第3章 渾渾沌沌 第2節

芥屋の大門 たつやは糸島の人達の神武天皇の逸話に興味を示し、糸島に出向いてその話を地元の方から聞きたい衝動がおこってきた。そして、良祐にたつやが知っている神武天皇の話を続けた。
 「りょう君の町、糸島のお年寄りの方のお話を聞かせてくれませんか。」
 「うろ覚えなのでハッキリとは言えませんが。糸島半島の海岸線に芥屋の大門があり、そこで神武天皇が海に浸かって、体を海水で清めたそうです。それで、東征を決意したそうです。」
 「そうだ。古事記には、神武天皇が北九州市の岡田宮で1年過ごしたと書いてあるだけですが、日本書記には、シオツツノオジに東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出たとある。そのシオツツノオジと出合ったのが芥屋の大門だったのか。」
英彦山 「先生、その他には細石神社が三雲南小路遺跡のそばにあって、神武天皇のご先祖さんのニニギさまのおくさんのコノハナノサクヤビメとイワナガヒメが祭られていて、博多に行けば、ホミミさまの英彦山がありますし。」
 「このあたりが、古代史を研究していて悩ましいところでね。古事記や日本書記に書かれた事柄なので。天武天皇の時代に昔の言い伝えを史実化されていて、その物事が実際にあった話なのか。作り話なのかが理解できない。また、中国の歴史書は年代、あった事柄が明記されているのである程度、信用できる。」
 「日本の神話の世界ですね。ぼくなんかは、日本の神代の世界だと理解しています。でも、実際、神武天皇は存在していたのですよね。」
 「現在でも、本人の功績を美化したり、ある小さな出来事を誇張したり、実際は他の人がしたことでも借用して、如何にも本人がしたようにしゃべられる方がおられるでしょ。あれと同じだと思うのです。」
 「選挙で、地方遊説している政治家みたいですね。」
 「古事記や日本書紀を編纂した頃は、天智天皇の生前、最上の冠位「大織冠」と大臣の位を贈られ、藤原の姓を与えられた中臣鎌足が天智天皇の死後、実権を握るようになり、皇位継承も藤原家の血筋である大友皇子を弘文天皇に据えたことから、藤原家の息のかかった勢力と今まで国を支えてきた豪族を味方にした大海人皇子の勢力に国が二極化し、壬申の乱が。そして、大海人皇子が勝利し、豪族の血筋ではない天智天皇の娘(母方は、蘇我氏)、鸕野讃良皇女を娶り、皇族を要職につけて他氏族を下位におく皇親政治を行った。そこで、皇族の正当性を掲げて編纂作業に入ったのです。」
 「天武天皇と持統天皇は、叔父と姪の関係だったのですね。今では考えられないことですけど。」
 「記紀のもう一つの目的は、天智天皇の時代に白村江の戦いに敗れて、天武天皇の時代に新羅が朝鮮半島を統一し、中国も唐にとって統一されていた時代で、日本としても新羅や唐に外交上、日本の正当な政権であることを示したかったからです。」
 「なるほど。でも、神武天皇は。」
 「りょう君、神武天皇の時代に天皇という名称はなかったし、この神武という名称だけでなく、天智天皇の子、大友皇子の弘文天皇という名称まで奈良時代の皇族出身の文人、淡路三船が名付けたのですよ。」
 「先生、今度のゴールデンウィークに実家に帰って、もう少し神武天皇のことを調べてきます。必ず、先生に報告しますね。」


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