いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ: 中国歴史推理小説「ひろりんとプー子の物語」

第一部 渤海 第四章 商機 第五節

 ひろりんの時代、紀元前二千年頃のジーナン(山東省済南市)は山東龍山文化が黄河の氾濫により崩壊し、夏王朝によって建て直しを図っていた。山東龍山文化は、揚子江辺りからやって来た南方系の民族で、水田による稲作を進めていた民族でした。この中には、ミャオ族なども含まれていたと思う。夏王朝もこれらの南方系の民族だと考えられ、ジーナン辺りの開発に力を注いだ。また、ジーナンから西へ進み、ヂェンヂョウ(河南省鄭州市)からルオヤン(河南省洛陽市)で宮殿を建て、二里頭文化(紀元前二千百年~紀元前千八百年頃)を栄えさせた。
 りょうこうの祖先は、シーアン(陝西省西安市)より東からこの山東省にやって来たので、ルオヤンの事情には詳しかった。
 「りょうこうさん、せんぎょうさんとはどのような関係なのですか。」
 「せんぎょうさんは、ルオヤンで東方からくる商品を捌いておられる方なのです。私がライチョウ湾などで仕入れた塩をせんぎょうさんの扱う商品と交換しているのです。」
 「せんぎょうさんは、何故ウェイファンに来られたのですか。」
 「今年の塩の出来ぐあいを調べにこられたのです。そして、私が調達した塩を。」
 「塩の状況を調べられて、どうされるのですか。」
 「せんぎょうさんは東方の商品を塩と交換するのには、塩の価値、品質を知っておかねばなりませんからね。」
 「せんぎょうさんは、ジーナンの様子をりょうこうさんに伝えたのですね。これは何故なのですか。」
 「それはね。ジーナンの人々、ジーナンの街が今、何を求めているか。どのような商品を望んでいるかを調べておられるのです。そのことを私にいろいろと話されておられました。」
 「それで、りょうこうさんもジーナンに行かれるのですね。」
 「まぁ、そんなところですかね。ひろりんさんが持って来た塩を売るためかな。」
 ジーナンは、シャンチュウ(河南省商丘市)、アンヤン(河南省安陽市)辺りから洪水から逃れていた人々が帰郷して、新しい生活をし始めていた。そして、人口が増えることにより、ルオヤン辺りからさらには、シーアン(陝西省西安市)辺りから、装飾品や馬や牛などの家畜などが持ち込まれていた。
 ひろりん達がジーナンに辿り着いた時、りょうこうに声を掛けてきた行商の若い男が現れた。
 「その塩を買い取りましょうか。その代わり、私が持っている物をお見せして、あなたが気に入られたらのことですがね。」
 竹で作った箱から取り出したのは、今までに見たことがない青の鈍い色で、見るからに硬そうな土器でした。
 「これ、何処で手に入れたのかね。」
 「シーアンの東のランヂュウ(甘粛省蘭州市)で、馬に乗り、肌の色が白く、目の辺りの堀が深く、鼻の高い男から貰った。」
 カスピ海の付近にイラン系とインド系のアーリア人が遊牧をしながら生活していた。このアーリア人がカスピ海の北東部からアルタイ山脈に掛けて、銅鉱石を求めアンドロノヴォ文化(紀元前二千三百年頃~紀元前八百年頃)を築いた。この文化の中心が青銅器だったのです。だから、アーリア人が中国の甘粛省蘭州市に現れても不思議ではないのです。そして、夏王朝が築いた二里頭文化も後半には青銅器が現れ、青銅器の工房跡も二里頭遺跡から発見されています。
 ひろりんは、このまばゆい青銅器の土器を見て、欲しくなった。
 「りょうこうさん、この土器を買いましょう。」
 「いやぁ、待ちなさい。この土器のことを調べてからにしましょう。この土器の値打ちが分る人は、このジーナンにもいないし、シーアンにもいないかも知れません。」
 「そうですかね。」
 「この土器と他の高価な商品に交換できるかがまだ分らないのです。」
 「そうか。それが商いというものなのだ。りょうこうさん、分りました。」
 ひろりんはジーナンに来て、りょうこうが普通の塩売りではないことを悟った。そして、今回、ライシュウから持って来た塩はりょうこうが教えてくれた生活用品に交換して、牛に積み、りょうこう達とウェイファンに帰っていった。


