第6章 殷鑑不遠 第4節

首里城 陽介は沖縄が琉球国であったことぐらいは知っていたが、その琉球国がいつ頃出来たかは知らなかった。首里城が14世紀の末に建てられたことぐらいの知識でした。
 「先生、『中山世鑑』を編纂されたころに琉球国があったのはわかりました。しかし、それ以前がわかりません。」
 「中山世鑑に書かれているように。13歳の時、父、源為義に勘当されて九州に追放され、鎮西総追捕使になっていた源為朝は、保元の乱で崇徳上皇側に付き、後白河天皇側の平清盛に敗れ、伊豆大島に流され、最後はその地で自害した。その源為朝が沖縄に逃れるストーリーがあり、その為朝の子が舜天になり、初代琉球国王になったとあります。舜天は、それまで沖縄を支配していた天孫氏を滅ぼした逆臣、利勇を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされている。1187年のことらしいけれど、実存性は乏しい。」
 「それはないでしょう。保元の乱が1156年で、1170年に島で生まれた9歳になる我が子、為頼を刺し殺して、自害している。」
三山時代の勢力図 「りょう君、日本史ではそうなっていますね。そてから、舜天から3代続いて、沖縄は天孫氏の流れを汲む英祖王統になる。その頃、元寇が日本に攻めてきた頃です。英祖王統が5代続いて、三つに分裂します。それが三山時代で、北山、中山、南山に。1429年に第一尚氏の第2代王になる尚巴志が三山を統一。尚円王が1469年に第二尚氏の初代王となって、明治時代の廃藩置県まで第二尚氏の王権が続いた。」
 「先生、よくわかりました。琉球国の前は天孫氏が。」
 「天孫氏。日本の天孫族ではないのですか。天皇陛下を中心にした。」
 「天照大神を祖先に持つ皇室、氏族が天孫族ですね。沖縄の天孫氏は、奄美群島にも存在していました。また、琉球神話のアマミキヨは、アマミクとも言います。奄美群島ではアマミコと言っています。ちょっと、メモするね。」
 たつやは、紙とペンを用意した。 
 「天孫の天をアマ、孫をミコと読めば、アマミコとなる。」
 「読もうと思えば、よめますね。」
 「日本書紀によると、斉明天皇の時代、657年に奄美群島からアマミの文字使者が来ています。その時に『日本書紀』には「海見嶋」と記入されています。また、天武天皇の時代、682年に「阿麻弥人」と。『続日本記』には「菴美」と記されています。奄美群島からヤマト王権に朝貢している。」
 「これも読めますね。」
 「アマクミを漢字で書くとこおね。」
 「これって、アマミキヨは奄美から発しているということですか。」
 「中山世鑑では、天孫氏の統治は乙丑に始まり、丙午の年になるまでの間、およそ17,802年、25代にわたったと記載されています。そんな長くはないですよね。始まりの乙丑の年は、中国の『隋書』に「流求」の名が記載されている605年と同じであるため、これから取り入れたと考え、また、滅亡した丙午の年は舜天が即位した1187年の前年にあたるとし、すなわち1186年を天孫氏が滅亡した年としたのではないか。」

明時代の地図
 「そうすると、沖縄と奄美群島は一体だったのですか。」
 「そうかも知れませんね。その当時の中国では、台湾も含めて流求としていたみたいです。」
 「605年と言うと推古天皇の時代ですね。そして、607年には小野妹子を遣隋使として派遣している時代ですね。日本神話はその頃にできたと思いますし、琉球神話も日本の影響を受けて、出来上がったように思います。」
 「りょう君、いいところに気が付きますね。」
 「これから話すことは、憶測になり、研究材料にはなりませんが。沖縄の天孫氏の祖先と天皇家や皇族や天孫族の豪族の祖先も同じ民族ではなかったかと思っています。」
 「先生、沖縄の話、とても参考になりました。そうだよなぁ。陽介。これで、沖縄旅行がもっと有意義なものになりそうです。ありがとうございました。」

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