壱岐島は長崎県に所属し、山岳地帯の多い対馬列島に比べて平野部の多い島です。『古事記』の国産み神話では、イザナギとイザナミがアメノヌボコをアメノウキハシから大地をかき混ぜて矛の先から落ちたしずくからオノゴロジマができ、その後、大八島を生み出していく。その大八島の5番目が壱岐島。別名をアメノヒトツバシラ(古事記では天比登都柱)。高天原に到達する柱を八本も立てた島です。古事記では、この島を「伊伎島」と、律令制により「壱岐国」と表示され、国扱いとなっています。中国の『魏志倭人伝』では、「一大国」と記載され、『隋書』では「一支国」。
 この壱岐島には、『魏志倭人伝』での「一大国」であったとされる原の辻遺跡と鉄器の生産地であったカラカミ遺跡がある。また、カラカミ遺跡では、旧石器時代から弥生時代後期までの遺物が出土さ家畜の骨れ、この地域には石器を求めた石器人や魚介類や家畜動物(特に北方系の犬)を食べていた縄文人が入れ替わり立ち替わり移り住んだ。弥生時代中期(紀元前2世紀頃)に大型の集落が形成され、弥生時代終末期(4世紀頃)まで集落が存在した。その頃、この地に中国からの渡来人も住み着いていたようで、土器に「周」という文字が刻まれている出土品も発掘されている。これは人名だったのでしょう。カラカミ遺跡から鉄生産用の地上炉跡が複数確認され、弥生の鍛冶工房・鍛冶炉それも日本の製鉄開始につながる精錬炉が出土されたことから、この渡来人は中国の鍛冶職人だったかも知れ地上炉跡鉄素材と加工中の矢尻ませんね。鉄器が発掘されている、時期的には1世紀から3世紀頃なので、壱岐島の鉄製造が日本の草創期であったことには違いない。この地から出雲のたたら製鉄に。また、淡路島の五斗長垣内遺跡の鉄製造工房に繋がっていきます。
 縄文時代後期からこの島に海人が住み着いた。それが郷ノ浦町片原触原の辻遺跡「船着き場」模型の吉ヶ崎遺跡から出土された土器などからも読み取れる。この辺り、弁天崎の入り江から南に佐賀県唐津や松浦、北は対馬列島の航路になっていて、縄文時代晩期には水田稲作が行われていた菜畑遺跡の稲もこのルートで入ってきたと思われる。対馬列島の北には朝鮮半島。縄文の海人が稲を運んだ。そうとも考えられます。郷ノ浦港また、菜畑遺跡の稲を壱岐島の広大な平野部、原の辻遺跡で大きな集落が生まれ、この地に縄文の海人系リーダーが大王になって。そして、「一大国」として、大陸と九州北部の物流を支配した。邪馬台国の卑弥呼が魏と交渉するため、楽浪郡に使者を送った時の航路も壱岐島の郷ノ浦港を経由したのでしょう。
 縄文時代後期から弥生時代末期まで壱岐島には、多くの海人系集団や渡来人集団が入れ替わり立ち替わり移り住んだ。その証拠に133.8 km²の小さな島に神社庁が登録している神社だけでも150以上ある。神功皇后に関係が深い神社としては、聖母宮や住吉神社や本宮八幡神社など、これらのほとんどが航海に関わる神社。
壱岐島
聖母宮 聖母宮は、神功皇后・仲哀天皇を祀る創建1300年以上の歴史深い神社で神功皇后伝説の馬蹄石がある。また、聖母宮は、元々は中臣氏に関係が深い、天津日高彦火瓊々杵尊・天児屋根尊・天太玉命を主祭神とした現在の中津神社にあったと言われている。
 神功皇后三韓征伐の最前線基地。安曇氏が祀っている底筒男命・中筒男命・表筒男命を主祭神とする住吉神社は、神功皇后が壱岐島に上陸した郷ノ浦港付近にあったが、後に芦辺町住吉神社の方に移った。
 本宮八幡神社は、神功皇后が三韓征伐の時に武内宿禰が持っていた紅白の幟旗を付けて、海人系集団、宗像一族がその幟旗を沖ノ島に立てて戦った本拠地で、神功皇后と仲哀天皇を祀っている。また、この本宮八幡神社は、桓武天皇の時代に創建されたが、この地には武内宿禰の紅白の幟旗「御手長」を神社の名前にした天手長男神社(天手長比売神社)が存在していたようです。その天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命本宮八幡神社を主祭神とする天手長男神社は、何故か郷ノ浦町田中触の旧物部村に移され、律令制により壱岐島は壱岐国になり、その国の一宮として神功皇后・仲哀天皇を主祭神とする興神社が創建され、その神社の若宮となった。
 このように壱岐島は神功皇后・仲哀天皇に纏わる神社が多く、三韓征伐の最前線基地だった。仲哀天皇の父、日本武尊を祀った志自岐神社もある。壱岐島には、海人系の宗像氏や安曇氏、さらには物部氏や中臣氏も。壱岐市郷ノ浦町になる前には、石田郡柳田村(物部村・半城村が合併した)が存在していた。そこには物部布都神社が存在する。また、壱岐島の平野部が多い芦辺地域には稲作の神、天照皇大神が祀られている神社が多い。律令制が導入される前、カバネ制があり、ヤマト王権が壱岐を任せた県主として壱岐氏に。この壱岐氏は、神功皇后の時代に登場する中臣烏賊津の子孫だと言われています。中臣連から分かれた卜部氏の子孫だと言われています。
 神功皇后に関係した神社が多くある壱岐島ですが、その他に壱岐島の鬼門である男岳に位置する男嶽神社(主祭神:猿田彦)、ダムを隔てて向かい側にある女岳に位置する女嶽神社(主祭神:天鈿女命)、イザナギ・イザナミから生まれた三貴神の月読神社(主祭神:月夜見命)、伊弉冉尊・伊弉諾尊や素戔嗚尊や大己貴命等々を主祭神とする神社があちこちにある。天孫臨降に関係ある天忍穗耳尊・邇邇藝命・大山津見神・花之佐久夜毘売が主祭神とする神社、神武天皇に関係ある天津日高日子穂穂手見命・彦波瀲武鸕鶿草葺不合命を主祭神とする神社までが壱岐島に存在します。正しく、神々の島ですね。それだけ、天皇家や息長氏、物部氏、中臣氏において重要な島だったのですね。
 神功皇后は、息長帯姫と言い、父親は息長宿禰王。息長氏の血筋。いち早く、鉄器を朝鮮半島から壱岐島経由で日本に持ち込んだ氏族です。出身地は、おそらく北部琵琶湖。物部氏も中臣氏もそうだったかも知れない。現在、壱岐島の海岸ビーチと言えば、島の南東部にある筒城浜が有名だけど、この筒城という名称、息長氏系の継体天皇の宮殿名で、京都府京田辺市多々羅都谷1-3 同志社大学京田辺キャンパス内の遺跡から発見された筒城京跡と同じ名称なのです。また、仁徳天皇の皇后、葛城襲津彦を父とする磐乃媛もこの筒城京付近の出身。

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