いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ: 青春歴史小説「たつやの古代旅日記」

第7章 温故知新 第4節

 たつやは、流正の先輩の「ヤマト王権の政治拠点について」の講義を最後まで見終えた後、ふと助手時代の「稲作の発展と灌漑の進歩」を思い出した。
 「流正くん、貴重な先輩の講演を見せて頂いて、ありがとう。この講演を見ていると私が助手時代に北摂を歩き、この地域で稲作の最初がどこで始まったかを調べたその当時の記憶がよみがえってきました。」
 「それはどこなのですか。」
安満遺跡のプラントオパール 「JRの高槻駅、阪急電鉄の高槻市駅から東に行くと八丁畷町があって、そこに京都大学大学院農学研究科附属農場があった。現在、安満遺跡公園になっていますが。その京大農場によせて貰ったことがありました。その時に農場の北側からプラントオパールが見つかったことを知り、そのプラントオパールが紀元前500年頃の。その頃から稲作が始められていた。」
 「先生、私も2015年に安満遺跡の発掘調査結果の説明会に参加しました。この大阪の高槻でまさか、2500年前の水田跡が見つかるなんて想像もしていませんでした。驚きました。」
 「私がお会いした京大農場の先生の話では、元々この地でヨシやキビが自然栽培されていたそうです。ヨシが生えるくらいだから水際、浅瀬の状態だった。近くには北摂山系から流れてくる檜尾川があり、その当時、氾濫が絶えなかったようで、湿地帯の状態だったようです。そこに弥生時代前期の頃、ヨシと共存する形で稲が芽生えてきました。誰がイネの種を安満遺跡の水田跡植えたのでしょうか。それが近畿圏での稲作の最初です。この京大農場が2014年に高槻市に譲渡され、移転されたので、本格的な発掘調査が始まりました。そして、2500年前の水田遺構が発見されたのですね。」
 「イネの種子はどこから来たのでしょうか。また、この安満地域に縄文時代から人が生活していたのでしょうか。」
 「日本で最古のプラントオパールと言えば、1991年に岡山県立大学の建築現場から3000年前の籾の痕とプラントオパールが土器の中から発見されています。吉備から播磨を経て、この北摂にイネの種子をもたらしたのでしょうか。それか、水田の知識を持った九州北部の人が瀬戸内海を経て、河内湾に。そして、この安満地域に根付いたのでしょうか。」
 流正が研究した居館の謎を胸に抱きながら、安満地域の集落のことを考えていた。
 「縄文時代からこの北摂には、集落があったのでしょうか。」
 「縄文人は、琵琶湖周辺に集落を形成し、丸太舟で淀川を下った。そして、この安満地域にたどり着いた可能性はありますね。そこに、集落が出来、吉備や筑紫からの人達もこの地に集結した。これが弥生時代前期の状況だったのではないですか。」
 「全く、寄り集まりですね。」
弥生時代前期頃の河内湾 「その当時の安満地域は、北に北摂山系があり、南は河内湾の北端でしたから。丹波の方から山越えでこの地にたどり着くか、河内湾の岸辺に沿って、或いは丸太舟で縄文人の交流が行われていた。その後、檜尾川や芥川や女瀬川や安威川の氾濫や北摂山系からの土砂が流れ込み、中洲ができ、河内湾が河内湖になってきた。その頃が紀元前後、筑紫や吉備や出雲からこの地に移住する人達が増えました。」
 「すると、コミュニケーションが必要になってくるわけですね。大きな集落と田畑を守る環濠が必要になった。そして、その集落のリーダーが。大王の出現ですね。縄文時代から続く、アニマティズム、精霊崇拝が始まるのですね。その集落には居館が必要になる。」
 「そうですね。その集落で独自の神々が誕生することになりますね。」
 「あれ、今回の先生の講演のさわりを聞かせて貰ったみたいですね。」

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第7章 温故知新 第3節

 ホテルマンがドアをノックした。そして、コーヒーが運ばれてきた。
 「先生、継体天皇の話がでてきたので、私の先輩が継体天皇を中心にして、ヤマト王権の政治拠点について講義されていますので、見てみませんか。」

