いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ:【私考】古事記 > 上巻

 日本の正史を編纂したいという天武天皇の願望があり、稗田阿礼が記憶していた『帝皇日継』『先代旧辞』を元に太安万侶が書き留めたのが『古事記』。推古天皇までの天皇記は『帝皇日継』を引用し、『古事記』の神代の世界は『先代旧辞』から。推古天皇の時代に、蘇我馬子と厩戸皇子がこの『帝皇日継』を『天皇記』として編纂しようと。その『天皇記』が蘇我蝦夷の屋敷に存在していたが「乙巳の変」で消滅してしまった。『帝皇日継』にしても『先代旧辞』も推古天皇時代より前には存在していたことになる。この二つの史書はどのような文体で書かれていたのでしょう。写本したいも現存していないので定かではないが、『古事記』のような文体だったとすると、応神天皇の時代に百済から王仁によって『論語』と「千字文」が入ってきて、四〇〇年代には万葉仮名の原型が形成されていた。そして、推古天皇の父、欽明天皇の時代、五〇〇年代前半には百済から仏教が入ってきます。その頃には、宮中には漢文を読める、漢字が書ける教養人がいたのでしょう。『帝皇日継』はいつ頃に書かれたか。欽明天皇の父、継体天皇が即位した時の経緯が関係しているのではないか。天皇の正当性が問われた時代ですから。
 継体天皇の皇后は、手白香皇女で仁賢天皇の娘であり、欽明天皇の母にあたる。この手白香皇女の母方を辿ると仁賢天皇の皇后、春日大娘皇女。春日大娘皇女は雄略天皇の皇后、春日和邇童女君。和邇氏族の春日深目の娘にたどり着きます。『日本書紀』によると和邇氏・春日氏族と天皇家の婚姻関係は、雄略天皇から欽明天皇の子、敏達天皇まで続きます。『帝皇日継』と『先代旧辞』がこの雄略天皇から欽明天皇の間に書かれたと推測しますと、その当時、天皇家に一番近かった氏族、和邇氏・春日氏族が天皇家のことヤマト王権の事情を熟知していたことになります。稗田阿礼が和邇氏族の出身だとしたら、『日本書紀』に大幅に省かれた「出雲伝説」が『古事記』には記載されていたことが理解されます。
 『帝皇日継』は、『古事記』から見た感じ、天皇の即位や退位、系図や政治を行った所在地など簡単に記載されていたように思われる。一つの記録書である。それに対して『先代旧辞』はヤマト王権に仕えた氏族の説話や伝承された話で、『古事記』の最初に出てくる神代の話も『先代旧辞』から抜粋。『日本書紀』もそうだけれど、『古事記』もそのような説話・伝承と天皇家の系譜が合体されているため、神代の世界から神武天皇に移る不自然さやあまりにも永い天皇の寿命などが、その当時の人によって追筆されている。そして、そのような説話が天皇のよもやま話に。そのよもやま話がある天皇と経歴だけの天皇があり、仁賢天皇以後から推古天皇までは、そのようなよもやま話は掲載されず、経歴だけになっている。このように考えると、『先代旧辞』を編纂したのは、和邇氏・春日氏族が母方豪族としてヤマト王権で権力を保持していた欽明天皇の時代までには完成していたように思う。
 神代の世界の舞台は、高天原。この高天原には八十の神がいたとなっています。日本神話の原型は、『古事記』の最初の文章から始まります。
【本文】
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御產巢日神。次神產巢日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
【解説】
天と地が初めて姿を現した。そして、高天原という神が住むところに最初に姿を現したのはアメノミナカヌシ。その後タカミムスヒ。そして、カムムスヒ。この三者の神はみな独り神でした。その後、高天原から姿を消してしまいます。
【私感】
