いにしえララバイのブログ

いにしえララバイのブログは、平成22年4月に開設しましたブログで、先史時代の謎を推理する古代史のブログです。

カテゴリ: 古代伝記小説「いにしえララバイ」

第3部 大和朝廷樹立 第4章 伊都から援軍(1)

 娜国を攻略するために、イハレビコ達の拠点となる岡田の宮殿に重臣達が集まってきた。その中には、日向からのイッセに従ってきた家来の他に、豊の国からイハレビコのお爺さんにあたるワタツミの家臣やウサツヒコの家来も含まれていた。また、イベズカサの孫コシノアカネやイグラの子ミチノオミ、ホクメなどイハレビコの家臣も控えていた。
 ヨホトネが最初に口火を開いた。
 「娜国の攻略について、戦議を開催する。皆様は、遠慮なく策を述べよ。」
 「大君、海のことなら私達にお任せ下さい。」とイベズカサが訴えた。
 「イベズカサ、それで策はあるのか。」
 「娜国は、今、船の用意をしているのでしょ。船を金海駕洛国に送って、戦闘の物資の調達に当たるのでしょ。その船の針路を私達で絶ちます。」
 「では、金海駕洛国から入ってくる船もあるだろう。」
 「そうですね。娜国に入ってくる船は私達が処理します。しかし、伊都国や末廬国に入港し、戦闘の物資が娜国に入ってくる可能性はあります。」
 それから、戦議が少し沈黙した。その時、末席にいたワタツミの家臣が。
 「大君、ワタツミが私達に伊都国のことについて話されたことがありました。それによると、昔大君のご先祖に当たるオオヒルメさまとワカルヒメさまのご姉妹が漢の国の越国から日向に渡られ、ワカルヒメさまはその日向から北に向かわれたそうです。そして、伊都国に滞在されたそうです。」
 「私も、以前アマテラス様にお会いする旅の帰りにお爺さまにお会いして、オオヒルメさまの話をお聞きしたことがあります。それと、ワカルヒメさまについてもその旅の途中でしりました。それで、ワカルヒメさまは。」
 「イハレビコ君も、少しはお聞きになられたかも知れませんが、ワカルヒメさまの一行は、オオヒルメさまと分かれて、鉄鉱石を探す旅に出られました。そして、この地にもこられて、漢の国の情報を調べようとされたのです。」
 「ワカルヒメさまの一行の一部が、伊都国にいるとでも言われるのですか。」
 伊都国は、現在の福岡県糸島市と福岡市西区の一部に存在していた。『魏志倭人伝』にも、その当時の伊都国のことが画かれています。卑弥呼の頃ですが、皇帝は伊都国に大率という長官を派遣し、伊都国や諸国の情勢を監視するために、倭の各地の国王が魏の皇帝や帯方郡や諸韓国に使者を派遣する時、帯方郡が倭国へ使者を遣わす時に書文や贈答品の点検をおこなっていました。今でいう外交官です。伊都国に常駐して、北九州の行政や軍事的なものを統括する任務や女王(伊都国は大君でなく女王でした)の行う外交の実務を監督していたのです。中国の三国時代でそうだったのですから、イハレビコの時代もそのような制度が後漢にもあったかも知れません。
 「はい。います。」
 「伊都国は、女王がおられるそうで、私達とまた違った人達がいるのではないのですか。」
 「今の伊都国には、漢の国からも派遣された役人もいますし、楽浪郡からも。そして、韓の国からも流れて来ています。しかし、ワカルヒメの部族は、今でも伊都国の主要な部門を担当しています。」
 「主要な部門。それは、まさか軍事の部門ではないだろうな。」
 「その通りです。軍事を担当しています。」
 「本当か。」
 「はい。ワカルヒメの部族は、鉄鉱石を求めて、伊都国にいたところまではお話しましたが、それ以後、鉄の生産も始めたのです。そして、ワタツミさまの親戚筋にあたる安曇の部族と手を組んで、漢の国から鉄器を作る金工鍛冶技師を呼び寄せたのです。」
 「なるほど、最初は稲作などに使うためだな。」
 「そして、軍事に使う矢尻や剣も。」
 「そうか、よくわかった。」
 その時、大君であるイッセが。
 「私達の先祖に、そのような部族がいたことはよくわかった。しかし、その者達とだれが交渉するのだ。」
 戦議の会場がシーンとなった。そして、しばらくたってから、ヤジラベが。
 「大君、私も安曇の部族出身です。もし、私でお役に立つのではあれば。」
 「ヤジラベ、協力してくれるか。」
 「では、イハレビコと共に伊都国まで行ってくれるか。もし、伊都国さえ見方についてくれるなら、娜国を挟み撃ちにできる。」
 戦議の結論がでたことで、イハレビコとヤジラベが協議に入った。そこには、ミチノオミやオホクメも参加した。
 「ヤジラベさま、これからどうされるのですか。」
 「心配は、いりませんよ。私、漢の国のお役人を知っていますから。」
 「お役人を知っておられるのは、心強い。それと、安曇の部族と。」
 「取りあえず、伊都国に行きましょう。」
 「イハレビコ様、今夜は私のところにお泊まりください。今までイハレビコ様にお伝えしていなかったこともお話したいので。」
 「それは、ありがたいです。そんな話もあるのですね。」
 イハレビコ達は、戦略会議を出てヤジラベの住居に向かった。
