第6章 殷鑑不遠 第3節

 『中山世鑑』は、ニライカナイやアマミキヨの神話的な琉球開闢説話から、源為朝が琉球へ逃れ、その子が実在しない伝説上の王統の舜天になったという説話まで載っています。この為朝琉球渡来説が発端になって、京都の五山僧侶、臨済宗の月舟寿桂等によって唱えられた日琉同祖論。日琉間の禅宗僧侶の交流を通じて琉球戦前の羽地朝秀の墓へもたらされ、呉象賢(羽地朝秀)は、『中山世鑑』を編纂する前に日琉同祖論の影響を受けたようです。また、この『中山世鑑』を編纂する前、薩摩藩に留学して、日本の書物をかなり読破したようで、1666年に尚質王の摂政になって、薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功。そして、摂政を退任する1673年に令達及び意見を記し置きした書、仕置書を書留、その中に、「琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている。」と述べている。
 たつやは、コーヒーを飲みながら羽地朝秀のことを良祐と陽介に説明した。
 「羽地朝秀の話は、お爺さんから聞いたことがあります。でも、それ以前の本土と琉球の関係は知りません。」
 「琉球神話がどのようにして出来たか。知りたいなぁ。」
 「まずは、陽介君の疑問から。江戸時代初期に浄土宗の僧侶、袋中がおられました。その僧侶は、かねてよりエイサー明に渡って未だ見ぬ仏法を学びたいと望んでおられ、1602年に出国しています。そして、沖縄に漂流。結局、明に渡れずに日本に帰国しました。その時、沖縄で念仏踊りをその当時の琉球人に教えています。それが現在でも伝わっているエイサーですね。」
 「へぇ、エイサーにそんな歴史があるのですか。」
 「袋中の浄土宗では、西方浄土という考え方があり、浄土宗の信者はこの世の西方、十万億の仏土を隔てたところに極楽浄土があると信じていた。浄土信仰は平安時代末期の浄土教に端を発し、神仏習合の考え方が平安時代頃からあり、古事記に出てくる他界観を表わす『常世の国』が海のはるか彼方の理想郷にあるという考え方と合致して、南方に臨む海岸から行者が渡渡海船海船に乗り込み、そのまま沖に出るという捨身行が行われるようになった。補陀落渡海と言います。渡海船は、入母屋造りの箱が置かれ、その四方に四つの鳥居が建てられ、艪、櫂なども含めて航行のための道具は備えていない。その箱の中には30日分の食物や水とともに行者が乗り込み、箱が壊れない限りそこから出られない修行で、殆どが日本に帰ってくることができない。」
 「凄い修行ですね。全く死に行くみたい。それで、その渡海船が沖縄に漂流するわけ。」
 「そうですね。沖縄に仏教が伝わったのは、そんな渡海船に乗った僧侶が沖縄に漂着したから。『中山世鑑』の後に編纂された『琉球国由来記』では、鎌倉時代の蒙古襲来の頃に、禅鑑という渡海船に乗った禅宗の鑑真第六回渡海図僧侶が小那覇港に流れ着き、仏教を沖縄に伝えたとあります。この僧が日本人であるか、その当時の中国、南宋の僧侶であったかは、はっきりと明記されていませんが。それ以前にも、奈良時代に唐招提寺を建立した鑑真和上も754年に沖縄に半月間滞在していますから、沖縄には日本や中国の僧侶が立ち寄ったことでしょうね。また、白鳳時代や奈良時代の遣隋使や遣唐使も沖縄に立ち寄り、日本の文化を伝えた可能性はありますね。」
 良祐はたつやの長い話を聞いて、早く琉球神話と日本神話の関係を知りたくてやきもきして、落ち着かないそぶりをしていた。

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録