池上曽根遺跡の堀立柱建物 「う~ん。さっきの居館の話と繋がっていますね。百舌鳥古墳群から南に位置する池上曽根遺跡何かは、紀元前からの大きな集落。この遺跡には大きな堀立柱建物があり、高床式倉庫ですね。柱を年輪年代測定器で調べたら、紀元前52年とでた。ここに大量に収穫した米などが備蓄されていたのでしょう。また、工房もあり、ヒスイの勾玉や銅鐸の破片なども発見されていることから、技術者も確保していたのでしょう。この遺跡には、祭事の場や居館もありました。」
 「池上曽根に集落があったのは、いつ頃までですか。」
 「土器も発見されていて、弥生時代中期の頃で、炭化米は紀元前2世紀頃と断定された。池上曽根集落がいつ頃まで? さて、鉄製品の工房もあったようだから、弥生時代後期、倭国大乱までではないだろうか。」
 「それでは、池上曽根の居館も大王の住まいだと考えていいのですね。」
 「各地の集落に大王がいましたからね。それが、2世紀後半に九州北部を中心に倭国大乱となって、内戦状態になり、各地で権力をもっていた大王が戦った。そして、小さな集落が大きな政治集団に吸収されていった。池上曽根の集落もそのような時代の波に飲み込まれていった。また、九州北部から起こった大乱で、九州から河内の地に移住してくる人達の受け皿になったかも知れません。」
 「河内王権の誕生ですか。」
黄金塚古墳の画文帯同向式神獣鏡 「まだそこまではいっていない。河内湖南部には壮大な農地があり、九州からの移民を受け入れた。その当時の河内には、九州の伊都国や奴国、或いは九州を経由して、百済や新羅や高句麗からの移民も受け入れた集落が沢山ありました。池上曽根遺跡の周辺にある古墳、黄金塚古墳出土した銅鏡は、中国の魏王から邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られた一枚ではないかといわれています。信太山丘陵にある 惣ヶ池遺跡では、鉄の矢尻も発見されています。この地域でも政権争いがあったのでしょうね。これが3世紀後半から4世紀前半のことです。応神天皇から始まる河内王権は、この地、河内湖の南側に政治拠点を置きました。」
惣ヶ池遺跡の鉄の矢尻 「居館と宮とは関係があると思いますが、考古学的には古墳時代以前の宮殿は未だに発掘されてない現状です。また、居館と古墳の関係でも、宮内庁指定の古墳の発掘調査は行えないですが、それ以外の古墳の発掘は進んではいますけれど、その古墳がどの大王の墓だったかは掴めていません。何か書き置いたものでもあればいいですけれど。」
 「そうだね。日本書紀や古事記などの文献は、後世に書かれたもので確信できる情報ではないですから。応神天皇がいつ頃の人なのかもはっきりしない。中国の南北朝時代の南朝宋の宋書に書かれている倭の五王、讃が応神天皇ではないかと言うことぐらいかわかっていませんね。5世紀前半の倭王です。記紀では、仁徳天皇や履中天皇をもこの讃に当てはまります。よく言われるのは、中国の文献で卑弥呼以降、倭の五王までの間が空白になっているので、謎の四世紀と言われていますね。日本の古代史で文献でも、考古学的にもはっきりしてくるのは、渡部くんの先輩が示された継体天皇以降かも知れませんね。」

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第7章 温故知新 第2節

 たつやの講演の日、朝早くから流正はたつやが宿泊しているホテルにやって来た。
 「先生、おはようございます。」
 「渡部くん、おはよう。昨日、少し心斎橋から道頓堀辺りを散歩がてら歩いてきたよ。道頓堀も昔に比べてきれいになっていたね。それと、外国の観光客の多いこと、驚かされました。」
 「そうでしょ。関西国際空港ができて、関西の窓口として大阪が見直されましたからね。」
 「大阪も昔のイメージがなくなり、きれいに整備された良い街になりましたね。」
 「大阪は、古代の時代に日本の中心になった歴史ある街ですからね。皆さんは、豊臣秀吉が大坂城を築いてからの歴史からしか知らない人がたくさんおられますけれどね。今でも、大坂城は外国の観光客の大阪での一番のスポットです。」
 「仁徳天皇の時代ですね。大阪で百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されましたから。それで、渡部くんはそんな大阪で学芸員として働いているのでしょ。何か、最近、研究した課題がありましたか。」
 「はい、そこでこの間、あるところで講義をしたのです。考古学的な観点からヤマト王権のことを。丁度、録音したのがあるので、先生に聞いて頂こうと思って、持参しました。」
 流正は、持参したパソコンを開いた。
 「パソコンから見ることができるのですね。画像処理してある。」


