いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ: 古代伝記小説「いにしえララバイ」

第2部 漢委奴国王印 第9章 一の宮にて
 
 イベズカサの船は、宗像の集落に着いた。すると、イベズカサの孫のコシノアカネがイハレビコの側にやって来た。
 「イハレビコ君、これからどちらに行かれるのですか。」
 「そうですね。兄が手掛けている一の宮に行こうと思います。オホノミカデオミ様やカモノカサメルネ様も連れて行かねばならないし。」
 「私もお供させてください。お爺様には、先ほど会って、イハレビコ君にお供する事を許してもらいました。」
 「それでは、一緒に行こう。」
 「今日は、宗像の集落にお泊りください。明日早朝に、一の宮に向けて出発しましょう。」
 イハレビコ達は、娜国を通り過ぎて、大宰府の集落で一泊して、九重連邦を左に見ながら、阿蘇山が見える一の宮に近づいて来た。
 「オホノミカデオミ様、どうかなされたのですか。」
 「これが、阿蘇の鉄鉱石ですか。今、拾いました。」
 「そうです。私も、以前この辺りに来て、鉄鉱石を拾いましたから。」
 「これから、この鉄鉱石を採取して、鉄器を生産していくのですね。」
 「そのため、新たに一の宮の集落を建設しているのです。そして、オホノミカデオミ様とカモノカサメルネ様がこれから中心になって。」
 「分かりました。これからが楽しみです。」
 「若君、あそこに。」
 「ミチノオミ、どうした。」
 「あの集落が一の宮の集落ですか。」
 「うん。りっぱな集落が出来上がっている。さすがに、イツセの兄様じゃ。」
 イハレビコ達は、一の宮の集落に向かって、足早になった。一の宮の集落はすでに環濠も集落の周りに出来上がっていた。
 「兄上、ただいま戻りました。」
 「ご苦労さまでした。まぁ、募る話もあろうが、今日は、この一の宮でゆっくりと旅の疲れを取られよ。先ずは、食事を用意させるから。」
 イハレビコ達は、その日、食事を取り、速やかに床に着いた。そして、翌朝、改めてイツセと面会した。
 「兄上、一の宮の集落も完成しましたね。」
 「大君は、私をこの一の宮の集落に住ませるつもりらしい。」
 「一の宮は、これから日向の国の要になる集落ですから。」
 「そうだな。それで、山戸の国はどうであった。」
 「その前に、オホノミカデオミとカモノカサメルネを紹介しましょう。」
 イハレビコの後ろに控えていたオホノミカデオミとカモノカサメルネは、イハレビコの前に出て来て、お辞儀をし、また、イハレビコの後ろに座った。
 「この者が、これから兄上の手助けをします。」
 その後、イハレビコはイツセに山戸の国の話をしながら、イハレビコの祖先が周の国が西周から洛邑に移動した東周になった頃、周の高貴な貴族が倭に移住したと聞いていますとワニノカスガワケが言った事を思い浮かべていた。
 「兄上、私達の祖先が周の国の貴族であった事をご存知ですか。」
 「そんな話、大君から聞かされていない。そうだ、この一の宮の集落を見に、数日後、おいでになられる。その時に、大君に聞こう。」
 イハレビコとイツセは、山戸の国の土産話が終わり、将来の日向の国についての話に移っていった。
 「兄上、これから、一の宮が日向の要になるのですから、この地で鉄器を生産して軍事力を強化せねばなりません。」
 「軍事力。」
 「そうです。この一の宮を守るため、若いては日向の国を守るためです。」
 「鉄器の生産は、稲作の増産、言い換えれば、国力を上げるためではなかったのか。」
 「そうです。鉄器を使用して、水田の灌漑工事を速やかに行い、稲作の増産により、国の財政が裕福になり、我ら部族の人々が稲作以外の作業にも着手できるようになります。そうすれば、軍事力も強化できます。」
 「稲作の増産のために、山戸の国に行って、鉄器生産のためにオホノミカデオミとカモノカサメルネを連れて来たのではないか。」
 「私も、最初、山戸の国に渡る頃までは、そのように考えていました。」
 「では、何故、今になって軍事力の強化なのだ。」
 「そうですね。先ずは、娜国です。あの国は、私達が周の国の貴族であったかは定かではないですが、私達の祖先はかなり昔に稲作の技術を持って、この日向の国に漢の国から渡って来たことは事実です。それなのに、今の日向の国は娜国に比べて遅れています。」
 「娜国の部族は、韓の国から渡って来たのだろ。」
 「確かに、韓の国から渡って来たのですが、彼らの文化や生活形式を見ていると、私達と同じように周の時代まで遡れます。漢の国にいた部族も混じっていますから。」
 「韓の国の部族は、皆、鉄器製造技術を習得している部族ではないのか。」
 「韓の国のすべての部族は、同族ではないのです。漢の国からきた部族もいれば、東夷の国からきた部族もいます。鉄器製造技術も北方から齎された技術もあれば、漢の国の中心部から齎された技術もあり、南方からも若干ですが齎されています。」
 「韓の国がひとつの民族ではなく、他民族の国なのか。」
 「山戸の国に行って分かったのですが、韓の国にはかなりの小国家が存在しています。そして、その各々の国から筑紫の国に渡ってきて、娜国のような国を形成しているのです。だから、日向の国は軍事力を強化して、娜国のような新興の国と戦わなければなりません。筑紫の国が韓の国からきた部族によって、占領されています。」
 「娜国の大君は、漢の皇帝より国王印を頂戴して、日向の国などを含めた私達の領土の国王として認めさせたのでしょう。」
 「だから、兄上、我々は軍事力を強化させ、我々が日向の国以外の領土を治め、我らが統一された国土の真の国王にならねばなりません。」