 何と宇宙的な始まりでしょう。天には高天原があり、地には日本本土があることをさらっと表現しています。そして、三者の神が登場。その当時、民衆を支配し、尊敬された人物が死を迎え、その霊魂が天に上がられて神になる。精魂信仰が行われていた。原始的な宗教で、太陽信仰や自然崇拝と同じように扱われていました。このような表現は、中国の老子が広めた道教のものの考え方が影響しているようで、宇宙と人生の不滅の真理をその当時の人は持っていました。この道教の教えの中に、不老不死のものの考え方、仙人思想がその当時の日本に普及していたことになります。このことは、百済から儒教の教本『論語』が応神天皇の時代に日本に入ってきましたが、日本が儒教の国にならなかった一因です。そして、不老不死の考え方を持った仏教が欽明天皇以後、浸透していきました。

 この三者の神が高天原から姿を隠されたと最後にある。このことは、それらの神が民衆に支持されなくなった。或いは新たの勢力の神が出現して、民衆から忘れられたとも考えられます。独り神と設定されているので、イザナギとイザナミのように子孫を残せなかった神なのです。その後も独り神が高天原に現れます。
【本文】
次國稚如浮脂而。久羅下那州多陀用幣琉之時。如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。次。天之常立神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。 上件五柱神者。別天神。
【解説】
そのころの国土は浮かんだシカ・イノシシの脂身が浮かんだ、クラゲが漂うような国土でした。これは、山から川によって流された土砂が砂州を形成している国土の様子をあらわしています。そして、その泥から葦が生えてきます。その国土に現れたのがウマシアシカビヒコヂ。その後、アメノトコタチが現れます。その二者も独り神で、いつの間にか姿を隠されます。これで五者の神が現れました。これらの神を別の天つ神と。
【私感】
 『古事記』を研究されている方は、この高天原が何処にあったか。そんな疑問を持ち、弥生人が朝鮮から渡ってきたのだから朝鮮半島の何処かだと唱える研究者もおられます。そうではないのですね。『先代旧辞』が書かれたころの人達の高天原は、生活をし出したその土地にあったのです。道教の陰陽思想からの発想ですね。泥の地で葦が生えた地に、朝鮮半島から渡ってきた人達だったかも知れませんね。稲の種を持って。この後、独り神ではなく、男女の神が現れます。
【本文】
次成神名。國之常立神。次。豐雲野神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。次成神名。宇比地邇神。次。妹須比智邇神。次角杙神。次妹活杙神。次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神次於母陀琉神。次妹阿夜訶志古泥神。次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神。上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代。
【解説】
次に現れたのがクニノトコタチ、そしてトヨクモノ。この二者の神も独り神で、高天原から姿を隠された。次からの神が男女の神で、ウヒヂニ(男神)とスヒヂニ(女神)。ツノグヒ(男神)とイクグヒ(女神)。オホトノヂ(男神)とオホトノベ(女神)。オモダル(男神)とアヤカシコネ(女神)。この四組がイザナギとイザナミより先に高天原に現れます。クニノトコタチからイザナミまでを神世七代と言います。
【私感】
 日本本土でイザナギ・イザナミを合わせた五組が子孫を増やしていったのですね。イザナギ・イザナミの天皇家を含めたすべてが天つ神系だったわけです。

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 『古事記』の前知識として、日本最古の書で現在目に触れることが出来る書籍としては、室町時代の足利義満が将軍を務めていた頃、愛知県名古屋市にある真福寺真言の僧侶、賢瑜によって写本された「真福寺本古事記」が国宝として存在しています。七一二年に太安万侶が元明天皇に提出した『古事記』は残っていません。元明天皇に提出された『古事記』は、その当時権力があった藤原不比等の手に。そして、藤原鎌足の甥、中臣意美麻呂に手渡され、意美麻呂の子孫が朝廷の祭祀を司る官に就くようになり、伊勢神宮などの神祇官を務めるようになった。その末裔である大中臣氏と卜部氏が『古事記』を管理することになった。「真福寺本古事記」は、伊勢大中臣系の古事記の写本だそうです。