 福岡県糸島市に三雲南小路遺跡があり、弥生時代の遺跡ですが、その裏に細石神社があります。この神社の旧姓は、佐々禮石神社というのですが、その神社に祀られているのは、神話で出て来ますオオヤマツミの娘、イハレビコの曽祖父に当たる天孫降臨をしたアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫁いだ姉妹、コノハナノサクヤビメとイワナガヒメ。姉のイワナガヒメは、醜かったため親元のオオヤマツミに返されてしまう。そして、オオヤマツミの曰くには、イワナガヒメを差し上げたのは、岩のように生命が永遠でありますようにとの意味をこめてだそうです。この神話は、東南アジアやニューギニアに伝わる生命の起源を表した神話、バナナ型神話とよく似ています。すなわち、オオヤマツミの部族は、ニューギニアや東南アジアのオーストロネシア諸語を使う民族だと想像できます。また、このバナナ型神話は旧約聖書の創世記二十九章のヤコブの妻、レアとラケルの姉妹の説話とよく似ています。このように考えると、神話は中東から言い伝えとして流れて来たのか。神話だけではなく、文化は今から紀元前一万二千年頃に中東の辺りから人の移動と共に、言い伝えという方法で広がっていったのでしょうか。
 イハレビコ達は、ヤジラベに食事をよばれて一息が付いた時、ヤジラベは伊都国のことを話し出した。
 「若、オオヒルメさまとワカルヒメさまのことはご存じですよね。」
 「オオヒルメさまは、私達の祖先に当たられる方で、アマテラスさまです。そして、ワカルヒメさまは、妹君で、ご一緒に漢の国より日向の国に渡ってこられたのです。そして、鉄鉱石を求めて北上され、最後には、紀の国にまで進まれたと聞かされています。」
 「オオヒルメさまもこの地に一時期、おられたのです。」
 「伊都国に。ですか。」
 「ワカルヒメとそして、伊都の国を治めた。この地には、韓の国から青銅器を製造出来る火の神を信仰している部族がオオヒルメさまより先に住み着いていました。」
 「その部族は。」
 「カモの部族です。伊都国には昔、オオヤマツミという御仁がいて、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫁いだコノハナノサクヤビメの父上にあたられる方です。」
 「う~ん。私達の親戚にあたられる方ですね。その方とカモの部族とはどのような関係にあるのだ。私の部下にもカモノカサメルネがいるが。」
 古事記や日本書紀には、天皇家が大きな転換期に差し当たったときにカモの部族が助け、オオヤマツミの関係のオオクニヌシが出て来ます。この辺りがイハレビコの時代に対立したり、支援したりした部族だと思われます。推測ですが、オオヤマツミの部族は、イハレビコをはじめとした部族よりも以前に南方の方から日本に渡ってきて、日本の原住民を支配していたと考えられ、その後でイハレビコの部族が中国の越か呉の国から水田による稲作を持ち込んだ。そして、オオヤマツミの部族と対立したり、共存したりしてイハレビコの部族が日本を治めていくことになったようです。
 カモの部族は、朝鮮半島から鉄器の製造技術を日本にもたらした。元々は、中央アジアの民族で中東アジアから鉄器を作る金工鍛冶技術をもって、渡り歩いてきた天孫族だと思います。秦の国に仕えていたかも知れません。秦が漢に滅ぼされて、朝鮮半島を経て日本にたどり着いた。そのカモの部族が最初にやって来たのが、オオヤマツミが支配している北九州で、オオヤマツミの部族が持っている青銅器の製造技術に新しい鉄の金工鍛冶技術を教えて。オオヤマツミの部族は、北九州から、一部がカモの部族と出雲に、また四国に渡って伊予に、そして摂津にと移り住んだ。コノハナノサクヤビメの姉イワナガヒメがアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫌われて、スサノヲの子ヤシマジヌミノカミと結婚する話も神話にあります。
 「カモの部族もイザナキ、イザナミさまを崇拝していますから。アマテラスさまとも近い存在ですし、イハレビコさまの一族とも近い存在なのです。」


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第3部 大和朝廷樹立 第3章 傀儡政権
 
 「イハレビコ、これからどうする。」
 イハレビコ達は、ウサツヒコとウサツヒメと分かれて、筑紫の国に向かって航海を続けていた。
 「兄上、これから、イベツカサ様にお会いします。」
 「イベツカサ。」
 「コシノアカネのお爺さんにあたる人です。宗像の部族ですね。娜国の情報が直ぐに分かります。それから、ヤジラベ様に。」
 「ヤジラベ。娜の津の商人であろう。」
 「そうです。ヤジラベ様の後ろ盾には、海の部族、安曇がいます。」
 「そうだな。これから、倭の国を目指すには海運力を付けなければならないから。」