 「分かった。軍事力の強化だな。鉄器をこの一の宮で生産して、武器の強化を図るのだな。大君がこの一の宮に来られた時に、進言してみよう。」
 イハレビコとイツセの会話から、将来、この二人が日向の国を出て、倭の国まで東征を図ることになるとは、この時点では二人とも知る余地もなかった。
 イハレビコがイツセに山戸の国の報告を終え、イツセが用意してくれたイハレビコの仮住居に帰ってきた時、山戸の国に同行したミチノオミとアマノタネキとコシノアカネがイハレビコを迎えた。
 「若、お帰りなさい。イツセ様とはどのようなお話をされたのですか。」
 「山戸の国のことや鉄器のことをお話してまいった。それと、軍事力の強化の話も。」
 「軍事力の強化ですか。必要ですね。」
 「ミチノオミには、これからがんばってもらわないと。」
 「承知しました。」
 「コシノアカネ、そちにお願いがあるのだが、軍船
を作れるか。」
 「軍船ですか。作れますとも。」
 「若、軍船をどうされるのですか。」
 「鉄器を生産することになれば、鉄を使った頑丈な船、軍船を用意しようと思っている。それには、コシノアカネが必要なのだ。」
 「分かりました。イハレビコ君のお力になります。」
 「それから、この一の宮の数日後、大君が来られるそうなので、それまで我々はここで滞在することになった。」
 イハレビコ達は、夏の阿蘇山を眺めながら、阿蘇山から吹き降ろしてくるそよ風を感じながら、大君の到着を待っていた。
 「若、大君が一の宮に到着されました。イツセ様の使者によると至急に宮殿の方に来るようにとのことです。」
 「分かった。ミチノオミとアメノタネキ、着いて参れ。」
 イハレビコが一の宮の宮殿に到着した頃には、大君は居間の中央に座っておられた。
 「イハレビコ、山戸の国の勤め、ご苦労であった。先ほど、オホノミカデオミとカモノカサメルネに会ったぞ。」
 「大君も、この一の宮まで長旅お疲れでしょう。」
 「今先ほど、イツセから聞いたのだが、この一ノ宮の集落を軍事力の拠点にすると。そうだな、鉄器を生産し、その余禄で軍事力の強化か。それもよいことだ。今度の皆が集まった時に、これからの日向の国の方針の中で、軍事力の強化も入れるようにしよう。」
 「ありがとうございます。」
 「この後、宴をはじめるので、イハレビコの山戸の国の土産話など聞かせておくれ。」
 それから、数時間たって、夕暮時に宴が始まった。最初に、久米衆の久米舞から始まり、大君の左横にイツセが座り、右横にイハレビコが座った。宴も中盤に入った頃、イハレビコは大君に山戸の国の話をし始めた。
 「イハレビコ、山戸の国はそのようなことになっているのか。」
 「はい、大君、娜国のような新興国家が筑紫の国に出来てきているのも、山戸の国からの渡来系なのです。そこで、日向の国も軍事力の強化が必要と感じました。」
 「私のお爺様、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギがこの日向の高千穂に天孫降臨されて、日向の国を治められたから、この国を守らなければならない。」
 「山戸の国にワニノカスガワケという人がおられまして、私の祖先は周の国の貴族の出だと言われるのです。大君は何かその辺のことをご存知ですか。」
 「そんな話を聞いたのか。私のお爺様が日向に来られる前の話だな。お爺様がこの日向に到着された時、従えてくれたのが、ミチノオミの祖先、アメノオシヒとオホクメの祖先、アマツクメなのだ。アマツクメは元々か海運術を持っていて、漢の国から海を渡って、お爺様をこの日向まで届けてくれたのだろう。アメノオシヒは、漢の国でお爺様に使えていた軍人だったのではないだろうか。私達の祖先が漢の国から渡って来たことは事実ですが、漢の国のどの地方の出身かは、私にも分からない。」
 「そうなのですか。」
 「私の父、アマツヒコヒコホホデミは、ヤマサチビコとも呼ばれ、狩りが得意であったことは知っている。伯父にウミサチヒコがおられ、漁を得意にしておられたので、我らの祖先は、山にも近く、海か大河に近いところにおられたのかも知れない。」
 イハレビコは大君の話を聞いて、イハレビコの祖先が漢の国から日向に渡来した事が確認できた。
 その宴も終わり、イハレビコはミチノオミとアメノタネキを連れて、仮住居にかえってきた。そして、数日後、コシノアカネをその仮住居に残して、高千穂の宮殿に向けて出発した。


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第2部 漢委奴国王印 第8章 対馬にて
 
 イハレビコ達はイベズカサの船に乗り込み、朝鮮海峡(対馬海峡西水道)を渡り、対馬に到着した。イハレビコは船の中で、ワニノカスガワケが語ったイハレビコの祖先が、周の国から来た事について疑心を持っていた。
 「イハレビコ君、対馬に着きました。ここで、積荷を降ろしたり、積んだりしますので、三日程、停泊します。」
 「イベズカサ様、山戸の国を出る前にワニノカスガワケ様が私達の祖先について語られました。その話が気になるのです。」
 「どのような話ですか。」
 「私の祖先が、周の国の貴族の出であると言う話です。」
 「周の国が西戎に攻められて、都を東の洛邑(河南省洛陽市付近)に移した頃、イハレビコ君の一族が華北地方に移り住んだ話ですか。」
 「何故、そこまでご存知ですか。」
 「いや、対馬に亀甲を焼いて吉凶を占う、卜術を使うウラベノイサリベと言う者に、周の国が東に移った時、華北地方に移り住んだ部族がいた事を聞きました。それが、イハレビコ君の部族であったかは定かでないですけれどね。」
 「ウラベノイサリベ様にお会いしたいですね。」