 『古事記』には、『日本書紀』にはない序文が最初に出てくる。その文体は『日本書紀』が漢文で書かれているのに対して、その当時の大和言葉を漢字だけで表されていて、音読み・訓読みの漢字の混合で書かれている。その当時には、平仮名はなく、万葉仮名の時代ですから。文章全体を見た感じでは、太安万侶が元明天皇に提出の際の趣意書のようです。内容自体は六つに分かれています。
一、臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。二靈爲群品之祖。所以出入幽顯。日月彰於洗目。浮沈海水。神祇呈於滌身。故太素杳冥。因本教而識孕土產嶋之時。元始綿邈。賴先聖而察生神立人之世。寔知。懸鏡吐珠。而百王相續。喫劔切蛇。以萬神蕃息歟。議安河而平天下。論小濱而清國土。是以番仁岐命。初降于高千嶺。神倭天皇。經歷于秋津嶋。化熊出爪。天劔獲於高倉。生尾遮徑。大烏導於吉野。列儛攘賊。聞歌伏仇。即覺夢而敬神祇。所以稱賢后。望烟而撫黎元。於今傳聖帝。定境開邦。制于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥。雖步驟各異。文質不同。莫不稽古以繩風猷於既頽。照今以補典教於欲絶。
二、曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。濳龍體元。洊雷應期。聞夢歌而想纂業。投夜水而知承基。然天時未臻。蟬蛻於南山。人事共洽。虎步於東國。皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。氣沴自清。乃。放牛息馬。愷悌歸於華夏。卷旌戢戈。儛詠停於都邑。
三、歳次大梁。月踵俠鍾。清原大宮。昇即天位。道軼軒后。德跨周王。握乾符而摠六合。得天統而包八荒。乘二氣之正。齊五行之序。設神理以奬俗。敷英風以弘國。重加。智海浩瀚。潭探上古。心鏡煒煌。明覩先代。
四、於是天皇詔之。朕聞諸家之所齎。帝紀及本辭。既違正實。多加虛僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之經緯。王化之鴻基焉。故惟撰錄帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。即勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。
五、伏惟皇帝陛下。得一光宅。通三亭育。御紫宸而德被馬蹄之所極。坐玄扈而化照船頭之所逮。日浮重暉。雲散非烟。連柯并穗之瑞。史不絶書。列烽重譯之貢。府無空月。可謂名高文命。德冠天乙矣。
六、於焉惜舊辭之誤忤。正先紀之謬錯。以和銅四年九月十八日。詔臣安萬侶。撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭。以獻上者。謹隨詔旨。子細採摭。然上古之時。言意並朴。敷文構句。於字即難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今。或一句之中。交用音訓。或一事之内。全以訓錄。即。辭理叵見以注明。意况易解更非注。亦於姓日下謂玖沙訶。於名帶字謂多羅斯。如此之類。隨本不改。大抵所記者。自天地開闢始。以訖于小治田御世。故。天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。爲上卷。神倭伊波禮毘古天皇以下。品陀御世以前。爲中卷。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。爲下卷。并錄三卷。謹以獻上。臣安萬侶。誠惶誠恐。頓首頓首。
和銅五年正月廿八日。正五位上勳五等太朝臣安萬侶謹上。