 イハレビコの祖先は、周王朝の高貴な貴族の出だとしていますが、この高貴な貴族達は紀元前一千年前頃から日本に渡って来て、水田による稲作を伝えた。本書では高貴な貴族としていますが、中国の江蘇省や浙江省辺りから渡って来た部族で、素潜りにより漁をし、サメなどに襲われないように刺青をしていた。それらの部族が航海術を持ち、日本に渡って来て、水田による稲作を広めた。イハレビコの祖先の外に、久米氏や宗像氏や安曇氏の部族もいたのでしょう。
 「兄上、先ずは娜国を攻めましょう。」
 「娜国には、漢委奴国王印を漢の国から貰っているのだろ。」
 「漢の国が、娜国の大君を私達の国の国王と認めているのです。」
 「だから、娜国を攻め滅ぼすのだな。」
 娜国の大君は、沃沮(朝鮮半島北部の咸鏡道付近にいたワイ族)の出身なので、後漢の出先機関の楽浪郡とも繋がりがあった。この沃沮は、扶余や高句麗や濊貊と同じワイ族系で部族です。ワイ族は紀元前三世紀頃には、玄菟郡辺りに住んでいた部族なのですが、元を正せば周王朝の創設者、武王(太伯の弟、季歴の孫)の助力者として、周公旦(武王の弟、魯の始祖)、太公望(呂尚、斉の始祖)、召公奭(陝西省西安出身、燕の始祖)などが殷王朝と戦って滅ぼした。そして、武王は、周公旦には山東省南部を、太公望には山東省の中心部を、召公奭に河北省北部を与えた。この斉の国や燕の国にいた殷王朝の残党が遼東省から吉林省、黒龍江省に逃れ、ワイ族となったと思われる。このように、殷王朝の残党が中国の北部に追いやられ朝鮮半島に移って、箕子朝鮮を建国、さらに北部に移動してワイ族となった。そして、ワイ族は紀元前一千年から紀元前二百年の間に、スキタイと関係が深い匈奴との混血もあったかも知れない。
 ワイ族は紀元前二百年頃、黒龍江省西部・吉林省西部・遼寧省東部から朝鮮半島北東部で生活していた。それが、前漢の武帝の時代に遼東郡の東北方面、のちの蒼海郡の地にワイ族が国を築いていた。そして、紀元前百三十四年から紀元前百二十六年頃まで、前漢軍と戦いを繰り返し、武帝は濊国を認め、紀元前百二十六年、ワイ族の扶余の王室に穢王之印を授けている。
 その後、この地に蒼海郡、紀元前百七年に玄菟郡が設置される。そして、ワイ族は、北に向かい扶余国を建国する。また、ワイ族の濊貊と沃沮が南下して、紀元前百八年に前漢が設置した楽浪郡の近辺に移り住んだ。この頃から、百数年経って日本の娜国に渡って来たようです。
 「兄上、その通りです。娜国はもともとニギハヤヒが作った国です。この娜国を滅ぼせば、ウマシマジの倭の国に打撃を与えます。」
 「そうか、今回の遠征の目的は、ウマシマジの息の根を止めることなのだな。」
 ニギハヤヒはワイ族の出身だと言われ、朝鮮半島から北九州に上陸し、東に向かって、先代旧事本紀によると天磐船で河内に降り立ったとある。ウマシマジはこのニギハヤヒの子で、イハレビコの時代に倭の国を支配していた。
 ワイ族は、漢の武帝が国として認めるため国王印をその国の与えたように、楽浪郡を通して漢の国に貢物を差し出せば、国王印が貰え、国として認められることを知っていたのだろう。だから、娜国は、冊封された周辺諸国のうちで王号を持つ者(外臣)として、漢委奴国王印を後漢の光武帝から頂いたのだろう。
 「それと、兄上、娜国が我々の豊葦原の瑞穂の国の代表のように漢の国に思われるのもどうかと。」
 「そうだな。漢の国に豊葦原の瑞穂の国が支配されるのも考えものだ。」
 「娜国は、ニギハヤヒや漢の国の傀儡政権に成り下がっている。」
 「我々は、豊葦原の瑞穂の国を治めるため立ち上がったのだから。」
 イハレビコ達の軍勢は、日向の国を出る時に二百人位であったが、ウサツヒコの豊の国から百人が加わり、総勢三百人に達していた。
 「若、そろそろ遠賀川付近まできました。」
 「コシノアカネ、分かった。いよいよイベズカサ様に合えるのだな。」
 イハレビコ達が宗像の集落の船着場に近づいた時、海岸には、沢山の人が見えた。
 「若、私達の部族が総勢で迎えにきています。」
 イベズカサは、イハレビコ達が日向の国から出陣したこと。豊の国のウサツヒコとウサツヒメに会って、宗像の集落に向かったことを察知していた。
 「イハレビコ様、いよいよこの時がきたのですね。」
 「娜国を攻めるのですね。そのためには岡田の宮に入られて、軍勢を整えられたら良いと思います。」
 「岡田の宮ですか。以前、ガリサミ様を訪ねて、アマテラス様のお話を聞かせて頂きました。そして、ガリサミ様の教えを学ぶため、マラヒトを岡田の宮に残して、アマテラス様に会うため旅を続けた。岡田の宮だとマラヒトが詳しい。そうしよう。」
 「まずは、この宗像の集落に滞在してください。」
 イハレビコは、娜国と戦うため岡田の宮に仮の宮殿を築くよう、マラヒトに命令した。マラヒトは十日程で、岡田の宮殿を完成させた。
 「若、岡田の宮に宮殿が完成しました。」
 「そうか。では、兄上を宮殿に迎えよう。」
 イハレビコは、岡田の宮殿でイッセをはじめ、重臣達と軍議ができるようにした。古事記によると、この岡田の宮で一年余滞在して、筑紫の国を制定したと記されている。