 「分かりました。私の手下をウラベアガタマ様の所に遣らせましょう。そして、イハレビコ君に会わせましょう。少し、お待ちください。」
 亀甲による占いは、紀元前三千年から紀元前二千年頃に黄河の中流から下流に掛けて発展した龍山文化で発生したと言われ、殷の国(紀元前千六百年から紀元前千四十六年)によって、亀甲文字が発明されるようになり、亀甲占いが盛んに行われるようになった。
 この黄河文明の龍山文化が齎したものとしては、中国の元の王 の書「農書」に、淮南王蚕経にいう黄帝元妃西陵氏始めて蚕との文章が載せられているように、黄帝と言えば三皇五帝の時代(紀元前三千三百五十年~紀元前二千七十年)頃に養蚕が行われた。また、三本脚の調理器の土器や陶器、翡翠の玉も発掘されている。そして、動物の肩胛骨を使った占いや巫術も行われたようです。
 龍山文化の後期から夏、殷の国の中期までは、青銅器が主流を占めていたが、殷王朝の後期になって、西戎等の遊牧民族によって鉄器が導入され、周の国(紀元前千四十六年から二百五十六年)の西周時代(紀元前千四十六年から紀元前七百七十一年)には亀甲占いができる民族と鉄器製造技術を持った民族の融合が行われたと思われる。この鉄器製造技術を持った民族には、太陽神として太陽の黒点を信仰し、火鳥(三本足の八咫烏)を太陽神の使者として崇める天つ神系の民族も存在していたかも知れない。また、西周が西戎の襲撃を受け、東の洛邑に遷都した紀元前七百七十一年頃から春秋時代が始まるのですが、西戎出身と言われている秦国(紀元前七百七十八年から紀元前二百六年)が甘粛省礼県辺りに勃興され、鉄器製造技術を持つ民族を優遇し、莫大な財力を背景に紀元前二百二十一年、秦の始皇帝によって中国が統一された。
 イハレビコは停泊している和珥津の湾岸から見える水平線の彼方、中国大陸から連なっている朝鮮半島を眺めていた。その時、オホノミカデオミとカモノカサメルネがイハレビコに近づいて来た。
 「イハレビコ君、私の祖国を眺めておられるのですか。」
 「山戸の国の向こうには、どのような国があるのかと。」
 「そうですね。我が国の北には韓の国(中国の戦国時代)から渡って来た移民の国や土着の民族(濊狛族)の国や秦の始皇帝の労役を逃れてきて国を作った民族や東夷からやって来た民族(濊系扶余種族)の国がありますね。私の祖先も韓の国から来たと言われている。」
 「カモノカサメルネの祖先は何処から来たのだ。」
 「私の祖先は、扶余国から来たと言われていますが、それよりも前は西戎辺りでしょうか。」
 「では、私の祖先もそうなのだろうか。」
 イハレビコの祖先が中国の何処から来たかについては、五つのポイントがあります。一つは、天つ神系の天孫族である。二つ目は、父系家族である。三つ目は五穀に関わりある農耕民族である。四つ目は、養蚕業に関わりがある民族である。五つ目は亀甲占いと翡翠に関係がある民族です。これらのポイントを満たしてくれる中国の少数民族となるとかなり限定し難い。天つ神系と言えば、遊牧民族の太陽信仰を思い浮かべ、父系家族も遊牧系民族です。しかし、五穀特に稲作に関係がある農耕民族となると話がややこしくなってきます。そこで、養蚕にも関係があると言う事は、遊牧民族から家畜をしながらの農耕に移行した民族と言う事になります。さらに、亀甲占いや翡翠となると、龍山文化を起こした民族となるのです。
 龍山文化には、中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)と山東龍山文化に分けられます。中原龍山文化、特に河南龍山文化は仰韶文化(紀元前五千年~紀元前三千年頃)の影響を受け、稲作は焼畑により、土器はろくろを使用していないで、幾何学模様が特徴であった。また、焼畑農業と狩猟生活をし、非常に専門化した研磨された石器で、狩猟によって得た動物を家畜し、原始的な養蚕も行っていたようである。山東龍山文化は大汶口文化(紀元前四千百年~紀元前二千六百年頃)の影響を受け、また、水田による稲作農業を行っていた長江文明の良渚文化(紀元前三千五百年~紀元前二千二百年頃)の影響も受け、陶製の三本脚の調理器、鬹や鼎が特徴的で、その他に、土器はろくろを使用する事によって、器の厚さが薄く、灰陶・黒陶(高温で焼いた陶器)が主流になる。大汶口文化では、その他にトルコ石や翡翠や象牙の加工品も発掘されている。このように黄河の中流で発生した文化と長江下流で発生した文化の融合によって、龍山文化が生成され、中国の最初の国家、夏の国(紀元前二千七十年~紀元前千六百年)に以降していく。
 中国の伝説の最初の皇帝、神農の炎帝(紀元前二千七百四十年頃)は、薬草による医療と焼畑農業を奨励したと言われている。この神農氏と涿鹿(河北省張家口市付近)の戦いで神農の炎帝の子孫、蚩尤(しゆう)に勝利を治めた公孫軒轅、黄帝(紀元前二千五百十年~紀元前二千四百四十八年)の帝鴻氏によって、華夏族(漢民族)を結成する。この辺りの伝説が中原龍山文化に当るのではないか。
 黄帝と戦った蚩尤ですが、蚩尤は天神とも言われ、砂や石や鉄を食べ、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした八十一人(一説に七十二人)の兄弟がいて、彼らと共に、武器を作り、天下を横行していたと言われ、姓が羌となっている事から、鉄器に関係のある羌族(現在のチャン族)ではないでしょうか。また、涿鹿の戦いで蚩尤に味方した山東省辺りにいた九黎族は、敗戦後、四川省辺りに逃げた三苗族(現在のミャオ族)と浙江省辺りに逃げた黎族(越族・現在の海南島のリー族)に分かれた。この九黎族の文化が長江文明の良渚文化或は山東龍山文化ではないでしょうか。
