能「鶴亀」 昔からの諺で、「鶴は千年、亀は万年」がありますね。鶴の寿命が千歳で、亀は万歳まで生きる。この諺は、長寿を現しためでたいたとえに使われたりします。野性の鶴の寿命は、およそ20~30年だそうです。最も長く生きた丹頂でも50年以上という記録が。亀は100年位生きているそうです。最長で200年。こんな諺、現在では通用しない話ですね。でも、明治時代位までは、通用していた話なのです。また、能の演目に「鶴亀」があり、あらすじは、「いにしえの中国にて。新年を迎えた皇帝の宮殿でお正月の行事が執り行われます。皇帝に仕える官人が登場し、皇帝が月宮殿にお越しになるので、殿上人は皆参上するように、と触れ回ります。皇帝が不老門に現れて初春の日の輝きをご覧になると、万民が天に響く祝賀の声を上げます。宮殿の庭は金銀珠玉に満ちて美しいことこの上ない様子。こうしたなか、大臣が進み出て例年のように鶴亀に舞をさせ、その後、月宮殿で舞楽をなさいませ、と皇帝に奏上します。鶴と亀が舞って皇帝の長寿を祝うと、皇帝も喜び、みずから立って舞います。さらに殿上人たちが舞って祝賀の場を淮南子盛り上げた後、皇帝は御輿に乗って長生殿へ還ります。」となっています。実はこの諺、日本で作られたのではなく、中国の前漢、武帝の時代(紀元前141年から紀元前87年まで在位)の人で、前漢高祖(劉邦)の孫、淮南王劉安が学者を集めて編纂させた思想書『淮南子』の巻十七 説林訓に書かれています。「鶴歳千歳、亀歳三千歳」と。中国では、古くから鶴や亀を長寿の象徴、縁起のよいものとされていました。
 巻十八 人間訓には、「人間万事塞翁が馬」と書かれていて、「人間」は中国では世間と解釈し、万事世間ではとなり、ここで「塞翁」の塞は鳥のことで、翁は老人のことで、鳥を飼っている老人のこと。この漢文でこの諺のあらすじが添えられています。そのあらすじは、「老人の馬が逃げたところ、その馬が優れた別の馬を連れて帰ってきた。今度は老人の子供がその馬から、落馬して足を折ったが、そのおかげで兵役を逃れて命が助かった。」のたとえ話ですね。「人間万事塞翁が馬」を要約するなら「禍(不幸)や福(幸福)は予測ができないものだ」となり人間万事塞翁が丙午ます。東京都知事をした青島幸男さんが、1981年に『人間万事塞翁が丙午』を書かれ、直木賞を受賞されていますが、このタイトルは、『淮南子』の巻十八 人間訓の「人間万事塞翁が馬」のパロディですね。「不幸が幸いして福となる」という日本人のものの考え方を現した諺ですね。
 『淮南子』は人間の問題を天地の創造からはじめようとしました。巻三 天文訓には開闢説話が書かれており、「天地の未だ形せざるとき」から始まります。『日本書紀』では、「古に天地未だ剖れず」と引用しています。持統天皇の時代の人も中国の『淮南子』を読んでおられたのですね。この他の多くの文句が『日本書紀』の天地開闢の神話に多く引用されています。紀元前2世紀頃の『淮南子』が、日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的になるほど、古くからこの思想史は、日本に根付いていた。
 「鶴は千年、亀は万年」は、中国の不老不死のものの考え方から現れてきた。仙人思想ですね。紀元前3世紀の頃、秦の始皇帝の命で徐福が3,000人もの人を日本に不老不死の薬を探すため渡来している。その人達は、淮南王劉安の『淮南子』を受け入れたのでしょう。前漢の武帝も不老不死に執着していました。紀元前2世紀の頃です。その頃、日本では、北部北九州に小国ができてきたのですね。日本では青銅器の製造が始まったころですが、鉄器はまだ製造されていませんでした。しかし、武帝の時代には鉄器を製造する体制ができ、塩鉄の専売が始まっていました。日本と鉄器の貿易を始めている。青銅板状鉄斧器と鉄器は同じ頃に日本に現れていますからね。貨幣も流通するようになっていたのですね。福岡県糸島市志摩御床松原の貨泉もその当時のものと思います。日本で最初に鉄器を製造したのは、出雲や吉備ではなく、福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部のように、中国からの輸入だったのですね。このように、『淮南子』も中国から入ってきていたのでしょうね。この『淮南子』をその当時から読んでいたのは、渡来してきたインテリ達だったと思います。そして、そのようなインテリが『淮南子』のものの考え方を広めていった。それまでの日本人にも受け入れられる思想だったようですね。
2019年5月10日

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