第一部 渤海 第五章 宝物 第三節

 「ひろりん、お帰り。」
 「プー子、いいもの見せようか。」
 「何なの。」
 「これ、琥珀というのだよ。」
 「とても綺麗。」
 「プー子の首飾りにと思って。」
 「一生の宝物にするわ。」
 ひろりんは、プー子にジーナンであったことを話した。そして、青銅器の話になった。
 「そうなの。その青銅器を見てみたい。」
 「この器は、土なんかで作られていないから壊れない。」
 「そんなに硬いの。」
 「そして、磨けば輝くので、自分の顔が映るぐらい。」
 「私も青銅器を見てみたい。」
 青銅器がメソポタミアのウバイド文化(紀元前五千年から紀元前三千五百年)で使われる以前は、石器を使用していたのではなく銅器だったのです。銅器が使われるようになったのは、中東で紀元前九千年とされ、イラク北部では銅製のペンダントが発見されている。先史時代の人がどのようにそのペンダントを製造したのだろうか。新石器時代の人が銅鉱石を見つけ、焼石にしてみた。するとその銅鉱石から変わった煙がでた。それを見たその人達は神様のお告げとでも思ったのでしょうか。それとも、不老不死を夢想したのでしょうか。このような偶然な出来事から銅の冶金術が発展していく。銅の冶金術の過程は、自然銅の冷間加工(三百五十度~五百度で加熱)、焼きなまし(展延性を向上させる熱処理)、製錬(鉱石を還元することによって金属を取り出す過程のこと)、インベストメント鋳造(高い温度で熱して液体にしたあと、型に流し込み、冷やして目的の形状に固める加工方法)であるが、東南アナトリアでは紀元前七千五百年には行われている。千九百九十一年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷の氷河で見つかったアイスマンは、紀元前三千三百年のミイラだと言われ、そのアイスマンの側に純銅製の斧の頭が発見されていることから、その頃にはヨーロッパでも銅器が使われていたようです。
 銅の欠点は、鉄などに比べて軟らかいことですが、銅と錫を混ぜることによって、その欠点が解消されることが、青銅器の発展につながった。紀元前四千年頃、メソポタミアのウバイド人が偶々錫の混じた銅鉱石を冶金術で作ったところ、硬い銅器ができた。それが青銅器の始まりです。
 青銅器を作るには銅鉱石の他に錫が必要なので、中央アジアのアンドロノヴォ文化(紀元前二千三百年~紀元前八百年)は銅鉱石と錫を求めて、カスピ海北部からシベリア南部まで広がり、古代ギリシャのミケーネ文化(紀元前千四百五十年~紀元前千百五十年)では、植民地政策がとられ、穀物と錫の交易が盛んになった。
 銅の冶金術が紀元前七千五百年頃に東南アナトリアから発生し、青銅器が紀元前四千年頃、メソポタミアから、西は南ヨーロッパに、東はシベリア南部まで広がったのが、中国に青銅器と冶金術が伝わったのは、紀元前千六百年頃の殷王朝からです。
 「プー子、この荷台に塩がいっぱい積める位できたら、一緒にジーナンからヂェンヂュウまで行こう。」


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