第一部 渤海 第三章 塩売り 第五節
ひろりんがこうしょうと見たウェイファンの朝市は、ひろりんが想像していたのと少し違っていた。広場に各地から持ち寄った商品を並べて店にしているのではなくて、持ち寄った商品を必要としている人達と交渉して、相手の持っている商品と物々交換をしている風景がひろりんの目に入って来た。
古代中国で貨幣経済が浸透したのは、殷王朝(紀元前千六百年頃~紀元前千四十六年)時代で、貝を貨幣にして商品の売買を始めている。
「こうしょうさん、この広場に私が作った塩を持ってくればいいのですね。そして、私が必要としている物と交換すればいいのですか。」
「まぁ~。そうですね。でも、交渉がうまく成立すればよいですがね。」
「りょうこうさまは、塩をどのように売っておられるのですか。いゃ、どのように交渉されているのですか。」
「ご主人は、元々、舜の流れを汲むお方でタイユェン(太原)の出身なのです。」
「舜と言いますと、父親や弟に殺害されそうになっても親孝行を尽くされた方ですか。」
「そうですね。歴山で耕作し、雷沢で漁業を営み、河浜で瓦器を焼き、寿丘で什器を作り、負夏で商売を行って利益を納めた。そして、堯の後を継いで天子になられた。天子になられてから、北方、南方、西方を巡幸されました。」
「それで、りょうこうさまも各地を周っておられるのですか。」
「各地に知り合いがたくさんおられるのです。」
「りょうこうさまは、負夏で商売を行って利益を得られたと言われましたね。」
「タイユェンの出身ですから、三方の山に囲まれ、それらの山から岩塩が産出されたのです。その岩塩を各地で売買されたのです。」
ひろりんが生きていた紀元前二千年頃には、河南省、山西省の東部、河北省の南部に舜の後を継いだ禹が夏人(揚子江付近にいた越人)を中心にした夏王朝(紀元前二千七十年頃~紀元前千六百年頃)を築いていた。黄河の氾濫を治めた民族が政権を手にしたのでしょう。古代中国で、夏王朝が治めた領土は中原と言われ、夏人だけでなく黄帝が率いる華夏族や舜が率いる青銅器文化(二里頭文化)を持つ商人(殷王朝を築いた民族)や三苗(現在のミャオ族)や黎族や洪水を起こすことができた共工(現在のチャン族)が集落を形成して生活していた。この時代にはすでに稲作が浸透し、黄河の氾濫を治めることができた民族が政権を握っていたことになる。
「ひろりんさん、私達とタイユェンやナンヤンに行きませんか。」
「こうしょうさん、連れて行ってください。その前に、私が作った塩を織物に交換して、ライシュウに帰ります。」
ひろりんとこうしょうは、朝市の様子を見てから、りょうこうの住居に帰ってきた。
「ひろりんさん、朝市は如何でしたか。」
「こうしょうさんにいろいろ教えてもらいました。私の塩を朝市に持っていって、織物と交換するつもりです。」
「交渉をうまくしなさいよ。」
「りょうこうさんは、各地に塩を売買なされているとお聞きしましたが。」
「ひろりんさん、私と一緒に各地を回りますか。」
「是非、連れて行ってください。朝市で塩を織物に交換したら、ライチョウに一度帰って、またりょうこうさんのところに戻ります。」
ひろりんは、塩を担いで朝市に行き、先ほど目ぼしい織物を持った行商を見つけておいたので、交渉して、塩と織物を交換した。そして、プー子に織物をプレゼントするため、ライチョウに帰郷した。
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