 簡単に解説していきますと、一の最初に安万侶の挨拶から始まり、『古事記』のあらすじ。二は、天武天皇ついて。三は、天武天皇の偉業。四は、天武天皇から、「稗田阿礼が『帝皇日継』『先代旧辞』を誦読するので書き留めてほしい」という依頼が書かれている。五は、安万侶が元明天皇と面会し、天皇を称える言葉。六は、和銅四年九月十八日に元明天皇から正式に依頼を受け、誦読を漢字にあてる苦労話と推古天皇までの事柄の掲載することを示している。そして、最後に『古事記』を献上した日付と安万侶の位と名前。
 この序を読んでみると「昔から日本人は礼儀正しい」と、現在でも趣意書を書くときは相手に失礼のないように書きますね。それにしても、パット見た感じでは漢文のようにみえますね。『古事記』が編纂した当時、『万葉集』の収集も始まったころ、万葉仮名で書かれていた。「小倉百人一首」が作成されたころには、万葉仮名を元に漢字を崩した平仮名が出来ていた。「小倉百人一首」の最初の一句が天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」があるように、天智天皇の時代には歌詠みが宮中で行われていた。『万葉集』一巻の二〇に額田王の「茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」があり、その句の後の一巻二一に大海人皇子の「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」この二句で中大兄皇子と大海人皇子の兄弟と額田王との三角関係が噂されたとか。
 『万葉集』の完成は、七八三年頃に大伴家持によって完成されたと言われていますが、一巻の五三番までは、持統天皇と柿本人麻呂が関与していると言われ、その後の二巻までは、元明天皇と太安万侶が編纂にあたったようです。この頃、宮中では詠歌を通じて天武天皇、持統天皇、柿本人麻呂、太安万侶たちは、結構親しくしていたようです。そこで、柿本人麻呂という人物、『万葉集』ではわりと有名ですね。『万葉集』に長歌一九首と短歌七五首も掲載し、なかなか風流な方ですね。
 『古事記』で太安万侶が第一人者で、『日本書紀』にも関わり、『万葉集』も。官僚でありながら文化人だったようです。ただ、稗田阿礼と言う人物はこの『古事記』でしか登場していないのです。宮中の氏族で稗田氏が存在していたか。アメノウズメの子孫、猿女君の末裔が稗田氏。朝廷の祭祀を司る官として稗田氏が存在していたようです。そんな職種であったため、稗田阿礼は藤原氏や中臣氏と関係があるのではないかという説もあります。
 稗田阿礼が舎人という役職を持って、天武天皇に仕えていたとすると、偽名を使っていたのではないか。それが柿本人麻呂としたら。また、天武天皇の子、草壁皇子の舎人も務めていた。そして、持統天皇とは同世代で、柿本人麻呂は寵愛を受けたようです。稗田阿礼が天武天皇の紹介で、太安万侶と対面したときは二八才だったとすると、柿本人麻呂が同一人物と考えることもできる。
 柿本氏は、仁賢天皇や雄略天皇や継体天皇に妃を送り込んだ和邇氏(春日氏)の末裔にあたり、天武天皇の時代には蘇我氏や藤原氏よりも下級の官人に成り下がってしましたが、古墳時代にはかなりの地位を占めていました。そして、昔話では和邇氏族のころからの言い伝えはよく理解していたと思います。

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 学生時代から日本史が好きで、社会人になってからもそれは変わりませんでした。機会があるごとに古代史の新書を読みました。その頃、歴史読本といえば、司馬遼太郎先生の本が書店に並び、ベストセラーになっていた時代です。でも、私はそのようなベストセラーになる本には目にも触れず、ひたすら古代史の新書派でした。大学生時代に読んだ梅原猛先生の『隠された十字架』の影響が大きかったと思います。一九八〇年代には黒岩重吾先生の『落日の王子 蘇我入鹿』もなかなか面白かった。