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第一部 渤海 第四章 商機 第四節

 ひろりんは牛に塩を積んで、ウェイファンにやって来た。そして、りょうこうの玄関口まで来た時、こうしょうが出向かえてくれた。
 「ひろりんさん、たくさんの塩を持って来ましたね。それだけの塩があれば、いろいろな商品と交換できますよ。」
 「りょうこうさんは、おられますか。」
 「主人は今、ジーナンから来たせんぎょうさんとお話をされています。」
 「では、この辺りでりょうこうさんとお会いするまで待ちます。」
 ジーナン(山東省の済南市)の県級市の章丘市(ヂャンリチュウ)の遺跡から山東龍山文化(紀元前二千五百年頃~紀元前二千年頃)の器を卵の殻位薄くした灰陶や黒陶が発見され、ジーナンは済水が黄河に合流する地点で、山東龍山文化が栄えた頃には人口も増加したが、山東龍山文化の末期には済水と黄河の氾濫でジーナンの人口が激減し、山東龍山文化が終わってしまった。このジーナンには三皇五帝の舜の逸話が多いこと、舜が冀州(河北省の衡水市に位置する県級市)の生まれで、歴山(済南市南部歴下区にある泰山山脈の北端に位置する千仏山のこと)で耕作し、禹に命じて、治水工事をさせたとあることから、ジーナンでは堯・舜・禹の時代に洪水が多かったことがうかがえる。そして、禹が河南省とその周辺で夏王朝(紀元前二千七十年頃~紀元前千六百年頃)を創設する。
 「ひろりんさん、よう来られた。その牛に載せているのは塩ですね。」
 「ライシュウで、たくさん作ってきました。この塩をどうしたら良いのですか。」
 「さっき来られたせんぎょうさんの話では、ジーナンでは夏王朝の治水工事が進んできて、洪水のため、ジーナンを離れていた人達が戻って来ているらしいのです。」
 「ジーナンって、そんなところなのですか。」
 「昔、堯帝が舜帝に王位を譲って、その舜帝が禹帝に治水工事を手掛けるように指示したのです。それから、禹帝は治水工事に励み、舜帝の後、夏王朝を。」
 「そうなのですか。それで、ジーナンは洪水が少なくなって、人が戻ってきているのですか。」
 「ジーナンの西に行くと、ヂェンヂョウ(河南省鄭州市)があり、ここも洪水に悩まされた。そしてさらに西に行くと、ルオヤン(河南省洛陽市)、さらにシーアン(陝西省西安市)があって、その西の方から、私達が望んでいる商品が流れてくる。」
 「ヂェンヂョウやジーナンが洪水にあった時、皆は何処に逃げたのですか。」
 「私もはっきりした事は分らないが、お爺さんに聞いた話では、シャンチュウ(河南省商丘市)、アンヤン(河南省安陽市)、さらに北のシンタイ(河北省邢台市)、その北のシージャーヂュアン(河北省石家荘市)、その西にタイユェン(山西省太原市)があり、このウェイファンなどに逃げたらしい。」
 「そうなのですか。りょうこうさんは、ナンヤンも含めて、これらの集落に塩の行商をされているのですか。」
 「そうだよ。ひろりんさんもそのうち連れて行ってあげるから。」
 「お願いします。それで、今回はジーナンに行かれるのですね。この塩を持って。」
 「察しが良いね。」
 ひろりんは、りょうこう達とジーナンに塩売りに行くことになる。


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第一部 渤海 第四章 商機 第三節

 ひろりんとプー子の時代になると、中国では自給自足の生活から脱皮し、稲作技術の発展により、米の生産が増加し、日頃の食生活の分量よりも余るようになってきていた。そして、農耕作業の合間の時間に藁で作った製品や裏山で取れた竹などから作る竹細工の製品の生産や原始的な蚕育成も行なわれ、分業とは行かないまでも、兼業をするようになった。集落の人々の中で余ったものを生活するのに必要なものに交換する習慣が生まれ、集落の決められた場所でそれらの商品が置かれるようになり、これが市の始まりとなったのです。現在の市場とは様相が少し違っていた。
 ひろりんとプー子の時代は、中国の夏王朝の時代でしたが、紀元前千六百年頃、殷王朝が夏王朝を滅亡させてから、殷王朝はこの市を発展させ、西域あたりまで商品を運び、西域の商人と商品の交換をして、西洋(古代ギリシャ、古代エジプト等)や中東(バビロニア王朝、古代ペルシア等)の商品を中国にもたらした。その中には、青銅器の器や水晶球や羊毛で作られたじゅうたんも含まれていた。また、バビロニア王朝などは、周辺の国々と交易を進めるため港を開いていたので、中国の江蘇省あたりから船でそれらの港に航海し、商品の交換も行なわれるようになった。この商いは沈黙交易と言われ、原始的な商品交換として、西域の都市や海上都市のある地域で市がたち、原始的な交易が行われていたようです。
 「ひろりん、この間、ウェイファンに行って、持って帰ってきた牛に背負わせるぐらいの塩が出来上がってきたよ。」
 「そうか。いよいよ塩をタイユェンやナンヤンに持って行けるのだな。」
 「ひろりんがよく言っている市って、どんな感じなのかな。プー子も見てみたい。」
 「いずれ、プー子を連れて行ってあげるよ。」
 「人がたくさん、その市にいているの。」
 「いやぁ、ウェイファンではそんな感じじゃぁないね。ただ、交換したい品物が置いてあるだけだよ。」
 「タイユェンやナンヤンもそうなのかしら。」
 「分らない。ただ、りょうこうさんやこうしょうさんについて行くだけだから。ウェイファンよりは賑やかなのかな。」
 「私も、行きたい。」
 ひろりんは、塩売りのりょうこうがタイユェンやナンヤンでどのような商いをするのか、楽しみにしていた。


