第4章 永永無窮 第2節

 教壇に立ったたつやは、笑みを浮かべながらケイコが続けようとしている言葉を止めた。  
 「ケイコさん、よく調べてきたね。現在、イネ科で生存しているのは22種類で、栽培されているのは西アフリカで一部稲作が行われているグラベリマ種と殆どがインディカ米、ジャポニカ米、ジャパニカ米のサティバ種。東南アジアのアッサム、雲南地方にわたるヒマラヤ山麓で紀元前7,000年~紀元前6,000年に栽培し始めた品種。これが現在の定説になっていますが、中国の長江(揚子江)下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、紀7000年前の籾米元前8,000年ころの水田栽培による稲のもみ殻が見つかった話しもあります。このことは、このサティバ種が野生稲のペレニス種から畑で栽培化され、突然変異から熱帯ジャポニカ米が生み出され、水田による稲作へと技術革新が行われて、改良されて温帯ジャポニカ米が生まれた。それが、今から約10,000年前。この上山遺跡から東の東シナ海沿岸付近に河姆渡遺跡(浙江省寧波)からは、7,000年前の稲のもみ殻が発見されています。」
プラントオパール 「先生の言われたように、熱帯ジャポニカ種は日本でも紀元前4,000年ころには生育していた。岡山市津島東の朝寝鼻貝塚の6,000年前の土壌から土器が発見され、その土器に密着している稲(茎の化石)の胎土を電子顕微鏡で検査した結果、米のプラントオパールが発見された。縄文人が土器で煮炊きする中で、稲もその土器に入れ、かなりの温度で加熱すると、稲の茎などはリッキト状になり冷えて土器にこびり付く。その土器の原料の土の成分を調べるために顕微鏡で検査するのですが、その過程で米のプラントオパールが発見されます。」
 この発表を聞いていた良祐は、稲がどうして中国から日本に渡ってきたのだろうと疑問に思った。そして、手を挙げた。
 「縄文時代には、すでに熱帯ジャポニカが生息していたのですね。でも、その種子は海を渡ってどのように渡って来たのですか。中国からの偏西風に乗って飛んできたのですか。」
 「りょう君の疑問もよくわかります。偏西風に飛ばされてやって来たことなどないですね。人力ですよ。一般的に言われているのは、弥生時代に朝鮮半島から。或いは中国から直接。または、沖縄諸島から。でも、これらの定説が崩れたのですから。考古学ではまだ発見されていないので何とも言えないですけれど、古代の稲が朝寝鼻貝塚で発見された、それ以前にすでに日本に熱帯ジャポニカ米の野生種が存在していたと思っています。」
 そのたつやの話しを聞いていたケイコは。
 「先生、6,000年前以前にも日本に熱帯ジャポニカ種があったのですか。」
 「あったと思いますよ。日本の土器は、煮炊き物をするために作られ、その最古の土器は、青森県の大平山元遺跡から発見された土器。付着した炭化物(食べ物の付着物)のAMS法による放射性炭素年代測定法で16,000年前とあり、その土器に稲の炭化物はなかったでしょうが、それ以後の土器には稲の炭化物に稲も含まれている可能性があります。」
 「では、りょう君も先生に聞きましたが、熱帯ジャポニカ種はどこからきたのでしょう。」
鳥浜貝塚の丸木船 「福井県の若狭町に鳥浜貝塚がありまして。縄文時代草創期から前期に掛けての集落跡なのです。まぁ、年代的には今から約12,000~5,000年前。この鳥浜貝塚からスギの木材を使った丸木舟が発見され、縄文時代前期のものらしいです。この辺りでピンときませんか。先ほど、河姆渡遺跡の7,000年前の稲のもみ殻の話しと結びつけると。中国の浙江省の海辺にいた人達が丸太舟に乗って、黒潮海流と対馬海流に流され、日本海海岸到着。その時、熱帯ジャポニカ種の種子を持ってきた。」
 「先生、凄い発想ですね。」
 「いや、いや。では、ケイコさんの米の発表を続けてください。」


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