第2章 潜移暗化 第2節

 たつやの対馬暖流の話を聞いていたさとしは、出雲民族が朝鮮半島から丸太舟に乗って出雲の国にたどり着いたことを確信した。しかし、今から5,500年前から4,000年前に栄えた三内丸山の地にも、朝鮮半島北部から海流に乗って、集団ではなく、年月をかけてその都度、東北の青森県の海岸にたどり着いた人達が、三内丸山で永住し、或いは、故郷を求めて、日本海の海岸沿いに南下した人もいたかも知れない。そのようなことにさとしは気が付いた。
 「先生、出雲のことを調べているうちに、古事記ではスサノオの命やオオクニヌシの命の逸話が出て来ます。スサノオの命は、高天原から根の国、出雲の国に。オオクニヌシの命は、因幡の白兎の説話でウサギがこの地にたどり着くのにワニを集めて、背中を足場にして渡って来て、約束を違えたウサギの皮を剥ぎ取り、痛々しくしているウサギを助ける。スサノオの命もオオクニヌシの命も渡来人ですよね。」
 「イザナミが神産みでヒノヤギハヤヲの神を産んだとき、大火傷をして黄泉の国に逃げ帰り、死んでしまう。この黄泉の国も出雲の国ですね。」
 「スサノオの命が母、イザナミの国に行きたいと言って、根の国に行きますから、黄泉の国も出雲ですね。そして、ヤマタノオロチを成敗する。このヤマタノオロチは、高志の国、現在の北陸地方の人達のことなのでしょ。」
 「日本書記のヤマタノオロチの前段に、スサノオの命は高天原から子のイソタケルと新羅の曾尸茂梨に降り立って、そこに居たくないので、埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の斐伊川上の鳥上の峰へ到ったとあります。ヤマタノオロチを斐伊川の氾濫と捉える方もおられますが、出雲国風土記に記載されている島根県の意宇郡母里郷の地方説話、越(高志)の八口の平定で、出雲と高志の勢力争いをヤマタノオロチ神話の原型や土台とする方も。ヤマタノオロチは、高志の人達かも知れませんね。」
 「北陸地方の高志の人達は、どのような方だったのでしょうか。ひょっとして、スサノオを代表とする出雲民族よりも前に、日本の東北地方に朝鮮半島から船でやって来て、南下して翡翠などを発見した人達。話が膨らむなぁ。」
出雲大社のヒスイ製勾玉 「出雲国風土記の意宇郡条の最初に、国引きの神話があって。そこには、出雲国風土記でしか出てこない神様、ヤツカミズオミツヌの命の頃には、出雲国の面積が細長い布のような小さな国であったようで、志羅紀、北門佐岐、北門農波、高志の余った土地を奪ってできた領土が現在の島根半島だったそうです。それから、高志を攻めて北陸地方まで出雲の勢力を伸ばした。」
 「それで、出雲に糸魚川で採れたヒスイ製勾玉が、出雲大社の宝物殿にあるのですね。古事記によると、国譲りの段でオオクニヌシの命で、天津神に従う代わりに大きな宮殿を建てる約束をタケミカヅチと約束したのでしょ。」
古代出雲大社の復元 「出雲国風土記では、カミムスビが楯縫郡の郡名の由来にもなっている所造天下大神の宮、出雲大社の造営を命じている。あの階段が何段もある高い神殿を。このカミムスビは、古事記では、イザナキとイザナミの前にこの高天原に現れた女神の造化三神で、オオクニヌシの命が兄神に殺されたときに蘇生させている神。出雲民族に関係があるのでしょうね。」
 たつやとさとしは、出雲の昔の話に熱を帯びてきた。

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