第3部 大和朝廷樹立 第4章 伊都から援軍(1)

 娜国を攻略するために、イハレビコ達の拠点となる岡田の宮殿に重臣達が集まってきた。その中には、日向からのイッセに従ってきた家来の他に、豊の国からイハレビコのお爺さんにあたるワタツミの家臣やウサツヒコの家来も含まれていた。また、イベズカサの孫コシノアカネやイグラの子ミチノオミ、ホクメなどイハレビコの家臣も控えていた。
 ヨホトネが最初に口火を開いた。
 「娜国の攻略について、戦議を開催する。皆様は、遠慮なく策を述べよ。」
 「大君、海のことなら私達にお任せ下さい。」とイベズカサが訴えた。
 「イベズカサ、それで策はあるのか。」
 「娜国は、今、船の用意をしているのでしょ。船を金海駕洛国に送って、戦闘の物資の調達に当たるのでしょ。その船の針路を私達で絶ちます。」
 「では、金海駕洛国から入ってくる船もあるだろう。」
 「そうですね。娜国に入ってくる船は私達が処理します。しかし、伊都国や末廬国に入港し、戦闘の物資が娜国に入ってくる可能性はあります。」
 それから、戦議が少し沈黙した。その時、末席にいたワタツミの家臣が。
 「大君、ワタツミが私達に伊都国のことについて話されたことがありました。それによると、昔大君のご先祖に当たるオオヒルメさまとワカルヒメさまのご姉妹が漢の国の越国から日向に渡られ、ワカルヒメさまはその日向から北に向かわれたそうです。そして、伊都国に滞在されたそうです。」
 「私も、以前アマテラス様にお会いする旅の帰りにお爺さまにお会いして、オオヒルメさまの話をお聞きしたことがあります。それと、ワカルヒメさまについてもその旅の途中でしりました。それで、ワカルヒメさまは。」
 「イハレビコ君も、少しはお聞きになられたかも知れませんが、ワカルヒメさまの一行は、オオヒルメさまと分かれて、鉄鉱石を探す旅に出られました。そして、この地にもこられて、漢の国の情報を調べようとされたのです。」
 「ワカルヒメさまの一行の一部が、伊都国にいるとでも言われるのですか。」
 伊都国は、現在の福岡県糸島市と福岡市西区の一部に存在していた。『魏志倭人伝』にも、その当時の伊都国のことが画かれています。卑弥呼の頃ですが、皇帝は伊都国に大率という長官を派遣し、伊都国や諸国の情勢を監視するために、倭の各地の国王が魏の皇帝や帯方郡や諸韓国に使者を派遣する時、帯方郡が倭国へ使者を遣わす時に書文や贈答品の点検をおこなっていました。今でいう外交官です。伊都国に常駐して、北九州の行政や軍事的なものを統括する任務や女王(伊都国は大君でなく女王でした)の行う外交の実務を監督していたのです。中国の三国時代でそうだったのですから、イハレビコの時代もそのような制度が後漢にもあったかも知れません。
 「はい。います。」
 「伊都国は、女王がおられるそうで、私達とまた違った人達がいるのではないのですか。」
 「今の伊都国には、漢の国からも派遣された役人もいますし、楽浪郡からも。そして、韓の国からも流れて来ています。しかし、ワカルヒメの部族は、今でも伊都国の主要な部門を担当しています。」
 「主要な部門。それは、まさか軍事の部門ではないだろうな。」
 「その通りです。軍事を担当しています。」
 「本当か。」
 「はい。ワカルヒメの部族は、鉄鉱石を求めて、伊都国にいたところまではお話しましたが、それ以後、鉄の生産も始めたのです。そして、ワタツミさまの親戚筋にあたる安曇の部族と手を組んで、漢の国から鉄器を作る金工鍛冶技師を呼び寄せたのです。」
 「なるほど、最初は稲作などに使うためだな。」
 「そして、軍事に使う矢尻や剣も。」
 「そうか、よくわかった。」
 その時、大君であるイッセが。
 「私達の先祖に、そのような部族がいたことはよくわかった。しかし、その者達とだれが交渉するのだ。」
 戦議の会場がシーンとなった。そして、しばらくたってから、ヤジラベが。
 「大君、私も安曇の部族出身です。もし、私でお役に立つのではあれば。」
 「ヤジラベ、協力してくれるか。」
 「では、イハレビコと共に伊都国まで行ってくれるか。もし、伊都国さえ見方についてくれるなら、娜国を挟み撃ちにできる。」
 戦議の結論がでたことで、イハレビコとヤジラベが協議に入った。そこには、ミチノオミやオホクメも参加した。
 「ヤジラベさま、これからどうされるのですか。」
 「心配は、いりませんよ。私、漢の国のお役人を知っていますから。」
 「お役人を知っておられるのは、心強い。それと、安曇の部族と。」
 「取りあえず、伊都国に行きましょう。」