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第一部 渤海 第四章 商機 第二節

 プー子はボンライで母親から亀甲占いを教わり、巫女の修行をしていたので、ひろりんの塩売りの商いについて、ひろりんに内緒で占ってみた。亀の甲に呪文の文字を刻み、海水を土器に入れて、塩を作るためのかまどで炙ってみた。そして、呪文を唱え、亀の甲がはじけるような音がした。すると呪文の文字は、はっきりと残り、その周りはひびだらけになった。
 プー子は、大声で。
 「これは。」
 この占いが吉と出たのです。ひろりんが塩をその他の商品に交換して、生活の糧にすることができると占いでは出たのです。
 現在の占いというと男女の相性とか、人生において進路の決定などの個人占いがほとんどですが、紀元前二千年の頃の占いというと太陽の日照りの状況や雨の状況の気象状況を主に、自然界の移り変わりを占っていたのではないでしょうか。また、この頃には、水田による稲作も行われていたので、環濠集落も存在していたので、集落の掟なども占っていたのでしょうか。そして、これらの集落がそれぞれの神が創造し、占いと祈祷(原始宗教)が合体して、シャーマニズムが形成された。すなわち、亀甲占いや巫術を用い、霊・神霊・精霊・死霊などの超自然的存在と交信する行為により、天変地変などを占った。また、紀元前千六百年以降の殷王朝の時代には、国家の政策も亀甲占いや巫術が用いられている。
 「ひろりん、塩売りを亀の甲で占ってみた。」
 「へー。どうだった。」
 「吉とでたよ。」
 「そうか、それはよかった。そうなると、また、塩をウェイファンに持って行って、牛を仕入れてこよう。」
 「また、ウェイファンに行くの。」
 「そうさ。その間にプー子は塩作りに励んでほしい。それと、塩を作る仲間をさがしてほしい。」
 「そうか、塩作りを仲間と一緒にして、塩をたくさん作り、ひろりんがウェイファンに行って、牛を仕入れてきて、牛にたくさんの塩を積ませて、タイユェンやナンヤンに売りに行くのですね。」
 「そうだよ。そして、タイユェンやナンヤンで織物や竹細工などに交換して、それらを牛に積ませて、ウェイファンやズーボーやジーナンに持って帰り、それらを売るのさ。」
 ひろりんは、漁師の子として生まれたが、小さい時から、好奇心の強い性格で頭の回転が速く、行動力があるタイプでした。プー子は、人当たりがよく、朗らかな性格で、頭も明朗なタイプだったので、人に好かれていた。このようなふたりが、塩売りという商いに力を合わせて取り組んで行くことになる。


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第一部 渤海 第四章 商機 第一節

 「プー子、この織物いいだろう。」
 「お帰りなさい。どうでしたウェイファンは。」
 「にぎやかな集落だったよ。そして、塩売りのりょうこうさんと知り合った。それと、こうしょうさんとも。」
 「ひろりん、それで塩売りを続けるの。」
 「そうだな。こうしょうさんが、タイユェンやナンヤンに連れて行ってくれると言っているので。」
 「これから、プー子は如何したらいいの。」
 「塩作りを続けてほしい。」
 紀元前九千年前に、メソポタミア地方でシュメール人が農耕をはじめたのですが、農作物は中国や朝鮮や東南アジアの米ではなくて、野生の小麦を品種改良して、この小麦の種をメソポタミア地方で栽培することからはじめた。そして、紀元前六千五百年頃から、集落が出来始め、小麦を中心に物々交換が行なわれるようになった。シュメール人は、この集落を束ねるようになって、紀元前三千百年頃には、都市国家を形成し、メソポタミア文明が花咲いた。その頃から、小麦が貨幣の替わりをするようになり、小麦をある一定の量とその他の生産物との取引が行なわれるようになったと思われる。
 中国でも、メソポタミア地方の小麦の替わりに米が焼畑による陸稲栽培が紀元前一万年頃からはじめられ、紀元前四千年前頃には揚子江の下流で水田による稲作がはじめられていた。ひろりんやプー子の時代、紀元前二千年頃には、米も小麦と同じ様に貨幣の替わりをするようになっていたのだろう。また、塩も米と同じ様な商品として、塩をある一定の量を提示すれば、そのたの商品と交換ができるようになっていたと思われる。
 「プー子が作った塩をタイユェンやナンヤンに持っていって、織物や竹細工に替えようと思う。」
 「塩を織物や竹細工と交換して如何するの。」
 「織物や竹細工をウェイファンやズーボーやジーナンで生活必需品に変えようと。」
 「私達が住んでいるライシュウでも、織物や竹細工が欲しい人もいますよ。」
 「そうだね。その人たちに塩作りを手伝ってもらうか。」
 ひろりんとプー子が塩を通じて、これからの生活する上で、商いの芽生えを感じていた。


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