本音と建前 人間として、陰と陽の裏表の性格を世界の人類が持ち合わせていると思います。でも、日本人って、この傾向が強いと思いませんか。「本音」と「建前」もそうですし、犯罪を起こしての「白」と「黒」もそうですね。この「本音」と「建前」は、外見上全く別のものに見えますけれど、実は完全に「同じ心の働き」に裏打ちされているのです。それは、「自分と他人は切り離されている」、「自分と他人は別だ」、「自分と他人は独立した完全に別の存在だ」という心の働きです。古代でも、権力闘争のために「あらぬ疑い」をかけれ、没落していった皇族、氏族もたくさんいます。こじつけられた正論を元に。現在でもよくある話ですね。この陰と陽の考え方は、森羅万象とか宇宙のあらゆる物事を陰と陽に分けた陰陽思想からきています。元々は天候を表し、中国の春秋時代の最古の詩集『詩経』にも出てくる考え方で、戦国時代末期に五行思想(木、火、土、金、水の行)と一体になって、陰陽五行思想と発展陰陽思想してきた。「陰陽思想」は古代中国神話に登場する帝王「伏儀」が作り出した思想といわれ、「五行思想」は夏の創設者「禹」が発案したと言われています。政治体制も陰陽思想で判断されるという中国の考え方が、日本に水田式稲作が浸透してきた時代に日本でも定着したと思います。日本の神話もこの陰陽思想に基づいて書かれた中国神話をもとに書かれてよ神仙思想の記事うです。陰陽思想の前身は、老子思想であり、秦の始皇帝が不老不死の仙薬を求めて、徐福を日本に派遣した神仙思想でした。この考え方は、紀元前2世紀頃にはその当時の日本人には存在していたようです。
 日本の縄文時代から、自然を崇め、太陽を崇拝し、天候や樹木の茂みに感謝するヒューマニズムがあった。森羅万象という言葉があるように、自然界の万物すべての生命に対する祈りが存在し、身内の生死を祭る儀式があった。肉体とは別に精神的実体として存在すると言う考え方、霊魂思想ですね。そして、人間だけでなく、動物や植物、鉱物にまで拡大していった。亡くなった人の人格が神になり、人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神が人格神として、「ミコト(古事記では命、日本書紀では尊)」となった。人格神として偶像化されて、神々の仲間入り。そして、その偶像が信仰の対象になった。崇神天皇以前の皇室は神だったのです。このヒューマン信仰と陰陽思想が合体し、日本の神道が生まれることになります。
 精神的実体として存在する「魂(タマシヒ)」に陰陽思想が入ってきて、荒ぶり禍をもたらす魂(荒御魂)と福をもたらす魂(和御魂)が存在するとした。日本の神道は、神の荒々しい側面の荒魂と神の優しく平和的な側面の和魂が一つの霊の中にあると言う考え方となって、同一神に。この神道を基に天皇家が誕生し、ヤマト王権が誕生した。
 水田式稲作が九州北部で発生・発展し、西から東へ。畿内から中部まで浸透してきた2世紀から3世紀の時代に、田園開発が行われ、その中で内乱が発生し、その内乱に勝利したのがヤマト王権でした。この時に日本の神道が生まれ、皇族がミコトになり、偶像信仰が始まった。崇神天皇・垂仁天皇・景行天皇の時代ですね。この政権は、皇室を核として、事務方から軍事方までの組織が確立されていたようです。事務方では、部民制の元に各地からの物産を中央に徴集する部(物部、後の物部氏や穂積氏など)や皇室の食事を司る部(膳部、後の高橋氏)があり、軍事方では皇居の警備から軍事戦略の部が既に存在していたようです。この軍事方には、海人部(直属、後の尾張氏や海部氏や津守氏など、古墳時代に参入した安曇氏など海人系が参加していた)と来目部や靫負部(後の久米氏や大伴氏で近衛兵的役割)。国軍を総括していたのは後の物部氏。古墳時代の外交を担っていたのは、安曇氏だったようです。古墳時代になって、人格神を祭るようになり、古墳が増築されます。欽明天皇の時代になって、神仙思想に近い仏教が日本に入ってきます。その当時、仏教と共に儒教も入ってきたが、その当時の日本人には仏教の方が受け入れやすかったのでしょう。
 現代社会で、建前を前面にだすのは儒教的なものの考え方ですが、本心はまた正反対のところにあり、建前が陽であれば、本音は陰ですね。でも、建前を表に出しても、その結果が本心に近づくならば、日本人はそれでよしと考えるのです。海外の方には理解できませんね。正しく「日本人論」と称される部分です。このような日本人の性格が完成されたのは、江戸時代に儒教が見直されてからだと思いますが、日本人の根底に流れている考一霊四魂説え方は、古墳時代以前まで遡れるのですね。やはり、日本人の基本は神道。幕末になって、平田篤胤の弟子の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観として、人の魂は天と繋がる一霊「直霊(ナオヒ)」と4つの魂から成り立つという一霊四魂説が唱えられ、荒魂には「勇」、和魂には「親」、幸魂には「愛」、奇魂には「智」というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊がコントロールしている。簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、物事を観察し分析し、悟る力である。この考え方も中国の五行思想に近く、一霊四魂に五行をあてはめると、荒魂は火、和魂は水、幸魂は木、奇魂は金、直霊は土、に相当すると考えられている。


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