 イベズカサの手下がウラベノイサリベを連れて、和珥津に帰ってきたのは、西日が東シナ海の水平線に沈む頃でした。
 「イハレビコ君、ウラベノイサリベを連れてまいりました。今夜は、新鮮な魚も用意しましたので、宴をしましょう。」
 和珥津には、山戸の国と宗像の集落を往来するために、イベズカサの別邸がありました。そこで、イハレビコ達は寝泊りする事になっていた。
 「イハレビコ君、はじめまして、ウラベノイサリベです。」
 「ウラベノイサリベ様は、亀甲で占いをされるとか。」
 「そうです。私の祖先は漢の国の中原から対馬に遣って来ました。」
 「中原とは、どのような所ですか。」
 「漢の国の前に周の国がありまして、周の国の中心部です。」
 「何故、ウラベノイサリベの祖先は中原から対馬に来られたのですか。」
 「周の国が西戎に攻められて、東の洛邑に都を移してから、各地に国ができ、戦乱が続いたのですが、秦の始皇帝によって滅ぼされました。その時、中原から山東半島に移り、山東半島から対馬に遣って来ました。」
 「さて、イベズカサ様に聞いたのですが、私の祖先も周の国から来たとか。」
 「イハレビコ君の祖先ですか。確実な話ではないですが、それらしい話は。」
 「そのような話でもよいですから、聞かして頂けませんか。」
 「分かりました。周の都、洛邑より東に杞国がありました。この国は亀甲の占いの盛んに行われていたし、翡翠の勾玉や象牙の加工品の製造にも優れた部族がいました。そして、楚の国に滅ぼされて、その部族が山東半島から琉球の国を経由して、隼人の国に辿り着いたそうです。また、その部族の一部が東夷(華北地方)に移動したそうです。」
 殷の時代に中国の河南省杞県付近に夏を建国した兎の末柄と称して、杞国を建国した。この杞国は殷の滅亡により、一時姿を消したが、周の時代に再興して、周の配下として近隣諸国と外交関係を持ち、山東省新泰辺りにも遷都しながら、紀元前四百四十五年に楚の国によって滅ぼされた。そして、黄帝と戦った蚩尤の一族と九黎族は分散されたが、その一部が河南省に残り、夏を建国した兎の末裔として杞国を建国したのかも知れない。
 「ウラベノイサリベ様、だいたいの事が分かりました。ありがとうございました。」
 その後、イハレビコ達は雑談をしながら宴を済ませた。
 イベズカサの船に船荷を積み替えた後、宗像の集落に向かって対馬の和珥津を出発した。


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第2部 漢委奴国王印 第7章 山戸の国(4)
 
 「オホノミカデオミです。」
 「日向の国のイハレビコです。あなたを日向の国にお迎えするために、金海駕洛国まで遣って来ました。」
 「イハレビコ君、先日、ヤジラベ様が来られて、日向の国に行く事を諭されました。」
 「そうですか。ヤジラベ様が来られましたか。日向の国で鉄器を製造しようとヤジラベ様に相談しましたら、山戸の国のオホノミカデオミ様を訪ねるように言われました。」
 イハレビコは、オホノミカオミに阿蘇山の麓に一の宮の集落を建設し、鉄鉱石の採取、鉄鉱石を溶かして鉄を製造する炉の設置等を日向の事業として行っている事を説明した。
 「オホノミカデオミ様に鉄器製造の長として、ミワタチキオミの集落の金工鍛冶師カモノカサメルネ様と一緒に日向の民を指導して頂きたいのです。」
 「分かりました。日向の国に行きましょう。ただ、私達の部族の君主ワニノカスガワケに許可を得なければなりません。」
 「オホノミカデオミ様、ワニノカスガワケ君の処に連れて行ってください。私からもお願いしてみます。」
 イハレビコはキムバイコウに別れを告げて、ワニの集落に向かった。
 ワニの部族は、朝鮮半島から鉄器文化、特に剣を日本に伝えた。神武天皇が東征した時に出てくる剣としては、熊野で神武天皇以下部隊が高熱に襲われ、倒れている時にタカクラジが剣を振り回し、布都御魂の霊の威力で救われた布都御魂剣があります。そして、神武天皇が大和を制圧した時にその剣をウマシマヂに与えた。現在、布都御魂剣は奈良県の石上神宮に奉納され神体となっています。布都とは物を断ち切る時にでる音の事で、剣を振り回した時に発生する霊として布都御魂大神が存在し、崇められた。布都御魂剣は大きな直剣で、石上神宮の他に、丸邇氏と関係が深い岡山県赤磐市の石上布都御魂神社や中臣氏と関係がある茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも神体として奉納されている。
 このように、ワニの部族は弥生時代中期に筑紫の国や出雲の国から吉備の国、倭の国へと鉄器文化を伝えたと考えられる。また、大和朝廷の草創期に丸邇氏或は春日氏として、天皇家に影響を与えていく。
 イハレビコ達はオホノミカデオミに連れられて、ワニの集落に向かった。そして、ワニノカスガワケ君と面会した。
 「日向の国のイハレビコでございます。この度、日向の国で鉄器製造のため、オホノミカデオミを日向の国に迎えたいと思っています。是非、オホノミカデオミを連れて行く事をお許しください。」
 「イハレビコ君と言われたな。アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ様の一族の方ですね。」
 「私の曾祖父をご存知ですか。」
 「アマテラス様の命により、豊葦原の瑞穂の国を治めるため、高天の原から高千穂に降臨された大君ですね。」
 「何故、そのような事を知っているのですか。」
 「私達の部族は、稲作をしながら、鉄器の生産を行っています。そして、鉄鉱石を求めて、倭人の誘いに従って、玄界灘を渡り、鉄器文化を伝えてきました。私達の部族の一部が吉備の国や倭の国にいます。」
