました。その子孫が、ドラヴィタ人だと言われています。このドラヴィタ人は、メソポタミアの巨大都市国家と交易し、メソポタミアの文化を取り入れ、小規模な都市国家を築き上げたのがインダス文明です。
 インダス文明で築かれた都市の特徴は、大沐浴場や火の祭壇、さらに「穀物倉」「列柱の間」「学問所」など大型で特殊な構造の建物が一般家屋とは別に建ち並んでいて、宮殿や神殿はないのです。このことは、都市国家がある一族に支配されているのではなく、都市の運営は住民が管理し、その代表として管理者などが存在していたようです。神殿に変わるものとして大沐浴場が都市の真ん中にあったのも、住民中心の都市国家なのでしょう。
 もうひとつの特徴は、都市全体が計画的に作られ、中央に大通りが設けられ、上水道や下水道も整備されていた。建物は規格の焼成レンガが用いられ、住居も規格的にたてられていた。その他の特徴として、解読できないインダス文字や動物画を描いたインダス印章があり、遺跡のなかから紅玉髄製ビーズも発見されている。
 ドラヴィタ人がインダス文明を築いたといわれるのは、インダス文字がドラヴィタ語に良く似ていることからです。また、ドラヴィタ語は、現在死語となったメソポタミアのシュメール語ともよく似ているともいわれている。メソポタミアでセム系のアムル人が古バビロニア王国を建国し、シュメール人がインダスの辺りまで流れてきたのだろうか。そして、シュメール文化をドラヴィタ人は吸収したのだろうか。
 ドラヴィタ語族の属しているのは、タミル語、テルグ語、カンナガ語等があり、タミル語が日本語とよく似ていると指摘する言語学の研究者もいている。このドラヴィタ人は現代の南インドに住居しており、ドラヴィタ人の血筋を受け継いだのがタミル人だといわれている。ドラヴィタ人と日本人とは何らかの関係があるのだろうか。
2012年7月24日

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 インダス文明(紀元前2,600年~紀元前1,800年)は、世界の四大文明(エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中華文明)の中で最後に花開いた文明です。この文明の頃の世界情勢は、エジプトでは第3~12古代王朝の時代で、ジェセル王のピラミットからハワーラのピラミットが造営された時代で、メソポタミアではシュメール人による都市国家が形成されていて、紀元前2,350年頃、中央政権国家アッカド帝国が生まれ、紀元前2,100年頃、シュメール人の都市国家を統合したウル第三王朝の時代を経て、セム系のアムル人が古バビロニア王朝を建国した時代で、メソポタミアには巨大都市国家が存在していた。また、中国の黄河では龍山文化(紀元前3,000年~紀元前2,000年)が、揚子江では良渚文化(紀元前3,300年~紀元前2,200年)が開花していた頃です。
 インダス文明を築いたのは、現在のインド人ではなくて、紀元前1,000年頃にバラモン教をインドに持ち込んだ北西インド・アーリア人でもなかった。5万年程前にアフリカを出、4万年前にインドに滞在し、モンゴロイドとなったホモ・サピエンスが北方のバイカル湖辺りに移動した北方系モンゴロイドと東南アジアからオセアニアなどに移動した南方系モンゴロイドがいるのですが、インドに留まったモンゴロイドもいました。その子孫が、ドラヴィタ人だと言われています。このドラヴィタ人は、メソポタミアの巨大都市国家と交易し、メソポタミアの文化を取り入れ、小規模な都市国家を築き上げたのがインダス文明です。
 インダス文明で築かれた都市の特徴は、大沐浴場や火の祭壇、さらに「穀物倉」「列柱の間」「学問所」など大型で特殊な構造の建物が一般家屋とは別に建ち並んでいて、宮殿や神殿はないのです。このことは、都市国家がある一族に支配されているのではなく、都市の運営は住民が管理し、その代表として管理者などが存在していたようです。神殿に変わるものとして大沐浴場が都市の真ん中にあったのも、住民中心の都市国家なのでしょう。
 もうひとつの特徴は、都市全体が計画的に作られ、中央に大通りが設けられ、上水道や下水道も整備されていた。建物は規格の焼成レンガが用いられ、住居も規格的にたてられていた。その他の特徴として、解読できないインダス文字や動物画を描いたインダス印章があり、遺跡のなかから紅玉髄製ビーズも発見されている。
 ドラヴィタ人がインダス文明を築いたといわれるのは、インダス文字がドラヴィタ語に良く似ていることからです。また、ドラヴィタ語は、現在死語となったメソポタミアのシュメール語ともよく似ているともいわれている。メソポタミアでセム系のアムル人が古バビロニア王国を建国し、シュメール人がインダスの辺りまで流れてきたのだろうか。そして、シュメール文化をドラヴィタ人は吸収したのだろうか。
