第一部 渤海 第六章 鏡 第二節

 「ねぇ、私、少し疲れたわ。」
 「そうだな。もうすぐに夕暮れだ。ここらで野宿するか。」
 「ウェイファンまで、まだだいぶんあるの。」
 「そうだな、あと二日ぐらいかな。」
 ひろりんは、野宿をするため、薪を取りにプー子は、ライシュウから持ち出した素材で食事の用意をした。
 「ひろりん、私、巫女をしていたでしょ。」
 「それがどうしたの。」
 「青銅器の鏡を手にしたら、神様に供えようと思うの。」
 「神様に。」
 鏡の発見は、古く人類が誕生して、水面に姿を映し出すことが出来るようになった時代からです。水面に現れた自己の姿を確認するところからだと言われています。それは、神秘的な出来事だったでしょう。それが、石器時代になって、鏃などに使われた黒曜石などを磨くと凹凸はあるとしても自己の姿が映し出された。中国で最初に石板で鏡を発見されたのは、三皇五帝の黄帝(紀元前二千五百十一年~紀元前二千四百四十八年)の次妃、嫫母がある時、石板堀りの手伝いに山へ連れて行かれると、どの女性よりも勝って二十枚もの石板を掘り当て、照り輝く荒削りの石板に乱れた自分の像が醜く映るのを見た。そこで、その石板を研磨するよう磨ぎ師に命じて鏡を発明した。しかし、それでも容姿の優れない鏡を見て、石板の鏡のことはしばらく忘れていたのですが、他の石板の上で肉を焼いていると、突然石板が割れてその破片が顔に刺さってしまった。慌てて再び石板鏡を取り出し、薬を塗っていると、その光景を見た黄帝は、彼女の鏡の発明を褒め称え、彼女の叡智を重用したという伝説があります。
 ひろりんの時代には、すでに鏡という認識があったし、石板で鏡が存在していた。でも、現在のように生活必需品ではなく、鏡の向こう側に何か偶像を感じていたこともあって、信仰に使われていたようです。
 日本でも、邪馬台国の卑弥呼の時代に北九州で多くの銅製の神獣鏡、三角縁神獣鏡などが発見されていますが、そのような鏡は中国から日本に渡ってきたもので、その当時の日本の権力者に贈られたもので、催事に使われたと思われます。天皇家においても、三種の神器にも八咫鏡もありますし、神社では神体として鏡を奉っているところがあります。
 「もし、シーアン辺りで青銅器の鏡を見つけたら、私達の宝にしよう。」
 「神様に奉納しておかないと。」
 ひろりんとプー子は、野宿をして、朝方りょうこうが待つウェイファンへと足早に出発した。


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