第3章 渾渾沌沌 第1節

邪馬台国とその周辺国 校庭に桜が咲き、木々にも新芽が出て青々としてきた頃、毎年のようにゼミに新しい顔ぶれが。たつやのゼミにも。最初にたつやの部屋に現れたのは、福岡県出身の青柳良祐でした。
 「先生、おはようございます。先生の古代史の講義がおもしろくて、先生のゼミを選びました。私、青柳良祐と言います。」
 「では、りょう君だね。地方から来たのかね。」
 「ぼくは、福岡の出身で。」
 「博多っ子ですか。奴国の人達の子孫ということかな。」
 「先生、もう、講義ですか。糸島ですよ。」
 「いいところだね。昔、伊都国があって、三雲南小路遺跡・平原遺跡であるところだね。」
 「わたしの町のお年寄りの方の話では、神武天皇の逸話がよく聞かれます。小さい時からそんな話を聞いて育ったもので。」
 「神武天皇の逸話?」
 「神武天皇の逸話は別として、糸島は、古代史を勉強するには重要な土地ですから。」
平原遺跡・1号墓 「平原遺跡の王墓には、鏡やガラス勾玉が発見されていて、邪馬台国の卑弥呼の墓ではと言われています。」
 「そうかも知れないね。このような話は日本の文献、その当時の古書にはなく、中国の魏の三国志の魏志倭人伝という文献に少し記載されているだけですから、今のところはなんとも言えませんね。」
 「邪馬台国、卑弥呼は、本当に存在していたのですか。最近、歴史書ではあまり出版されなくなりましたが、アニメの方ではその種のものが見掛けられます。」
 「卑弥呼は、中国の文献にあるように存在していたと思いますよ。私の見解ですが、秦の始皇帝が不老不死の名薬を求めて、徐福に命じて日本に1,000人近く渡らせた。紀元前200年頃の話です。その人達が住み着いたのが、北九州の地域で、最初は村から歳月を経て小国家に成長し、西暦のころになると九州周辺に100ぐらいの国が存在していたようです。」
 「では、ぼくもその人達の子孫ですかね。」
 「それから、また歳月が経って1,000人ぐらいの人ではあったが、人口が増え、領土の拡大や水源の確保など、小国家同士の争いが。そして、『後漢書』卷85 東夷列傳第75に記されているように、後漢の桓帝・霊帝の治世の間、146年から189年に日本史上初の内戦、倭国大乱が起こるのですね。」
 「日本にその当時、小国があったと高校の日本史で習いました。でも、そんな内戦があったとは。」
 「その倭国大乱を治めたのが、卑弥呼でした。邪馬台国は、ある程度の小国が集って九州での統一国家を形成したと思います。」
 良祐はたつやの話を聞いて、自分が育った糸島にそんな出来事があったことを始めてしった。そして、たつやの話に心が躍り、友達との約束した時間を忘れていた。


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