 「なかなか立派な講義ではないですか。」
 「そうですか。考古学では限界があって、遺跡の掘り出しはでき、そこに居館が存在し、その遺跡から発掘された土器などによって、その当時の年代がわかる。しかし、その居館が誰の大王であったか。それが判らないですから。」
 「そうだね。発掘されている古墳の近辺で、居館が発掘されても、それがはたして埋没されている人物の居館であったかは、判らないですから。その居館から木簡か、何かの文字でも出てくればいいのですけれど。古墳にしても、宮内庁が管理しているところでは、この古墳は誰々の大王の古墳だと断定しているだけで、実際のことはまだまだ謎につつまれていますね。」
IMG_20200111_092944 「大阪でも、堺や藤井寺の古墳でも倭の五王の墓だと宮内庁が管理し、なかなか発掘までには至っていません。考古学を専攻している者としては、発掘したいですけれど。発掘できる古墳は限られています。倭の五王より少し後になりますが、北摂の高槻辺りにも古墳があり、そこでは太田茶臼山古墳は宮内庁の管理下にあるので難しいですけれど、今城塚古墳等の発掘は進んでいます。」
IMG_20191208_142706 「継体天皇陵のことですね。宮内庁の見解では太田茶臼山古墳が継体天皇のお墓となっていますね。」
 「私達としては、今城塚古墳が継体天皇のお墓だと思うのですが。」
 「この問題は、江戸時代の元禄にまで遡り、徳川幕府がその当時の高槻藩に調査を依頼した。その時、今城塚古墳からは継体天皇の遺品が発掘されなかった。それで、太田にあった茶臼山古墳が高槻藩の調査で、継体天皇陵だと決定したのです。このことは元禄9年に発行された松下見林の『前王廟陵記』に記載されています。それを明治政府がうのみにして、現在に至っています。」
 「そうなのですか。そのお陰で、今城塚古墳は高槻市が整備して、いましろ大王の杜として公園になっています。」
今城塚古墳
 「太田茶臼山古墳の円筒埴輪を調べたら、5世紀の中程。今城塚古墳の円筒埴輪は、6世紀の中程。継体天皇が即位し、磐井の乱を治めたのが528年11月のことだから、今城塚古墳が継体天皇陵と言っていいでしょうね。」
IMG_20191208_130245
 話が盛り上がってきたとき、流正は立ち上がって、フロントに繋がるポーンで、コーヒーを注文した。

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第7章 温故知新 第1節

 正月も過ぎ、授業が始まる前に大阪の知人、畑山俊一先生から講演依頼があった。大阪に行くのは久しぶりで、たつやが助手の時代に「稲作の発展と灌漑の進歩」という論文を作成するために、仁徳天皇が行った茨田堤で河内平野を調査したことがあった。
 以前の教え子で大阪出身の渡部流正くんがこの正月の年賀状で、大阪に来られたらお会いしたいと書いてあった。彼は確か、考古学を専攻していて、私の「日本人の起源論」の授業を受け、よく質問をしてくる生徒でした。私の部屋にもよく来てくれていた。卒業されてからも毎年、年賀状をくれる一人でした。渡部くんにも会ってみようか。渡部くんが卒業するとき、今回の講演の依頼してきた畑山先生に紹介して、確か、何処かの施設の学芸員として働けるように口添えしてくれた。そうだ、畑山先生に連絡して、渡部くんと会う予定を組もう。
 今回の講演内容は、畑山先生からの要望で、「弥生時代、河内平野に集った人々」というタイトルでお話をして欲しいとのことでした。それで、この年末年始の間に資料の整理を行い、レジメを作成していた。東京駅から新幹線を利用して、新大阪駅まで、そのレジメや資料に目を通し、名古屋駅を出たところで、畑山先生からスマホにメールがきた。
 「新大阪に着く頃、渡部くんが先生を出迎えるために改札口で待っていますのでよろしく。」
 渡部流正は、畑山先生からたつやが大阪に来ることを聞かされていたようでした。そして、新大阪駅の近辺のパーキングに自家用車を駐車させ、たつやが来るのを心待ちにしていた。たつやが乗車した「のぞみ」が新大阪駅に到着した。
 「先生、ご無沙汰しています。お元気そうでなによりです。」
 「渡部くんも元気でなにより。」
 「私の車を用意しましたので、畑山先生が予約されているホテルまでお送りします。」
 流正が運転する車は、新大阪駅から新御堂筋から御堂筋に入り、難波のホテルに到着した。そこには、畑山が迎えてくれた。
 「たつや先生、わざわざ大阪まで来て頂いて、お疲れさまでした。」
 「いやぁ、久しぶりの大阪で、年末から楽しみにしていました。それに、渡部くんにも会える。本当に良い機会を与えて頂いた畑山先生に感謝いたします。」
 「今回の大阪での講演を始めとして、渡部くんが先生のお世話をしてくれるようになったので。渡部くん、よろしくね。」
 「はい、たつや先生が大阪に来て頂いて、いろいろなお話や今まで疑問に思っていたことをこの機会にしっかりとお訊きしたいと思います。」
 「講演日は、明日の午後6時から1時間となっています。その後、懇親会を催す予定ですのでよろしくお願いします。それまでは、このホテルでごゆっくりとお過ごしください。」
 「そうですか。渡部くん、それまでお世話になるかも知れませんがよろしくお願いします。」
 「私、遠慮なんかしませんから。明日の朝から先生のお部屋によせて頂きます。」
 「では、畑山先生も渡部くんも、また、明日。」
 たつやは、ホテルインの手続きを済ませて、フロントで部屋の鍵を貰い、ホテルマンに案内されながら、畑山と流正と別れた。