 古代史ブームが起きたのは、やはり「邪馬台国」の書籍が書店に並んだ頃。その火付け役が松本清張先生で、一九六八年に刊行された『古代史疑』からか。松本清張先生はアマチュアの立場から、専門家の対談もマスコミで話題になりました。その頃から、一般の方も邪馬台国論争に参加するようになりました。でも、私は「邪馬台国」や「卑弥呼」にはあまり興味を示しませんでした。中国では『魏国志』の三〇巻の内、列伝二六巻の中の烏丸鮮卑東夷伝に邪馬台国が記載されています。著者は、三国時代に蜀に仕え、魏の後を継いで中国を統一した西晋の司馬炎にその才能を買われた陳寿。陳寿は『呉国志』と『蜀国志』も執筆していて、後世にこの三つの書を『三国志』と言った。日本では『三国志』の「魏書」の烏丸鮮卑東夷伝を「魏志倭人伝」と言われ、大層重要視されていますが、著者の陳寿は呉について二〇巻、蜀について一五巻も書いているのに、魏については四巻しか書いてなくて、列伝ばかりなのです。陳寿は蜀出身で、西晋に抱えられたことから、魏の偉大さを強調するために列伝を多く書いたのでしょう。そんな著者が日本のことをどれだけ知っていたかは疑問だし、魏に対し、いや西晋に対して色目を使ったのではないかと疑える。『三国志』と言えば、吉川英治先生の小説を読んだ方が余程楽しい。
 中国の『三国志』はおおよそ二八〇年頃に書かれているので、「魏志倭人伝」に記載されている邪馬台国と卑弥呼については、二三八年から二四八年の十年間に魏と邪馬台国で交流があったことが記載され、その事自身は信憑性があるみたい。親魏倭王の金印や三角縁神獣鏡が出土されていますから。一方、この邪馬台国の女王と魏と交流が『日本書紀』巻第九神功皇后紀に記載され、その『日本書紀』では邪馬台国や卑弥呼の固有名詞は使われず、ただ女王のみ、年代は「魏志倭人伝」の年代とほぼ一致、それが神功皇后摂政三九年となっている。『日本書紀』巻第九神功皇后紀だけを見ると神功皇后イコール卑弥呼となる。実際、江戸時代まではそのように思われていました。でも、神功皇后は三韓征伐の出来事を考えると三〇〇年代後半から四〇〇年代前半の人物。
 『日本書紀』は天武天皇の六九一年に発案され、元正天皇の七二〇年に完成している。元々は欽明天皇の時代に天皇の正当性を示すために『帝王本紀』が編纂され、蘇我馬子が実権を持った推古天皇の時代に厩戸皇子(聖徳太子)と馬子が『天皇記』と『国記』が編纂され、蘇我氏によって保管されていた。その後、皇極天皇の時代に乙巳の変が起こり、蘇我入鹿が暗殺され、蘇我蝦夷の屋敷も焼かれ、『天皇記』と『国記』は焼失してしまった。そこで、『天皇記』と『国記』以外で残った『帝紀』・『旧辞』や『先紀』・『帝皇日嗣』など、皇室の系譜の伝承と焼失を逃れた歴史書や朝廷の書庫以外の歴史書を元に『日本書紀』が編纂された。だから、中国の『史記』『漢書』『後漢書』だけでなく、『三国志』の内容も詰め困れた。文体が漢文なので、中国や朝鮮を意識して編纂されたようです。また、『日本書紀』は『古事記』と違って、神話のエピソードが少なく、出雲神話も多く省かれています。その点、『古事記』の方が日本神話が含まれていて、素朴な日本の歴史を推理しやすい。『日本書紀』は、その当時の権力者(特に、藤原不比等)の意向の匂いがプンプンします。
 『日本書紀』と『古事記』の違いのもう一つの特徴は、文体が大和言葉を漢字に当てはめて書かれているところにあります。だから、読むには少し手こずる。漢文で書かれている『日本書紀』でも苦痛ですけれど、それ以上に。若い時から『古事記』を読みたいが、それが実現しませんでした。それが、三浦佑之先生の『口語訳 古事記』に出会ったときはどれだけ嬉しかったか。この本を読破したとき、三浦先生が述べられたように、「ふること(古事)」を支えていた人びとが語ろうとした世界に向き合うことができた喜びが。そして、ヤマト王権がどうやこうやではなく、現代生きている私達にもその当時の生き方が共感できる気になりました。
 これからのお話は正論ではなく、私の愚論になるかも知れません。読者の方にもそれぞれの考えがあると思いますが、お付き合いのほどよろしくお願いします。


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