 「イハレビコ様、今夜は私のところにお泊まりください。今までイハレビコ様にお伝えしていなかったこともお話したいので。」
 「それは、ありがたいです。そんな話もあるのですね。」
 イハレビコ達は、戦略会議を出てヤジラベの住居に向かった。
 福岡県糸島市に三雲南小路遺跡があり、弥生時代の遺跡ですが、その裏に細石神社があります。この神社の旧姓は、佐々禮石神社というのですが、その神社に祀られているのは、神話で出て来ますオオヤマツミの娘、イハレビコの曽祖父に当たる天孫降臨をしたアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫁いだ姉妹、コノハナノサクヤビメとイワナガヒメ。姉のイワナガヒメは、醜かったため親元のオオヤマツミに返されてしまう。そして、オオヤマツミの曰くには、イワナガヒメを差し上げたのは、岩のように生命が永遠でありますようにとの意味をこめてだそうです。この神話は、東南アジアやニューギニアに伝わる生命の起源を表した神話、バナナ型神話とよく似ています。すなわち、オオヤマツミの部族は、ニューギニアや東南アジアのオーストロネシア諸語を使う民族だと想像できます。また、このバナナ型神話は旧約聖書の創世記二十九章のヤコブの妻、レアとラケルの姉妹の説話とよく似ています。このように考えると、神話は中東から言い伝えとして流れて来たのか。神話だけではなく、文化は今から紀元前一万二千年頃に中東の辺りから人の移動と共に、言い伝えという方法で広がっていったのでしょうか。
 イハレビコ達は、ヤジラベに食事をよばれて一息が付いた時、ヤジラベは伊都国のことを話し出した。
 「若、オオヒルメさまとワカルヒメさまのことはご存じですよね。」
 「オオヒルメさまは、私達の祖先に当たられる方で、アマテラスさまです。そして、ワカルヒメさまは、妹君で、ご一緒に漢の国より日向の国に渡ってこられたのです。そして、鉄鉱石を求めて北上され、最後には、紀の国にまで進まれたと聞かされています。」
 「オオヒルメさまもこの地に一時期、おられたのです。」
 「伊都国に。ですか。」
 「ワカルヒメとそして、伊都の国を治めた。この地には、韓の国から青銅器を製造出来る火の神を信仰している部族がオオヒルメさまより先に住み着いていました。」
 「その部族は。」
 「カモの部族です。伊都国には昔、オオヤマツミという御仁がいて、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫁いだコノハナノサクヤビメの父上にあたられる方です。」
 「う~ん。私達の親戚にあたられる方ですね。その方とカモの部族とはどのような関係にあるのだ。私の部下にもカモノカサメルネがいるが。」
 古事記や日本書紀には、天皇家が大きな転換期に差し当たったときにカモの部族が助け、オオヤマツミの関係のオオクニヌシが出て来ます。この辺りがイハレビコの時代に対立したり、支援したりした部族だと思われます。推測ですが、オオヤマツミの部族は、イハレビコをはじめとした部族よりも以前に南方の方から日本に渡ってきて、日本の原住民を支配していたと考えられ、その後でイハレビコの部族が中国の越か呉の国から水田による稲作を持ち込んだ。そして、オオヤマツミの部族と対立したり、共存したりしてイハレビコの部族が日本を治めていくことになったようです。
 カモの部族は、朝鮮半島から鉄器の製造技術を日本にもたらした。元々は、中央アジアの民族で中東アジアから鉄器を作る金工鍛冶技術をもって、渡り歩いてきた天孫族だと思います。秦の国に仕えていたかも知れません。秦が漢に滅ぼされて、朝鮮半島を経て日本にたどり着いた。そのカモの部族が最初にやって来たのが、オオヤマツミが支配している北九州で、オオヤマツミの部族が持っている青銅器の製造技術に新しい鉄の金工鍛冶技術を教えて。オオヤマツミの部族は、北九州から、一部がカモの部族と出雲に、また四国に渡って伊予に、そして摂津にと移り住んだ。コノハナノサクヤビメの姉イワナガヒメがアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギに嫌われて、スサノヲの子ヤシマジヌミノカミと結婚する話も神話にあります。
 「カモの部族もイザナキ、イザナミさまを崇拝していますから。アマテラスさまとも近い存在ですし、イハレビコさまの一族とも近い存在なのです。」


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