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第6章 殷鑑不遠 第4節

首里城 陽介は沖縄が琉球国であったことぐらいは知っていたが、その琉球国がいつ頃出来たかは知らなかった。首里城が14世紀の末に建てられたことぐらいの知識でした。
 「先生、『中山世鑑』を編纂されたころに琉球国があったのはわかりました。しかし、それ以前がわかりません。」
 「中山世鑑に書かれているように。13歳の時、父、源為義に勘当されて九州に追放され、鎮西総追捕使になっていた源為朝は、保元の乱で崇徳上皇側に付き、後白河天皇側の平清盛に敗れ、伊豆大島に流され、最後はその地で自害した。その源為朝が沖縄に逃れるストーリーがあり、その為朝の子が舜天になり、初代琉球国王になったとあります。舜天は、それまで沖縄を支配していた天孫氏を滅ぼした逆臣、利勇を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされている。1187年のことらしいけれど、実存性は乏しい。」
 「それはないでしょう。保元の乱が1156年で、1170年に島で生まれた9歳になる我が子、為頼を刺し殺して、自害している。」
三山時代の勢力図 「りょう君、日本史ではそうなっていますね。そてから、舜天から3代続いて、沖縄は天孫氏の流れを汲む英祖王統になる。その頃、元寇が日本に攻めてきた頃です。英祖王統が5代続いて、三つに分裂します。それが三山時代で、北山、中山、南山に。1429年に第一尚氏の第2代王になる尚巴志が三山を統一。尚円王が1469年に第二尚氏の初代王となって、明治時代の廃藩置県まで第二尚氏の王権が続いた。」
 「先生、よくわかりました。琉球国の前は天孫氏が。」
 「天孫氏。日本の天孫族ではないのですか。天皇陛下を中心にした。」
 「天照大神を祖先に持つ皇室、氏族が天孫族ですね。沖縄の天孫氏は、奄美群島にも存在していました。また、琉球神話のアマミキヨは、アマミクとも言います。奄美群島ではアマミコと言っています。ちょっと、メモするね。」
 たつやは、紙とペンを用意した。 
 「天孫の天をアマ、孫をミコと読めば、アマミコとなる。」
 「読もうと思えば、よめますね。」
 「日本書紀によると、斉明天皇の時代、657年に奄美群島からアマミの文字使者が来ています。その時に『日本書紀』には「海見嶋」と記入されています。また、天武天皇の時代、682年に「阿麻弥人」と。『続日本記』には「菴美」と記されています。奄美群島からヤマト王権に朝貢している。」
 「これも読めますね。」
 「アマクミを漢字で書くとこおね。」
 「これって、アマミキヨは奄美から発しているということですか。」
 「中山世鑑では、天孫氏の統治は乙丑に始まり、丙午の年になるまでの間、およそ17,802年、25代にわたったと記載されています。そんな長くはないですよね。始まりの乙丑の年は、中国の『隋書』に「流求」の名が記載されている605年と同じであるため、これから取り入れたと考え、また、滅亡した丙午の年は舜天が即位した1187年の前年にあたるとし、すなわち1186年を天孫氏が滅亡した年としたのではないか。」

明時代の地図
 「そうすると、沖縄と奄美群島は一体だったのですか。」
 「そうかも知れませんね。その当時の中国では、台湾も含めて流求としていたみたいです。」
 「605年と言うと推古天皇の時代ですね。そして、607年には小野妹子を遣隋使として派遣している時代ですね。日本神話はその頃にできたと思いますし、琉球神話も日本の影響を受けて、出来上がったように思います。」
 「りょう君、いいところに気が付きますね。」
 「これから話すことは、憶測になり、研究材料にはなりませんが。沖縄の天孫氏の祖先と天皇家や皇族や天孫族の豪族の祖先も同じ民族ではなかったかと思っています。」
 「先生、沖縄の話、とても参考になりました。そうだよなぁ。陽介。これで、沖縄旅行がもっと有意義なものになりそうです。ありがとうございました。」

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