第4章 永永無窮 第4節

 ケイコの米の発表が一区切りついた時、たつやはケイコと交代して教壇にたった。
 「ケイコさんの発表でも解られたと思いますが、米が日本で食べられるようになったのは、中国で稲作が開始された時期とそんなに変わらないのではないか。中国の浙江省の河姆渡遺跡から紀元前5,000年頃の水田跡が発見され、その水田の周りに集落が形成されています。この頃、日本でも青森県の三内丸山で集落が発生し、200人以上の縄文人が共同生活をしていました。また、この三内丸山遺跡の集落跡は、中国の河姆渡遺跡の集落跡とよく似ているのです。りょう君、何か。」
 「先生は、河姆渡の人達が日本にやってきたとでも言われるのですか。」
 「その当時の三内丸山では、稲の形跡がないので何とも言えないですが。北九州や日本海沿岸の西日本には、河姆渡の人達が丸太舟でやってきたのではないでしょうか。現在でもそうですが、見知らぬ土地に旅立つときは食料を確保するのが当たり前ですからね。ケイコさん、そうですよね。」
 「稲作の日本への伝達ルートなのですが、先生は江南説(対馬暖流ルート)を支持されているのですか。」
稲作の伝来 「伝達ルート説には、その他に朝鮮半島経由説と南方経由説(黒潮ルート)がありますね。この3つの説をひとつに決めるのは、難しいですね。それぞれ正しいと言えば正しいですし。中国で紀元前5,000年前に水稲がはじまり、日本で現在最古の水田跡が発見されたのは、佐賀県の菜畑遺跡でしょ。それが紀元前930年だとされています。この4,000年の時の流れがあるのでしょ。その間にどれだけの人が大陸からどのようなルートで流れてきたかと言うと一概には言えません。縄文人は元々日本に石器時代からいた人達と限定するのもおかしな話で、弥生時代になって大陸から渡って来た人達が弥生人だと限定するのも。縄文時代から大陸から渡って来て、その当時の原住民と同化していったと考えるのが正しいでしょう。」
RM1遺伝子の国別の分布 「米のこと(米の遺伝子解析)を調べているときに、ひとつ疑問に思ったのがあります。水稲(温帯ジャポニカ)の遺伝子を解析するとRM1にAからHの8種類の遺伝子があり、中国ではこの8種がすべてあるそうで、Bが最も多く、Aが次いで多い。朝鮮半島では、このうち7種があり、Aが多くて、Cがその次、そのうちBが無い。日本では8種のうちAとBとCがあり、そのうちBが一番多い。このことから、朝鮮半島から稲作が伝わってないのでは。そんなふうに思うのです。
 「このことは、私が描いている伝達ルートに合いますね。」
 「と言いますと。」
 「これはあくまで仮説ですけれど。中国で、Bが最初に栽培されて、その後、地域にもよりますが、後の7種は改良された品種だと思います。日本でBが多いのは、中国で初期の稲が持ち込まれていると思います。AとCはだいぶん後に朝鮮半島から。それと、Bは寒さに弱いのではないですか。朝鮮半島は、日本より寒いですから。こんなふうに言われる方もおられて、朝鮮半島は稲作の不毛地帯だった。そこで、日本にある寒さに強いAを逆に朝鮮半島に持っていった。」
 良祐は、先生のその言葉にピンときた。
 「それって、紀元前後に北九州の諸国(奴国、伊都国、末ら国)が朝鮮半島の南にあった加羅諸国と交流があったからではないですか。」
 「りょう君、その辺りのことをまた調べて発表してください。では、この辺りで授業を終わります。」


にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録