 イハレビコ達が岡田の宮に移ってから少したって、娜の津からヤジラベがやってきた。
 「ヤジラベ様、ようこそ岡田の宮へ。」
 「若がいよいよ立ち上がられたと聞いて、いてもたってもいられなくて。」
 「それはありがたい。娜国の情勢は如何ですか。」
 「それが、日向の国から攻めてくると言ううわさが流れていて、軍備の用意をはじめています。そして、私どもにも協力の依頼がきました。」
 「それは、どのような依頼だったのですか。」
 「山戸の国に行く船を要しろと。それも船頭の優秀な者をと。」
 「山戸の国に。仲間がいるのだろうか。」
 「いや、山戸の国から馬韓には、扶余の残党がいますからね。それから、楽浪郡にも使者を送るのでしょう。」
 「漢の国に遠征軍をお願いに行くのか。」
 「はたして、漢の国が動くでしょうか。」
 「首露王の金海駕洛国は、ワイ族(濊族系濊貊族)でしょう。確かに、ニギハヤヒとも関係があるといえばいえるが。」
 「そうですね。以前の娜国は、金海駕洛国のワニ族と関係がありました。しかし、沃沮の王室の子孫が渡って来た。そして、今の娜国を建国したのでしたね。」
 「さっき、扶余の残党と言いましたね。漢の援軍を得て、高句麗を服従させた。」
 「扶余は、漢の国から穢王之印を貰っているのです。そして、楽浪郡と手を組み、高句麗と戦い、扶余の部族の一部が馬韓までやってきたのです。」
 「娜国は、その扶余の部族に助けを求めているのか。」
 「そういうことになります。」
 「では、ヤジラベ様は娜国の要請に応じて船を用意しないでしょうね。」
 「当然でしょう。しかし、娜国は必ず、扶余と連絡して、援軍が娜の津にやってきますよ。」
 「そうか。それまでに娜国を降伏させないと。」
 イハレビコは、新しくできた岡田の宮殿にイッセを向かい入れ、重臣達を集めて、娜国の攻略の作戦を練ることした。


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第3部 大和朝廷樹立 第2章 同盟
 
 イハレビコは、イッセと高千穂の宮で話した決意を胸に一の宮に帰ってきた。
 「コシノアカネは、いるか。」
 「はい、若、ここに。」
 「コシノアカネ、今軍艦は何処にいる。」
 「枇榔島に浮かべています。」
 「いよいよ、その軍艦が必要になったのだ。それと、その他に十隻以上の船がいる。」
 「若、いよいよ、軍艦を使うのですね。」
 「ミチノオミ、弓と矢尻は今どのぐらい用意できる。」
 「そうですね。百人分ぐらいですか。」
 「剣は如何だ。」
 「剣は、五十人分ぐらいです。」
 「そうか、では今ある鉄鉱石で、剣と矢尻を増産するのだ。」
 「コシノアカネは、十人位乗れる船をできるだけ多く作るのだ。」
 神武天皇の東征のことは、古事記によると、『いかなる地に住まいすれば、平らかに天の下のまつりごとを治めることができましょう。ここから出て東に行きませんか。』とイハレビコがイッセに伝えた言葉から始まっている。そして、海を北に向かって、豊の国へ。このいかなる地こそが、倭の国のことなのです。
 軍艦の話は、実際には神武天皇の時代にあったかについては定かでないが、宮崎県門川市枇榔島の昔話として残っている。枇榔島は、地元では、美人島とも呼ばれ、枇榔樹が生い茂った島に美女が住み着いていたという言い伝えからきていて、その美女を目的として、神武天皇の軍艦が枇榔島付近にたむろしていたという伝記なのです。
 一方、イッセは高千穂の宮に重臣を集めた。
 「今日、皆に集まって頂いたのは、先代の大君が亡くなられて、これからの日向の国のことを相談しようと思う。私の祖先は漢の国の太伯の末裔として、日向の国を治めてきたが、熊曾(隼人)の国も最近では落ち着きをみせ、一の宮で鉄器を生産し、軍備も整ってきたこの時期に、私達が太古から望んでいた葦原の中つ国、豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国を治める時がやってきた。これから、東の倭の国を目指して、葦原の中つ国を支配している部族と戦おうと思う。」
 その時、その場でざわめきがおきた。広渡川付近の部族のヤコメが口火を開いた。
 「大君、以前、熊曾の国と戦ったとき、オヨリ君を預かっています。それから、熊曾の国とも交流するようになり、私達はこの日向の国に残ります。でも、私達の中から優れた者を大君の部下としてお使いください。」
 すると、大淀川付近の部族のアラトや五十鈴川付近のカラヤもヤコメと同じ様なことを言い出した。
 「アギシはどうする。」
 五ヶ瀬川下流のアギシの部族は、一の宮の集落を築く時に、稲作を開墾するのに援助した部族でした。
 「私達は、豊の国とも近く、大君が築かれた一の宮の集落を守ろうと思います。」
 「そうか、皆の考えは分った。」
 日向の国の長老イグラが。
 「ヨホトネさま、私達は大君を守って行かねばならないですよ。当然、お供しますよね。」
 「当たり前だよ。私の部族は、タシトが実権を握っていて、私は隠居の身だが、タシト以下。すべてが、大君に付いていきます。」