 ドラヴィタ語族の属しているのは、タミル語、テルグ語、カンナガ語等があり、タミル語が日本語とよく似ていると指摘する言語学の研究者もいている。このドラヴィタ人は現代の南インドに住居しており、ドラヴィタ人の血筋を受け継いだのがタミル人だといわれている。ドラヴィタ人と日本人とは何らかの関係があるのだろうか。
2012年7月20日

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 今回は、5万年前にアフリカ出のホモ・サピエンスが日本列島に来て、原日本語が話されるようになった経過を「旧石器時代の日本人」の続編とします。アフリカを出たホモ・サピエンスは、インドで1万年位滞在した後、南インドからスンダランドに移り、北上して、中国の華南地方や朝鮮半島から35,000年前から30,000年前にかけて南方型(華北型)石刃石器が西日本にもたらされ、30,000年前から20,000年前にかけてナイフ形石器、13,000年前頃に半円錐形(華北型)細石刃石器を朝鮮半島から持ち込み、西日本に石刃石器文化を開花させた。また、北インドにいたアフリカ出のホモ・サピエンスは北上し、バイカル湖に移住し、13,000年前頃にクサビ型細石刃石器を持って、北海道から東日本にそして、東日本のナイフ形石器の石刃石器文化をクサビ型の石器文化に変えてしまった。
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 アフリカ出のホモ・サピエンスが東南アジアから東アジアに、また中央アジアからバイカル湖辺りまで移動する間に染色体が南方・北方モンゴロイドに変化し、石刃石器技術を継承させていく過程で言語が生まれてきたと考えられる。東南アジアに移動した南方系のモンゴロイドは、オーストロネシア語族に。北方系のモンゴロイドはアルタイ諸語に。日本語は、以前アルタイ諸語のツングース諸語に属していると言われてきたが、最近では琉球語も含めて、日本語族と分類され、アイヌ語、樺太のニヴフ語(ギリヤーク語)、スペインのバスク語、パキスタンのブルシャスキー語等の孤立言語とされている。
 言語学と民族学比較によって、民族の祖先を突き止める研究はある程度の成果をあげているが、決定的な確証は得られない。人類の歴史において、現在の言語の分析が過去と一致するかというとそうではないからです。旧石器時代に、石刃石器文化が生まれ、その継承から言語の統一が長期に渡って行なわれてきた。そして、中には死語になった言語もあるだろうし、日本のように外来勢力の侵入によって、占領されて独自の言語を失ってしまった経験がない日本語が孤立した言語(古言語)として生き残ったものもあるだろうし、中国語のように、漢民族が少数民族を制圧するために合理的な言語として作り出したのもあるでしょう。
 言語学でSOV型とかSVO型等の語順があります。日本語はSOV型(主語、目的語、動詞)の配列で、インド・ヨーロッパ語族や中国語はSVO型(主語、動詞、目的語)です。この語順の分析だけで、民族の比較をすることはできないのです。日本語のように祖語や孤立言語に分類される言語はおおかたがSOV型で、早く相手に意思を伝えるために祖語から変形されたのがSVO型だからです。その他に、言語学では母音・子音の分析もあります。この分析からは、ある程度民族の比較はできますが、これも生活習慣から生まれてきたものと考えられます。しかし、発音・音韻においては遺伝子的な要素があるのではないでしょうか。たとえば、流音で日本人にはr/l/のラ行の区別が発音できない問題があります。r/l/が欠如している民族もあります。傾向としては、r/l/のどちらかが発音できないのはオーストロネシア語族にみられる。
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 日本語とタミル語を比較研究されている言語学者の大野晋氏は、日本語の五十音がタミル語と似、和歌の五七五七七音律が2,000年前のタミルの歌集「サンガム」の形式と同じであると指摘されています。このタミル語は、インドのドラヴィタ語族に属し、この語族は、アルタイ諸語とも類意点が見出せる。また、ドラヴィタ人は紀元前2,600年から紀元前1,800年に栄えたインダス文明を起こした民族ではないかといわれ、5万年前にアフリカ出たホモ・サピエンスがインドに滞在し、その子孫がドラヴィタ人だとも言われています。
 旧石器時代の日本人は、インドで4万年位前滞在していたアフリカ出のホモ・サピエンスが東南アジアから北上して、或は中央アジアからバイカル湖経由で日本にやってきたモンゴロイドではないでしょうか。
2012年7月15日

