第1章 玉石混淆 第2節
翡翠を眺めていたたつやとケイコのところに。
「先生、出雲の卒論でどうしてもわからないので。」
「さとしくん、いいところに来ましたね。この石を見なさい。」
「この石、きれいですね。」
「わたし、糸魚川の大和川海岸で拾った翡翠という石らしいです。」
「ケイコさん、本当に翡翠なの。大和川海岸って何処。ヒスイ海岸じゃないの。」
糸魚川のヒスイ海岸に行けば誰しも翡翠を見付けられるわけではなく、専門家でも翡翠と断言することは難しい。大概が蛇紋石やネフライトと間違えるそうです。翡翠の特徴は、重量が重く、堅いので角があるような歪んだモノが多い、イノ珪酸塩鉱物の翡翠なので採取した色は白や灰色が多い、ヒスイ海岸などでは大きいものはなく、小指の先ぐらいの大きさしかない。
「この石、翡翠ではないの。わたし、新潟県立歴史博物館で糸魚川にいけば凄い物に出会えると言われて。そして、この石を拾って。親不知で知り合った人が翡翠だと言ったので。」
たつやは、本棚から「楽しい鉱物図鑑」と図録「歴史考古学入門事典」を探し、ケイコとさとしに見せた。
「この図鑑のように、翡翠は白っぽいね。
それがヒスイ製勾玉になるとこんなに透き通った綠色をした石になる。」
「先生、勾玉はこれですね。まぁ、彎曲して穴が。この穴にヒモを通して首にかけたのですね。イヤリングみたい。」
「ケイコさん、これが糸魚川の長者ヶ原遺跡で発見された勾玉です。」
「岩石からこのような形を作って、穴まで開けて。大変な作業ですね。翡翠は硬いと聞いたことがあります。先生、今、出雲について調べていますが、そこにもヒスイ製勾玉があったのですか。」
「さとしくん、そうそう、宝石伝説の本に載っていた。」
たつやは、本棚から「宝石伝説」を取り出してさとしに見せた。
「先生、糸魚川のヒスイ製勾玉が出雲にあるのでしょうね。」
「青森の三内丸山遺跡でも、ヒスイの勾玉が見つかっていますよ。」
ヒスイ製勾玉は、5,000年前にはすでに存在していたと言われ、地球の冷寒化が和らぎ、青森の三内丸山遺跡のように東北から北海道にも縄文人が住み着いていました。その当時、北海道の美々4号遺跡、ヲフキ遺跡、青森の三内丸山遺跡、亀ヶ岡遺跡、糸魚川の長者ヶ原遺跡、長野の離山遺跡などからヒスイ製勾玉が発見され、蛍光X線分析により三内丸山遺跡や北海道南部で出土するヒスイが糸魚川産であることがわかった。三内丸山遺跡などの北にいた縄文人は、丸太で糸魚川まで来ていたようです。そして、4,000年前~3,000年前まで地球が冷寒期に入り、青森や北海道にいた縄文人は南下した。ヒスイ製勾玉が再び現れてくるのが紀元前1,000年ころからで、日本に稲作が入って来たころ。北九州や出雲や朝鮮半島南部に現れてきます。
「出雲のヒスイ製勾玉は、弥生時代に入ってきてからのモノなのでしょう。」
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