第1章 玉石混淆 第3節

縄文のビーナス 縄文時代後期に気候が冷寒化して、1,000年ほど寒い時期が続いた。三内丸山遺跡などの北に住んでいた縄文人は、食料を求めて信濃や関東に移っていった。かなりの文化を持ったこの人達がどの辺りに住み着いたか。
 「先生、ヒスイ製勾玉を作っていた糸魚川の縄文人は、そのまま生活していたのでしょうか。出雲あたりに移動したのでしょうか。」
 「私は、そのまま糸魚川で生活していたと思いますよ。諏訪湖の周りにも縄文遺跡がありましたから。」
 「あの縄文のビーナスが発見された遺跡あたりですか。」
仮面の女神 三内丸山遺跡で1,000年以上生活していたころ、この八ヶ岳の麓の棚畑遺跡で4,500年前ころの「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶が発見されている。さらに、それより500年後に作られたとされている「仮面の女神」が中ッ原遺跡からも発掘されています。この2つの遺跡も長野県茅野市に存在し、「縄文のビーナス」も「仮面の女神」も茅野市尖石縄文考古館に保存されています。
 「そうですね。諏訪湖から南に。この地には黒曜石も取れましから。」
 「石器時代から諏訪湖周辺に人が。」
 「諏訪郡下諏訪町に星ケ塔黒曜石原産地遺跡がありますか諏訪大社_本宮_御正面らね。縄文のビーナスが発見された棚畑遺跡からJRの茅野駅を挟んで西側に。そして、その近くには、諏訪大社の前宮と上社がありますよ。」
 「オオクニヌシの子のタケミナカタが祀られている諏訪大社が。」
 「それとね。諏訪湖周辺で採れた黒曜石が、遠くの青森の三内丸山遺跡まで運ばれていたこともわかっています。」
 「すると、ヒスイ製勾玉が三内丸山遺跡から見つかっているので、三内丸山遺黒曜石跡に住んでいた縄文人は、この諏訪湖周辺にまで来ていたとなりませね。」
 「ケイコさん、それだけではないのですよ。三内丸山遺跡には、食料としてクリの木が植えられていて、この諏訪湖周辺にもクリの木が。」
 「先生、縄文人はクリを食料にしていたのですか。」
 「三内丸山遺跡でもそうですが、この諏訪地域の遺跡、たとえば、尖石遺跡から縄文土器が発掘されていますが、その破片に引っ付いていたのがクリの遺跡でした。」
尖石遺跡の縄文土器 三内丸山遺跡に定住していた縄文人が気候の変化によって、諏訪湖周辺に移住した可能性は可成りあります。冷寒化が始まる4,000年前から温暖化になる3,000年前までもこの諏訪胡周辺で縄文人が生活していたのは確かです。
 「日本人は米を主食にするまで、クリが主食だったのですか。」
 「クリの他にドングリもそうでした。この当時でも日本は四季に分かれていましたから、冬には狩猟をし、春にはクリなどを植えて、海岸で貝を取り、夏には魚を獲り、秋にはクリなどの木の実を食べていたのですね。」
 「米は、その当時栽培されていなかったのですか。」
 「蕎麦、麦、緑豆などを焼畑で栽培していた可能性はありますね。縄文時代後期のころですけれどね。」
 「ジャポニカ米は、その頃には中国から入ってきてませんものね。」


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