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 前回のいにしえララバイのブログ記事「日本の原住民は5万年前にアフリカからやって来た」の続編になるかと思いますが、日本にやって来たホモ・サピエンスの時代は、ヴュルム氷期(最終氷期70,000年~10,000年前)であり、北海道と樺太、ユーラシア大陸が陸続きで、瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地、東シナ海の大部分も陸地、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅く、対馬暖流の流入が止まっていました。氷期なので世界中の海水が氷床になっていたため、海面が低かったのでしょう。でも、日本の北のベーリング海峡も海面の低下と氷床によって、現在のように寒流の親潮が三陸海岸沿いに流れないで、ベーリング陸橋に遮断されていた ため、太平洋は大西洋より暖かかった。現在のように、日本海に亜熱帯の雨量を運んでくる暖流の黒潮が対馬海峡を通って裏日本に降水量をもたらし、冬には降雪量がたくさんあるのですが、この時代には対馬海峡が狭く、裏日本では北海道のように針葉樹林が生え、草原が広がっていたそうです。ヴュルム氷期とは言え日本の気候は世界各国よりも条件がよかったのですね。そのため、北方からはマンモス、ヘラジカ、トナカイ、ヒグマ、ナキウサギ、キタキツネなど、南方からはナウマンゾウ、オオツノシカ、カモシカ、ニホンジカ、ツキノワグマ、ニホンザルなどが移り住んできた。そして、動物たちと同じく、それらを追ってアフリカから出たホモ・サピエンスが日本までやって来たのです。北からやって来たホモ・サピエンスは寒冷に耐えるような遺伝子をもったモンゴロイド達がバイカル湖周辺あたりから渡ってきたのでしょう。また、南からはこの時代には日本が大陸と陸続きになっていたように、東南アジアやインドネシアがひとつになった広大な陸地、スンダランドが存在していたので、マラリアの免疫をもったモンゴロイド達が日本にやって来たようです。
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 日本に人類が現れたのは、考古学の遺跡の発掘によると2003年7月に岩手県遠野市の金取遺跡が8万年前から9万年前、2009年9月に島根県出雲市の砂原遺跡が12万年前、最古の石器の遺跡がありますが、日本の地質は酸性土のため人骨が発見されていません。もし、これらの遺跡から人骨が発見されたとしても、ホモ・サピエンスであるか、あるいはホモ・エレクトスであるかは分りません。でも、石器では黒い硬質砂岩や粘板岩で作ったハンドアックスのような両面加工石器やチョッパーなどが発見されています。日本の最初の文化とでも言えるでしょうか。後期旧石器時代(4万年前~1万6,500年前)に同じ規格の石器の剥片の量産する剥離技術、石刃技法が3万年前頃から行なわれるようになり、中国の華北のモンゴロイド達が使用するようになり、ナイフ形石器が2万年前頃には日本に浸透するようになった。縄文時代草創期(1万6,500年前)には、西日本では中国の華北から黒曜石などの素材の半円錐形細石刃をマラリアの免疫をもったモンゴロイド達が持ち込まれ、東日本ではバルカン湖周辺のモンゴロイド達が2万年前頃にクサビ型細石刃を使用するようになったのを寒冷に耐えるような遺伝子をもったモンゴロイド達が持ち込んだ。
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 5万年前にアフリカからやって来たホモ・サピエンスは、マンモスやナウマンゾウのような巨大動物を狩猟するには打製石器でよかったのですが、2万年前頃になると巨大動物が減少し、ヴュルム氷期末期の気候変動に伴う植生の変化によりマンモスが絶滅してしまう。そこで、野うさぎなどの小動物を仕留めるのに円錐形細石刃やクサビ型細石刃が使用されるようになった。これらの細石刃の文化を持ったモンコロイド達が日本にやって来て、日本にいたホモ・サピエンスと混合し、混血をくりかえすようになった。
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 この後、1万6,500年前頃から日本の縄文時代が始まり、1万年頃にはヴュルム氷期が終わり、寒冷期を経て温暖化になると、日本列島も現代のようになり、大陸から海を渡って日本に稲作文化、青銅器文化、鉄文化を持ち込むために日本にやって来る。現在の日本人は、そのモンゴロイド達と混合し、混血して現在に至っている。
2012年6月21日

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