 「あなた達の部族の者に、私の先祖の事を聞いたのですか。」
 「そうですね。確かに、イハレビコ君の一族の存在は、私達の部族から聞き、以前から知っていました。しかし、その他にも私達の部族の言い伝えなので、実際の事は分からないのですが、漢の国に昔、周と言う国がありました。そして、周の国が西周から洛邑に移動した東周になった頃、周の高貴な貴族が倭に移住したと聞いています。」
 「それは本当ですか。」
 中国史において、殷を滅ぼした姫后稷(こうしょく)は紀元前千四十六年に周を建国した。その姫后稷は中国神話で農業の神として崇められ、農政に優れ、后稷に支えた貴族が存在していた。周(西周)の第十二代幽帝の時代に諸侯のひとり、申公が遊牧民族の西戒を誘って、紀元前七百七十年に西周を滅ぼし、春秋時代に入る。そして、周は首都を洛邑(河南省洛陽市付近)に移して、東周となり、紀元前二百五十六年に秦によって滅ぼされる。尚、春秋戦国時代の韓、晋、魏の君主は周の君主の姓と同じ姫を名乗る同じ部族の出身です。
 周の時代、すでに倭人の存在が周の歴史書からも確認され、中国の春秋戦国時代に東周、韓、晋、魏から朝鮮半島を経由して、水田による稲作技術を持って、日本に渡来した事があったとしても不思議ではない。天皇家が中国の周の一族であったかは、不明ではあるが、本書では、イハレビコの祖先が中国の周王朝から来た事を仮定し、濊族系の濊貊族出身のワニの部族が配下にいた事も仮定する。
 イハレビコはワニノカスガワケと話しているうちに、イハレビコの先祖が漢の国から渡って来た事を知る事になり、何か複雑な気持ちになった。
 「ワニノカスガワケ君、色々とお話ありがとうございました。さて、オホノミカデオミを鉄器製造のため、日向の国に連れて帰ってよろしいですか。」
 「ああ、そうでしたね。オホノミカデオミを日向の国に連れて行ってください。そして、イハレビコ君の一族の配下の一員に加えてくださいね。」
 「分かりました。ありがとうございます。ワニノカスガワケ君も、是非、日向の国に来てください。」
 イハレビコ達は、ワニノカスガワケ君と別れ、オホノミカデオミを連れてミワタチキオミの集落に戻って来た。そして、金工鍛冶師カモノカサメルネも連れて、イハレビコの船が停留している洛東江の下流に到着し、船に乗り込んで、宗像の集落に向かって、玄界灘を航海した。


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第2部 漢委奴国王印 第7章 山戸の国(3)  
 
 「ミワオホミサ、この辺りの事は詳しいのでしょ。」
 「私が案内しましょう。先ずは、私の集落にて、旅の疲れをお取りください。」
 ミワオホミサの祖先は、中国の春秋戦国時代の韓非子で有名な韓の国(紀元前二百三十年に秦の国に滅ぼされた中国の河南省北部の一部、山西省南部の一部、陝西省東部の一部付近にあった国)から、紀元前三世紀頃、朝鮮半島の南部に渡って来た。そして、朝鮮半島南部、後の三韓(馬韓、辰韓、弁韓)に辰国の建設に参加した。その頃、朝鮮の北部では、紀元前二百二十二年に秦の国により滅ぼされた遼東半島の燕の国や山東半島の紀元前二百八十四年に秦や燕の連合軍によって滅ぼされた田斎の国の亡命者が箕子朝鮮を倒して衛氏朝鮮の国を建国していた。それから、紀元前百八年頃に漢の国が朝鮮半島の北部に侵略して、衛氏朝鮮の国を滅ぼし、現在の北朝鮮人民共和国の首都、平壌市付近に漢の国の朝鮮半島の北部の地方行政機構として、楽浪郡を設置した。その頃、吉林省付近にいた濊族系の扶余族や濊族系の沃沮族が南下し、その後、濊系高句麗族は紀元前三十七年に高句麗を建国し、濊系沃沮族は高句麗の支配下に置かれ、また、吉林省の東部、朝鮮半島の北東部、韓国の江原郡付近にいた紀元前百二十年頃、中国の東北地方に存在した濊国の末裔、濊族系の濊貊族が朝鮮半島の北部から南下して、辰国を滅ぼした。この様に、漢の国が楽浪郡を設置してから、辰国が崩壊し、馬韓、辰韓、弁韓は小国に分かれる。その後、馬韓は紀元三百四十六年に、濊系の扶余族の一部が百済を建国し、辰韓は紀元三百五十六年に、辰国の末裔が新羅を建国した。そして、辰国が滅亡して、中国の春秋戦国時代の韓の国から、朝鮮半島の南部に渡って来た民族は辰韓に移り住む事になるが、その民族の一部が弁韓にも住み着き、紀元一世紀頃には、キム族の中から首露王が出て来て、金海駕洛国を建国し、紀元三世紀頃には、金官伽耶国となり、紀元六世紀中期頃、伽耶諸国が新羅に吸収されていく事になる。それ以降、首露王の一族、金氏は、元々新羅の民族とは同族であったので、新羅の高官となっていく。また、弁韓に住み着いた韓の国の民族や濊族系の扶余族や濊族系の濊貊族が日本に渡り、大和朝廷の高官になった。大和朝廷が任那の日本府を置き、百済や新羅と交渉を持ち、伽耶諸国を支援していたのは、大和朝廷の高官に金海駕洛国出身の丸迩氏、賀茂氏、大神氏(三輪氏)等の氏族がいた事が想像される。
 イハレビコ達はミワオホミサの集落に向かう途中、馬に蚕を積んでいる十数人の行列を見かけた。
 「ミワオホミサ、あの馬上に積んでいるのは、蚕の繭だな。あの人達はこれから、何処へ行くのだろう。」
 「昔の言い伝えなのですが、父親の帰りが遅いので、馬に父親を探すように命じた。もし、父親を探してくれば、その馬の嫁になると約束した。馬は無事に父親を探して来て、馬は娘の約束が叶う事で、有頂天になっていた。しかし、その話を聞いた父親は、馬を殺してしまった。その死体を馬の皮にしようと放置していたところに娘が来て、娘に巻きついて、娘を呑み込んでしまった。そして、大きな蚕に変身したと言う話があります。それで、このように、蚕の繭を馬に乗せて、この地の神に奉納しに行く途中です。」