 ヨホトネの横に座っていたコナキネもうなずいた。
 「私の部族は、祭祀を司る家柄ですから、当然、大君に従います。」
 「よく分った。今、一の宮でイハレビコが今回の東征のため準備をしている。皆も、この正月を過ぎたら、日向の国を出発するので、準備をしといてほしい。」
 正月が過ぎ、イハレビコは十人が乗れる船を二十隻用意し、軍艦には弓矢、剣、鎧、盾など軍事品を積み込んで、イハレビコ、ミチノオミ、オオクメ、コシノアカネ、オホノミカデオミ、カモノカサメルネ達が船に乗り込み、大淀川の下流にやって来た。高千穂の宮では、各地から続々と人が集まり、総勢二百人を越えていた。
 「イハレビコ、いよいよ出発だな。」
 「兄上も、よくぞ決心されました。」
 「ここにある食料を軍艦に積むように命令したところだ。」
 イハレビコ達は、大淀川を下って、軍艦や船に乗り、豊の国の宇佐に向けて出発した。
 「兄上、宇佐では、ウサツヒコとウサツヒメが私達の来るのを待っておられますよ。」
 「ウサツヒコとウサツヒメをもう見方に付けているのか。」
 「はい、正月前に挨拶に寄せていただきました。」
 古事記では、海を北に向こうて豊の国の宇沙に到り着くと、その土の人ウサツヒコとウサツヒメの二人が、足が一つしかない高い宮を作り、大きな宴を催して、巡り来たイハレビコとイッセをもてなしたとある。この当時、日向の国と豊の国は同盟国であったのだろうか。本章でも、古事記に記載にしたがって、ウサツヒコ達は、イハレビコ達を良き理解者として扱っている。
 イハレビコの一族は、中国の太伯の末裔としているが、中国古代史では、古公亶父の長男として生まれ、家督を三男の季歴に譲って次男の虞仲と共に春秋時代の呉(句呉)の国を建国した。そして、季歴の子、昌(周王朝の創始者武王の父、文王)が、太伯や虞仲に周の国に戻るように説得したが、全身に刺青をして、海で魚を素潜りで獲る民族と一緒に生活し、周には戻らなかった。しかも、太伯は子供に恵まれなかったので、呉の国を弟の虞仲に譲っている。そんな太伯が何故、鹿児島神宮の主祭神として、龍宮伝説のアマツヒコヒコホホデミ(山幸彦・ホヲリ)やトヨタマヒメと一緒に祀られているのか。それは、隼人の人達が中国の春秋時代に呉の国から渡って来た海人であったことを意味する。そして、太伯は元々、海人ではなかったが、呉の国に来て、海人となったように、山幸彦と似ている。
 イハレビコの祖父、山幸彦も海幸彦(ホデリ、山幸彦の兄)から釣り針を借りて、魚釣りをしていたところ釣り針をなくして、釣り針を山のもので作って変えそうとしたが、元の釣り針を返すように言われて、困っていたところにシホツジ(潮の神様)が現れて、竹籠の船を造って、潮の路に沿って流されたところにワタツミの宮があり、大きなカツラの木の下にワタツミの娘(トヨタマヒメ)が現れるので、そのヒメと相談するようにと言われ、この娘といっしょになって、三年間、ワタツミの宮にいて、ワタツミの助けで、元の釣り針を探しだし、海幸彦に釣り針を返した。そして、田を作る時には、海幸彦と反対のところに作り、ワタツミ達が応援することを約束した。それで、山幸彦は海幸彦より水田による稲作を成功させ、海幸彦は田を作るのに失敗して、貧しくなってしまった。この山幸彦と海幸彦の神話と太伯の話に共通点があり、中国の呉の国から渡って来た部族が隼人に住み着き、日向の国のイハレビコの祖先となったのではないでしょうか。
 鹿児島神宮の主祭神として祀られている仲哀天皇、神功皇后、応神天皇なのですが、どうしてアマツヒコヒコホホデミやトヨタマヒメと一緒に祀られているのでしょうか。隼人の人であろう神武天皇が東征した時に、中国の呉の国から渡って来た部族はまだ、隼人や熊曾に住み着いていた。それらの人々が大和朝廷の支配に反旗を翻したために、第十二代景行天皇の子、ヲウス(ヤマトタケル)が熊曾退治に向かい、そのヲウスの子、第十四代仲哀天皇が九州制定で、熊曾の部族と戦いに費やし、その後、神功皇后や応神天皇が三韓征伐や北九州の大和朝廷の反対勢力と戦っている。その時に、神功皇后が対馬で八本の旗を祭壇に立て、祀った。また、幡は、神々が寄り付く依りしろの旗を意味していることから、神功皇后が掲げた旗を八幡と言い、また、応神天皇が降誕した家城に八つの旗が立てられたのも八幡であり、応神天皇を奈良時代(七百十年~七百九十四年)には八幡神と呼ばれた。そのようなことで、欽明天皇の五百七十一年に宇佐神宮(宇佐八幡宮)が創建され、応神天皇、比咩大神(宗像三女神)、神功皇后が主祭神として祀られている。この地こそが、仲哀天皇や神功皇后や応神天皇が隼人の人達の熊曾の国と戦ってきた拠点なのでしょう。この宇佐神宮の末社として、敷地内に宇佐祖神社があり、ウサツヒコとウサツヒメが主祭神として祀られている。このように、ウサツヒコとウサツヒメは、天皇家と深い繋がりがあった。
 イハレビコ達は、周防灘の柳ヶ浦に到着した。その時、ウサツヒコとウサツヒメは海岸まで、出迎えに来ていた。そして、イハレビコとイッセは、ウサツヒコとウサツヒメに案内されて、足一騰宮に到着した。そして、東征の成功を祈念して宴を催してくれた。


