第6章 殷鑑不遠 第2節

 大城陽介は、本土と沖縄とは別の国、或いは本土にある程度対抗意識を持っていた。それで、たつやの神話の話を聞いて、琉球神話が本土の神話より先に出来たのかと疑問が湧いてきた。
 「先生、沖縄は本土より早く日本人が住んでいるのではないでですか。たとえば、山下洞人や港川人。石垣島では、約2万7千年前の人骨が19体も見つかっていますね。」
 「山下洞人は、3万2千年前と言われていますが、人骨から直接抽出されたタンパク質を調べたのではなく、人骨と一緒に出土した炭化物の年代を測定したもので、信頼性が薄い。それと、石垣島の人骨を国立科学博物館が母系の遺伝子、ミトコンドリアを調べたところ、ハプログループM7aとなり、沖縄では23%で本土では7%でした。約2万5千年前にスンダランドで誕生し、北上して日本列島に到達した系統ですね。」
 その話を聞いていた良祐が。
サキタリ洞遺跡 「2万5千年前。先生、その頃の貝製の釣り針が沖縄のサキタリ洞遺跡で発見されたのをニュースでしりました。2万3千年前のもので、世界最古の釣り針だそうです。また、そのサキタリ洞遺跡から約1万4千年前の人骨と石器が出土したそうです。」
 「沖縄で発見された人骨に限り、沖縄から本土に移り、縄文人となったと考えてもいいのではないですか。」
 「陽介君、それが違うんだなぁ。確かに、沖縄の人には25%を占めているミトコンドリアのハプログループM7aも日本人には7%。それと沖縄にもM7a以外の母系遺伝子を持った人が75%もいます。その当時、沖縄から日本に渡ったのは僅かだったと思います。」
 「すると、先生は本土から沖縄に渡った人の方が多いとでも言われるのですか。」
鬼界アカホヤ火山 「日本から沖縄に渡った最初の出来事は、縄文時代、7千300年前におきた鬼界カルデラの鬼界アカホヤ火山噴火で、九州にいた縄文人は殆ど全滅したが一部は九州や奄美群島から沖縄に避難している。そこで、琉球人と縄文人が交わっています。縄文時代晩期になって、中国から稲作が九州に伝わり、九州にも中国からの渡来人として人口が増え、その一部が奄美群島から沖縄に渡り、稲作を伝えた。或いは、中国から近かった久米島に最初に渡り、その後、沖縄本島に稲作を伝えた可能性もあります。」
 「沖縄は琉球王国の時代から中国と関係が深く、本土とは江戸時代の薩摩藩の南下政策により、本土と関係ができたとばかり思っていました。」
 奄美群島から沖縄への話を聞いていた良祐は、琉球神話と結びつけようと。
 「先生、先ほどの琉球神話と日本神話の関係は。」
中山世鑑 「琉球神話が正史として書かれたのは、日本で言うと江戸時代の徳川家光の頃で、1650年に琉球王国の第10代国王、尚質王の命により、王家分家の呉象賢(日本名は羽地朝秀)によって編纂された『中山世鑑』です。ここには、神話的な琉球開闢説話も記載されていますね。琉球神話と日本神話の関係の話をする前にりょう君も陽介君もコーヒーでも飲みませんか。」
 「頂きます。」


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