 古事記にスサノヲが高天の原から追い出されて、出雲の国でコシノヤマタノヲロチと戦う前に、食べ物をスサノヲに差し上げたオホゲツヒメが、体の一部を食べ物にしたため、汚らわしい食べ物だと怒り、スサノヲはオホゲツヒメを殺してしまうのです。そのオホゲツヒメの死体から、頭から蚕、目から稲の種、耳から粟、鼻から小豆、陰から麦、尻から大豆が生まれた。このように、古事記に蚕が記されていることから、蚕は稲と並んで、いにしえの時代から、重要視されていた事が分かる。現在でも、皇居で蚕が飼われている事から、古代天皇家の頃、養蚕が盛んにされていた事が窺える。
 「この地方では、神に稲穂を供えるのではないのだな。」とイハレビコはつぶやいた。
 「ミワオホミサ、あなた達の部族が崇拝する神は、アマテラス様ではないのですか。」
とアマノタネキが何気なく、問いただした。
 「アマノタネキ様、私達の神は天孫系の神ではないですよ。」
 韓の国には高天の原から、アマテラスの命により、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキが高千穂に降り立った天孫降臨の神話とよく似た建国神話があり、金海駕洛国の首露王が亀旨(クジ)峰に天降る話もそのひとつですが。このように、天孫降臨の神話を持つ天つ神系の部族と地神の神話を持つ国つ神系の部族に分かれていた。日本神話と共通点が多い。また、神話ですので、何とも言えないのですが、大和朝廷と出雲の国との争いのように、天つ神系の部族と国つ神系の部族間で対立があったのではないでしょうか。大和朝廷樹立の際には、天つ神系と国つ神系部族の合体があったかも知れない。
 「私達の神は、オホモノヌシ様です。」
 「山戸の国には、アマテラス様を崇拝している部族がいるのですか。」
 「アマテラス様ではないですが、タカミムス様やカムムスヒ様を崇拝している部族はいます。また、アマテラス様の子孫でアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニキ様の兄に当たるアメノホアカリ様を崇拝している部族もいます。」
 イハレビコ達は、アマノタネキを中心に山戸の国の神について、話を弾ませている間にミワオホミサの集落に着いた。
 「父上、ただ今、帰って来ました。倭から日向の国の若君をお連れしました。」
 「日向の国のイハレビコです。」
 「ミワタチキオミです。イハレビコ君、どうぞ、お入りください。長旅でしたでしょう。我が家でごゆっくり、旅の疲れを癒してください。」
 「それは、ありがたい。ご好意に感謝します。」
 「オホミサ、豊の国でしっかりと祈祷をしてまいったか。比売神は私達と関係が深い航海の神様だから。」
 神道の神としての比売神は、神社の主祭神の妻や娘として祀られている。そのため、全国に多くの比売神が居られる訳ですが、比売神の代表的な神では、宇佐比売大神とか、宗像の三女神が有名です。
 ミワタチキオミの部族は、倭の国のオホモノヌシを奉斎したシキノマカヒコカサユラの部族の後、オホモノヌシを祖とする三輪大明神を奉斎したヤマトオオミワの部族とは、同族であった。ヤマトオオミワの部族は、ニギハヤヒが筑紫の国に弁韓から渡った頃、倭の国に辿り着いていた。ミワタチキオミの部族は、後に豊の国に渡り、宇佐神宮の比売大神を奉斎して、ブンゴオオミワの部族となっていく。
 ミワタチキオミが食事を用意し、イハレビコ達が席に着いた。
 「イハレビコ君、オホミサに聞いたのですが、今回、山戸の国に渡られたのは、金工鍛冶師を探しに来られたのですか。」
 「そうです。山戸の国にオホノミカデオミ様が居られると聞いて、どうしても日向の国にお連れしなければならないので。」
 「オホノミカデオミ様ですか。」
 「ご存知ですか。」
 「オホノミカデオミ様は、金海駕洛国の若手の官僚ですよ。鉄器の生産に携わっておられるお方です。」
 「首露王に仕えているのですか。」
 「首露王の高官にキムバイコウ様が居られまして、そのキムバイコウ様の直属の部下として、オホノミカデオミ様は働いておられるのです。」
 「何ですって。キムバイコウ様。」
 「キムバイコウ様をご存知ですか。」
 「以前、筑紫の国の訶志比の宮に行った時、お会いした事があります。確か、その当時、キムバイコウ様は、馬韓の高官をされていたように思いますが。」
 「そこまで、ご存知でしたら話が早い。実は、馬韓の高官をされていたのですが、首露王とは、同じ一族でして、首露王の寡って願いもあって、ごく最近、金海駕洛国の高官になられたのです。」
 「そうだったのですか。しかし、キムバイコウ様は、馬韓の生まれだと聞いていますが。首露王もそうなのですか。」
 「首露王もキムバイコウ様も狗邪韓国の北部の出身なのです。昔の狗邪韓国は金海駕洛国よりも広い領土を持ち、馬韓や辰韓の南部も狗邪韓国の領土だったのです。」
 「なるほど、理解できました。キムバイコウ様はどちらに居られます。」
 「キムバイコウ様に会われるのですか。」
 「キムバイコウ様にお会いして、オホノミカデオミ様の事をお願いしようと思います。そして、オホノミカデオミ様にお会いした方が良いかと。」
 「では、明日にでも、キムバイコウ様の所にお連れしましょう。」
 「それはありがたい。」
 「イハレビコ君、オホノミカデオミ様を日向の国に連れて帰る目的は、鉄器の製造にあると聞きましたが。」
 「そうです。阿蘇山の麓に一の宮の集落を建設して、阿蘇山の麓で取れる鉄鉱石を鉄器にするため、オホノミカデオミ様のお力をお借りしたいのです。」