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第3部 大和朝廷樹立 第1章 決意
 
 大君アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの死後、高千穂宮で日向の国を治めていたのはイツセでした。イハレビコは一の宮で、鉄鉱石の採取と鉄器の生産に励み、日向の国の軍事力の強化に励んでいました。
 この頃、イハレビコの心の中には、山戸の国に行った時、ワニノカスガワケがイハレビコの祖先が周王朝の貴族の出であることを告げられたのが、頭の中から離れなかった。大君が一の宮に来られた時にその話を問いただしたのですが、大君は漢の国から渡って来たとしか告げなかった。
 現在、日向の国の高千穂宮の跡地に鹿児島神宮が存在し、創建は神武天皇の代とされ、主祭神は天津日高彦穂々出見尊(アマツヒコヒコホホデミ)、豊玉比売命(トヨタマヒメ)、帯中比子尊(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気尊(応神天皇)、中比売尊(応神天皇の皇后ナカツヒメ)、姫大神(主祭神にかかわりのあるヒメの神)、太伯(紀元前千百年から紀元前千年頃の周王朝の初代武王の父文王の伯父に当たり、弟虞仲と呉の国を建国した人物)です。日本の神社で唯一、中国の人物が祀られているのが、鹿児島神宮なのです。
 天皇家の発祥地の鹿児島神宮で、周王朝の先代の古公亶父の子太伯を祀っている事は、やはり、中国の春秋時代に呉と越の国から日本に渡って来た民族が天皇家の祖先となるかも知れない。
 イハレビコは高千穂宮に行き、大君の時代に長老を務めたイグラを訪ねた。
 「若、よく来られた。」
 「イグラ様も、元気そうで何より。」
 「一の宮の方は、順調に進んでいますか。」
 「鉄器の生産は、計画通りに進んでいますが,鉄鉱石の採取が思うように行きません。」
 「それで、私のところに来られたのですか。」
 「いやぁ、イグラ様にお聞きしたことがあって。」
 「それはまた?」
 「私の祖先のことなのです。大君が生きておられた時に少し聞いたのですが、漢の国から来たそうなのですが、それ以上のことは教えてくれなかった。」
 「そうでしたか。私の祖先は、越の国から来たと言われています。その前は、かなり昔なので、はっきりしたことはわからないのですが、殷王朝の残党らしいのです。そうだ、私は、若のお祖父様(アマツヒコヒコホホデミ)の頃からお仕えしますが,若の祖先のことを聞かせてもらったことがあります。」
 「それは、どのように話だったのですか。」
 「はっきりは覚えてないので、確か周王朝に関係があるお方。思い出しました。太伯様だったように思います。」
 「イグラ様、よく思い出してくださいました。やはり、周王朝に関係があったのですね。」
 太伯は、殷王朝の末期に古公亶父の長男として生まれ、次男に虞仲、三男に季歴がいたが、季歴の子、昌(文王・紀元前千百五十二年~紀元前千五十六年)に家督を譲り、太伯と虞仲は荊蛮の人々と江蘇省蘇州で春秋時代の呉の国(紀元前五百八十五年~紀元前四百七十三年)の前身、句呉の国(紀元前千二百年頃~紀元前五百八十五年)を建国し、太伯には跡継ぎがいなかったため、句呉の国の国王は虞仲の子孫が跡を継いだ。また、日本の宮崎県の諸塚山に太伯が住んでいたという説話もある。太泊が天皇家の祖先とは言えないとしても、何かの関係があったことは、事実かも知れない。
 また、日本語には訓読みと音読みで呉音と漢音と唐音などがあり、その中で音読みとして古くから使われていたのが呉音で、この事からも、かなり早い時期から句呉の国から日本に渡って来たのではないでしょうか。この句呉の国の人々は、海での素潜りで魚を取るために、サメやフカに襲われないように刺青をする風習があったと言われています。現在の日本人にも刺青の風習が残っていますし、古事記にも、神武天皇がみそめたオホモノヌシの娘、ヒメタタライスケヨリヒメにオホクメが神武天皇の気持ちを伝えるため、そのヒメと会った時、オホクメの目の周りの刺青を見て、びっくりしたとある。神武天皇の時代に刺青をしていた人がいたことになります。
 イハレビコは、イグラに教えてもらった太伯のことを考えていた。もしかして、兄のイツセがお爺様から聞いているかも知れないと思った。そして、高千穂の宮にイツセを訪ねた。
 「兄上、兄上。」
 「どうした。イハレビコ。」
 「一の宮で、鉄器の生産に励んでいるのでは。」
 「今日は、兄上にどうしてもお聞きしたいことがあって、高千穂の宮まで来ました。」
 「それはまた。」
 「私達の祖先の話です。」
 「あぁ。山戸の国で聞いてきた話だな。その時に言っただろ。私は父上にあまり聞かされていないのだ。」
 「では、お爺様から太伯の話も聞かされていないのですか。」
 「太伯。」
 「太伯です。周王朝に関係がある。」
