第3章 渾渾沌沌 第5節

 良祐と俊樹が、今日の授業の日本民族学を終え、教室を出た。
 「俊樹、これからどうする。」
 「良祐はどうするつもりだ。」
 「たつや先生のところに行こう思う。」
 「では、一緒に行くか。蘇我氏や物部氏のことも気になるし。まずは、学生食堂で腹ごしらえ。」
 学生食堂で良祐は、気になることを俊樹にはなしかけた。
 「たつや先生の神武天皇の話、日本神話の話をされましたが、その前は邪馬台国の話もされたのだ。それで、邪馬台国とヤマト王権との関係がわからないのだが。」
 「僕ら、日本史を勉強していると古事記や日本書記には邪馬台国のことなどかいてないよな。」
 「そんなところをたつや先生に聞いてみよう。」
 良祐と俊樹は学生食堂を出て、グランドが見えるベンチで5月の心地よい風を浴びて、気持ちを整えてから、たつやの部屋を訪れた。
 「とし君も、来たのだね。」
 「蘇我馬子や物部守屋のところ辺りに興味があって。」
 「物部氏が、ヤマト王権で軍武の長として活躍しますね。天皇家の当初からヤマト王権を支えた家系で、ホミミの子でニニキの兄にあたるアメノホアカリが祖となっています。ニギハヤヒと同一と言われています。」
 「蘇我氏は。」

天皇家と武内宿禰の家系
 「蘇我氏の祖は、記紀では武内宿禰とされ、葛城氏や平群氏、巨勢氏、紀氏と同じ系統とされます。物部氏よりはかなり後にヤマト王権に参加したと思われ、一部の説には百済の第18代の腆支王(在位:405年~420年)の部下の木満致と同一とされる応神天皇の時代の蘇我満致が祖とされる。蘇我氏は、欽明天皇(539年即位)の時代からで葛城氏に代わり実権を握ることになってからですね。そのため、日本神話のカミとして扱われていないのですね。」
俊樹はたつやの話を聞いて、なんとなく納得した様子でした。そして、良祐が口火をきった。
 「ヤマト王権は、いつ頃から存在していたのですか。確かに日本神話や記紀でしめされるように、ホミミやニニキから神武天皇と脈々と続いていますが。」
邪馬台国と物部氏
 「倭国の大乱の時代に邪馬台国の卑弥呼がその内乱を治め、日本にあった100近い小国が30位の国になった。それから、卑弥呼に代わり壹與が。唐の648年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂された『晋書』では、266年に倭の女王、壹與の使者が朝貢したとあります。この時期にヤマト王権は何をしていたのか。ヤマト王権として中国の史記に現れるのは、『晋書』安帝紀、『太平御覧』によると讃(応神天皇か仁徳天皇)が413年に晋の安帝に貢物を献ずるとあるだけです。150年もの間、中国の史記には日本のことが記載されていません。この間に、日本の記紀ではヤマトタケルから神功皇后までの日本統一のための戦いや三韓での戦いが描かれていますが、それに対する史実的事実は全くと言っていいほどないのです。」
 「日本の記紀には、ヤマトタケルが九州で熊襲と戦ったことは記されていますが、邪馬台国などの諸国と戦ったとは書いてないですものね。」
 「蘇我氏が史記に現れるのは、それから100数年経ってから、そのあたりが明白になればヤマト王権、いや、日本の古代史以前の状況がよくわかるようになるのに。これから、その頃の事実を探して、卒検の材料にしようかな。」
 「ぼくは、九州でおきた倭国の大乱を調べてみようかな。」
 「二人とも、頼もしい。いい卒論を期待しています。」

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