 「鉄器の製造ですが、金工鍛冶師は居られるのですか。」
 「いや、これから探すつもりです。」
 「私の集落に、金工鍛冶師をしているカモノカサメルネがいます。是非、イハレビコ君のお供をさせて頂けませんか。」
 「願ってもないことです。」
 イハレビコは山戸の国に来て、ミワタチキオミと出会う事によって、アマテラス大御神に草薙の剣を奉納する旅で出会ったキムバイコウと再会できるとは、夢にも思っていなかった。日向の国で鉄器の製造を夢みていたイハレビコは、現実となってきた事を実感していた。


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第2部 漢委奴国王印 第7章 山戸の国(2)
 
 「若、父タシトに聞いたのですが、倭の国には、いろいろな部族がいるのですね。」
 「倭の国では、今、ウマシマヂが実権を握っているが、お爺様の話を聞いていると、殆んどが、韓の国から渡って来た渡来人なのだな。渡来して来る部族は、娜国を経て、倭の国に渡ったのだろう。」
 「出雲の国にも渡っているのでしょ。」
 「出雲の国に渡った部族は、韓の国の北部から直接、船で来たのだろう。そして、吉備の国や旦波の国に移住し、その他にも、高志の国に渡った部族もいた。」
 「そうすると、私たちの日向の国以外にも沢山の国があるのですね。」
 「アマテラス様が言われている豊葦原の瑞穂の国は、倭の国だけでなく、出雲や高志の国も含んでいるのだろう。」
 イハレビコ達の船は、国東半島を越えて、周防灘に入り、寄藻川の下流に出て来た。
 「この川を上がれば、足一騰宮がある。」
 イハレビコ達が足一騰宮に着いた時には、既に、日が落ち、薄暗くなってきた。川の畔に船を着けたイハレビコ達はウサツヒコの宮殿に急いだ。
 「これはイハレビコ君、よく来られた。ちょうどよい。ウサツヒメも来ているし、今宵は宴をしよう。」
 「ウサツヒコ大君、ありがとうございます。今回は、金工鍛冶師を日向の国に迎えるため、韓の国に行く途中でお寄りしました。」
 「韓の国に渡られるのか。何方か韓の国に居られるのか。」
 「筑紫の国のヤジラベ様から、韓の国に渡ったなら、オホノミカデオミ様を訪ねるようにと。」
 「その方はどの辺りにおられるのだ。」
 「山戸の国に居られるそうです。」
 「ワニの部族が、支配している山戸の国か。その山戸の国から移住して来た渡来人がこの宮にいる。ミワオホミサ(宇佐大神氏の祖)と言って、ミワの部族の出身だ。」
 「ミワの部族ですか。確か、倭の国で三輪山の付近にいたように思います。」
 「そうだな。オホモノヌシを奉斎している部族で、祈祷に優れた部族だな。このミワの部族も、韓の国から渡って来た。まだ、ミワの部族の一部は、山戸の国にいる。」
 「そのミワの部族のミワオホミサが、なぜ、足一騰宮にいるのですか。」
 「以前、宗像のイベズカサが、韓の国から連れて来た渡来人で、ミワオホミサは比売神(宗像の三女神とされているタキリビメ、イチキシマヒメ、タキツヒメ)が韓の国から、この宇佐嶋(宇佐の御許山)に天降られたと言って、祈祷をし始めた。そして、この地に住み着いたのです。」
 宇佐の大神(おおみわ、或は、おおかみ)氏は、三輪大神を奉斎している三輪氏、大三輪氏と同系の一族で、欽明天皇の命により、大神比義(おおがのひき)が宇佐に着任し、応神天皇を祀る神社として、宇佐神宮を建てた。これ以後、宇佐氏と大神氏が交互で宮司職に就いた。この事が宇佐神宮の社伝に記されているが、それ以前から、大神氏は宇佐に関係があったと思われる。
 「イハレビコ君、ミワオホミサに山戸の国を案内させましょうか。」
 「それはありがたい。」
 しばらくしてから、ウサツヒメを交えて宴が始まった。最初は、ウサツヒメの舞から始まり、終わると宇佐で取れた米で作られた酒が振舞われた。操行している内に、ウサツヒメがイハレビコの横に座り、耳打ちした。
 「君、今日、始めて来られているお方は何方ですか。」
 「アメノタネキですよ。私の国の祈祷師コナキネの子息です。彼は、漢文に優れているので、今回の韓の国の旅に同行させました。それが如何かしましたか。」
 ウサツヒメは顔を赤らめて、恥ずかしそうにウサツヒコの横に座った。宴も終わりに近づいた頃、ミワオホミサが現れた。
 「イハレビコ君、先程、言っていたミワオホミサです。明日にでも、韓の国に連れて行きなさい。」
 イハレビコが目を覚ました時、表にミワオホミサが旅の用意をして待っていた。そして、ミチノオミが現れ、最後にアメノタネキが眠たそうに目を擦りながら現れた。
 「アメノタネキ、どうかしたのか。」
 「何もありません。昨日の夜。」
 「そうか。ウサツヒメとか。」
 「とんでもないです。何もないです。」
 「顔に描いてある。」
 イハレビコは、寄藻川の畔を歩きながら、昨日の宴でのウサツヒメの振る舞いを頭に浮かべていた。そして、岸辺から船に乗り、宗像のイベズカサに会うため、船を出した。
 「ミワオホミサ、オホノミカデオミ様をご存知ですか。」
 「オホノミカデオミ様ですか。知っています。私が住んでいた隣の集落に居られて、狗邪韓国で生まれ、後に首露王を金海駕洛国(金官伽耶)の王にするため、ワニの部族と手を結び、私達が俗に言っている山戸の国を立ち上げた人物です。」
 首露王の金海駕洛国は、後に伽耶国になり、現在の慶尚南道金海市付近に、鉄の王国を作り上げ、任那を含めた大伽耶連合を形成し、百済や新羅と戦ったりしたが、最後に、新羅によって滅ぼされてしまう。
 「首露王は、ワニの部族やカモの部族らと山戸の国に鉄の文化を築いたのだな。」
 「その通りです。」