 「そう言えば、お爺様から小さいときに。私達は、漢の国から渡って来た太伯の子孫じゃと。」
 「もっと詳しいことは、聞かなかったのですか。」
 「小さいときの話だから、余り覚えていない。でも、漢の国のどこかの国王だったとか。」
 「やはり、周王朝に関係があった地方の国王だったのですね。
 「それがどうかしたのか。」
 「兄上、鉄器の生産は順調にいっていて、鉄器の武器もかなり出来上がってきました。でも、この頃、鉄鉱石があまり見つからないのです。」
 「では、これから、鉄器の生産も余りできなくなると言うことか。」
 「そうです。それで、この際、日向の国を出て、鉄鉱石が取れるところを探すか、私達が漢の国の国王筋に当たる正統な血筋とすると、私が若い頃旅した倭の国を目出して、勢力を伸ばし、娜国などを支配下に置きたい。そして、鉄鉱石や辰砂を我がものにしたいのです。」
 「それは。う~ん。そうだな。我々には、アマテラス様も付いておられるし。」
 イハレビコは、遂に我が身に何か詰まっていたものを吐き出したような気分になった。そして、この言葉をイツセに言ってしまったことによって、倭の国を目指し、イハレビコ達が日本の国で一番正統な血筋であり、この時代の乱れた国々を統一するために、日向の国から立ち上がったのです。
 「イハレビコ、分った。この事を皆に告げて、皆の気持ちを聞いてみよう。それまで、イハレビコは、一の宮で今後の戦略を考えておいてくれないか。」
 「分りました。兄上。」
 イハレビコは、十五歳の頃、伊勢の国に行き、アマテラス大御神にお会いし、そなたが、葦原の中つ国を治めるため、倭の国まで、東征してくるのなら、天つ神の統治者として、見守ってあげましょうとのお告げを賜ったことを思い出していた。そして、倭の国に東征し、葦原の中つ国を治めることを心に決めた。


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第2部 漢委奴国王印 第10章 大君の死
 
 イハレビコが一の宮から庄内の集落に帰ってきたのは、稲穂が生い茂る夏の終わりころでした。
 「アヒラヒメ、ただ今戻ったぞ。今年の稲穂はしっかり実が付いているな。」
 「お帰りなさい。タギシミミとキスミミこちらに来なさい。父上が帰ってこられましたよ。」
 タギシミミはイハレビコとアヒラヒメが庄内の集落で生活したころに生まれ、八歳になっていた。キスミミはイハレビコが娜国に探索に行く前に生まれたので、四歳になっていた。
 「明日にでも、タギシミミとキスミミを連れて、高千穂の宮に行ってみようかな。母上にもお会いしたいし。」
 「そうですね。私もお会いしとうございます。さて、久しぶりに皆揃ったことだし、踏ん張って、お食事の用意をしましょう。」
 イハレビコがタシトと倭の国から伊勢のアマテラスに面会したのが、十五歳の頃、それから十年が経ち、日向の国の情勢も変わり、領土の拡大や稲作の収穫量の増加により、国力が増してきた。そして、今回の一の宮の集落の完成と鉄器の生産という事業により、隼人の国を制圧できるまでになってきた。
 イハレビコの家族は、庄内の集落を早朝、出発して、高千穂の宮に着いた。高千穂の宮も収穫期には人の往来が多く、イハレビコが大君や母、タマヨリヒメにお会いするために宮殿に向かう途中、すれ違う人々がイハレビコに会釈をした。イハレビコもすでに、二十五歳になり、兄イツセと共に、日向の国を動かす事ができるほどに成長していた。
 「イハレビコ、よう来られた。まぁ、アヒラヒメそれに、タギシミミとキスミミ。さあ、お入りなさい。」
 「母上、お元気そうでなによりです。」
 「今日は、ゆっくりされなさいね。積もる話もありますし。大君のこともお話しとかないと。」
 「大君が如何かされたのですか。今、大君は何処におられます。」
 「少し、体の具合が悪いのです。最近、時々発熱されて、うなされておられます。今日も無理をされてはと思い、高千穂の宮付近の稲作の出来具合の視察をお止めしたのですが。」
 「稲作の出来具合の探索ですか。今日は、タギシミミとキスミミも連れてきましたので、大君もお喜びになられるでしょう。」
 イハレビコ達は、タマヨリヒメの居間まで案内された。そして、タマヨリヒメとアヒラヒメとの女性同士で、家庭の話や孫達の話で華が咲いた。その後、タマヨリヒメはタギシミミとキスミミを連れて、庭に出て孫達に昔話など語られながら、孫達と戯れられた。
 イハレビコとアヒラヒメは縁側でその風景を見ながら。
 「アヒラヒメ、私はこれからこの家族を守っていかなければならないのだな。」
 「そうですね。あなたは、私達の家族だけでなく日向の国の民の家族も守っていかなければなりません。」
 「日向の国を平和な国にするためにも戦っていかねばならないのだな。」
 イハレビコ達が庭先で屯している時、大君が現れた。
 「イハレビコ、よく来たな。庭で孫達の話し声が聞こえたので。アヒラヒメもよく来られた。」
 「大君、今年の稲作は豊作ですね。」
 「そうだな。以前、イツセが水路の工事をやってくれたお陰で、田畑に水が切れることなく、年々、収穫高も上がっている。」
 「今年は、天候にも恵まれたのではないですか。」
 「イハレビコ、少し話しがある。私の居間まで来なさい。」
 イハレビコは大君に連れられて、大君の居間に入った。
 「イハレビコ、家族総出で一の宮に移ってくれないか。」
 「一の宮に。」
 「今、一の宮にはイツセがいているのだが。高千穂の宮にイツセを呼び戻したいのだ。」
 「兄上を高千穂の宮に。」
 「タマヨリヒメからも聞いているかも知れないが、体の調子が悪いのだ。そこで、イツセを呼び戻し、私の手助けをしてもらいたい。」
 「分かりました。庄内の集落の収穫が終わりしだいに一の宮に行きます。」
 「イハレビコには、鉄器の製造を任したいのだ。」
 イハレビコ達は、大君やタマヨリヒメと一緒に食事を共にして、高千穂の宮を後にした。
 イハレビコは庄内の集落の稲作の収穫を終え、一の宮に連れて行く部下の人選に当たった。大君から一の宮を任されたと言う事は、軍事力の強化が最優先の課題でした。そこで、大伴氏の祖ミチノオミと久米氏の祖オホクメの他、中臣氏の祖アマノタネキも連れて行く事にした。一の宮には、山戸の国から連れて来た意富(大或は太とも言われる)氏の祖オホノミカデオミと山代の賀茂氏の始祖カモタケツヌミの同族のカモノカサメルネがいた。その他にも、宗像氏の祖コシノアカネ、イハレビコが一の宮に着任してから、仕えるようになった阿蘇氏の祖タケイワタツもいた。
 イハレビコは、この一の宮でオホノミカデオミを中心にして鉄器の製造を始め、鉄鉱石の収集には、オホクメの手下にさせ、炉の設置や金型の制作には、カモノカサメルネにさせた。この状況を監視していたのが、タケイワタツでした。
 タケイワタツは、イハレビコの祖父アマツヒコヒコホホデミの妻トヨタマビメ以外にアソヒメがいた。その父とか、イハレビコとホトタタライススキヒメの次男カムヤヰミミの子とか言われているが、本書ではイハレビコと同時代に阿蘇を支配していた豪族の首長としておきます。
 イハレビコは、鉄器の生産に着手して少し落ち着いた頃、ふと阿蘇山を見上げた。そして、阿蘇山から一の宮を見たくなり、ミチノオミを連れて、阿蘇山に向かった。
 「若、阿蘇山に登るのは始めてですね。」
 「阿蘇山の火口を見たくなった。そこから、一の宮も見えるし、遠くの娜国が見えないかなと思って。」
 イハレビコ達が阿蘇山の中腹に差し掛かった時、初老の少し貴賓がある方にであった。
 「もしや、イハレビコ君ではないですか。」
 「そちは、何方ですか。」
 「阿蘇山を管理していますタケイワタツです。今、一の宮で鉄器の製造をされていますね。」
 「タケイワタツやら、何故そのようなことを知っておる。」
 「私は、阿蘇山付近のことは何でも知っていますよ。阿蘇山を管理している者として。」
 「そうか。では、私達はこれから阿蘇山に登ろうと思う。阿蘇山を案内してくれないか。」
 「分かりました。」
 イハレビコは、タケイワタツの案内で阿蘇山に登る事にした。そして、阿蘇山の頂上に到着して、イハレビコは驚いた。阿蘇山の火口の凄さを。
 「タケイワタツ、この赤っぽいどろどろしたものは何なのだ。」
 「これが、火の神様です。」
 「この神様が怒られると、噴火して溶岩を流されます。」
 「噴火して。」
 「そうです。そして、流れた溶岩が冷えて、いろいろな鉱山ができます。その中に、鉄鉱石があるのです。」
 「鉄鉱石を見分ける事ができるのか。何処にあるかも知っているのですか。」
 「知っていますよ。できたら、私の子ハヤミカタマを手下にしてもらえないでしょうか。」
 「そのようにしましょう。」
 ハヤミカタマは大和朝廷が樹立してから、阿蘇の国造に就任している。その後、阿蘇神社の宮司として、または肥後の国の氏族となり、中世には戦国大名となっていく。
 ハヤミカタマの参加で、鉄器の製造も軌道に乗り、イハレビコが一の宮に着任して、二年経った頃には、五十鈴川の下流の門川湾に軍船を浮かべるようになった。この軍船に乗り込んでいるのは、コシノアカネの仲間でした。
 一の宮の稲作は、最初はアギシの部族が行なってくれていたのですが、次第にイハレビコの手下やハヤミカタマの部族も参加するようになり、収穫も上がってきていた。イハレビコが一の宮に来て、三年目の稲作の収穫頃、高千穂の宮から、早馬が到着した。
 「若君、大君が。」
 「どうした。」
 「早く、高千穂の宮に。」
 イハレビコは、オホクメに馬の用意をさせ、高千穂の宮に向かった。そして、宮殿に着くと足早に馬から降り、大君のいる居間まで駆けつけた。
 「兄上、大君が。」
 「うん。」
 大君は、目を閉じ、顔の表情は苦しそうでした。
 「父上、父上。」
 「イハレビコ、イツセと一緒に日向の国を頼む。」
 イハレビコが大君にお会いして、間もなく息を引き取った。大君の死でした。


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