 イハレビコ達は、周防灘を北に進み、関門海峡を通り、ナキカツヒコの重住の集落で一泊する事にした。そして、遠賀川の下流を通過して、宗像の集落に着いた。
 「イハレビコ君、船でよく来られた。韓の国に出発するまで、準備があるので、ゆっくりと滞在されよ。」
 「ありがとうございます。」
 イベズカサは、山戸の国に輸送するため、去年収穫した米や蚕や銀鉱石等を船荷していた。その中には、ヒスイも含まれていた。それから、数日後、イハレビコ達は、イベズカサに連れられ、イチキシマヒメを奉斎している田島の辺津宮に行き、航海の安全を祈り、山戸の国に物資を輸送する船に乗り換えて、宗像の集落を出発した。
 「イベズカサ様、これから、どちらに行きます。」
 「私達の海の基地、大島から沖ノ島に行きます。これらの島には、私達の神、大島の中津宮にはタキツヒメ、沖ノ島の沖津宮にはタキリヒメが祀られているので、航海の安全を祈祷しなければなりません。」
 古代から、沖ノ島は女人禁制の島で、神の島として有名である。上陸するにも、日露海戦があった日、毎年五月二十七日に、宗像大社の沖津宮で、日露海戦を記念して行なわれる沖津宮現地大祭の時に、二百人の男性しか上陸できません。このように、昔から神の島として、上陸が許されていなかったお陰で、古代の遺跡の中から、翡翠勾玉や銅鏡や剣等沢山の遺品が発見され、宗像大社の辺津宮の資料館に保存されています。
 イハレビコ達の船は、沖ノ島を出ると、さらに北へと進み、前方に大きな島が近づいて来た。
 「イハレビコ君、あの島が、対馬の国です。この島には、君のお婆様に当るトヨタマヒメの亡き骸が奉納されている。」
 「お婆様の。」
 「トヨタマヒメは、病弱で、君のお爺様アマツヒコヒコホホデミ様に嫁いで、日向の国の大君アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズ様をお産みになった後、君の母上タマヨリヒメの看病空しく、お隠れになられた。そこで、私達がトヨタマヒメの亡き骸を対馬の国に持って来て、祀ったのさ。」
 「そんな事があったのですか。それで、イベズカサ様は、私の母上をご存知なのですね。では、対馬の国に着いたら、お婆様にお参りしましょう。」
 大和朝廷樹立後、対馬の国を重要視したのは、中国大陸や朝鮮半島の交流の基地としてだけでなく、天皇家と何等かの繋がりがあったのでしょう。
 イハレビコ達を乗せた船は、対馬の部族との物資交流のため、対馬列島の北端、和珥津(対馬市上対馬町鰐浦付近)に到着した。
 「若、遠くに見えるあの大陸が韓の国ですか。」
 「いよいよ、来たな。」
 「対馬の国から近いですね。」
 「ミチノオミ、以前、阿多の野間岳に登った事を覚えているか。」
 「若が、大陸の事や韓の事を話してくれましたね。」
 「そうだったな。いよいよ、韓の国に近づいた。」
 「いよいよ、大陸に渡る事に。」
 「アメノタネキ、この対馬の国にお婆様が眠って居られると聞いた。祈祷しに行こう。用意をしなさい。」
 イハレビコ達は、イベズカサに許しを得て、船と船頭を借りて、和珥津から南へ、トヨタマヒメが眠っている峰の集落に行く事にした。そして、イハレビコは船の中で、遠くに見える韓の国を眺めていた。
 「若、対馬の国は、韓の国から近いですね。この国は、韓の国と交流するには必要な国ですね。」
 「私は将来、対馬の部族と手を結ぼうと思っている。」
 「それは、山戸の国とも手を結ぶ事に繋がりますね。」
 「そうだな。」
 イハレビコが大和朝廷を樹立して、間もない頃から、対馬の国に国造を置き、対馬を支配した。
 イハレビコ達は、峰の集落で、トヨタマヒメを祈祷し、イベズカサのいる和珥津に帰って来た。イベズカサ達は対馬の部族から、他の物資を受け取り、山戸の国に届ける事を承諾して、韓の国のプサン(釜山)に向けて、出航した。
 イハレビコ達の船は、プサンから、洛東江(ナクトンガン)下流を少し上った所、現在の慶尚道金海市に到着する。狗邪韓国の後、首露王が紀元四十二年に金海駕洛国(金官伽耶)を建国する地なのですが、日本神話に出てくるアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが高天の原から高千穂峰に降り立つ天孫降臨神話とよく似た話として、韓国神話が残っています。韓国の慶尚道金海市の亀旨峰に天から六個の金色の卵が降り立ち、その一個から生まれた男子が首露王となり、金海駕洛国を治めた。また、卵から生まれたと言う建国神話は、高句麗の東明聖王や新羅の朴赫居世(光明王)にもみられる。
 首露王が金海駕洛国を建国した背景には、鉄器の新しい技術を基にした部族の移住がみられ、鉄器の量産により、軍事力の強化が図られた事が伺えられる。さらに、この金海駕洛国(金官伽耶)地域の遺跡に、日本の弥生式土器が見受けられる事から、その当時、金海駕洛国に日本人が渡来して、生活していた事も考古学上の事実です。
 「イハレビコ君、ここが山戸の国です。」
 「イベズカサ様、ここまで連れて来て頂いて感謝します。それと、少しお聞きしますが、何故、この地を山戸の国と言っておられるのですか。」
 「それは、私達の理想の国ですから。本土の倭の国を捩って、命名しただけですよ。また、この山戸の国の良いところを本土に持ち帰り、倭の国を支配したのが、ニギハヤヒの部族であり、ワ二の部族ですよ。」
 「なるほど、これで分かりました。」
 イハレビコは、洛東江の畔から、小高い丘を背景にした沢山の集落を眺めながら、日向の国を始めとして、本土にない雰囲気を感じていた。


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