第一部 渤海 第四章 商機 第一節

 「プー子、この織物いいだろう。」
 「お帰りなさい。どうでしたウェイファンは。」
 「にぎやかな集落だったよ。そして、塩売りのりょうこうさんと知り合った。それと、こうしょうさんとも。」
 「ひろりん、それで塩売りを続けるの。」
 「そうだな。こうしょうさんが、タイユェンやナンヤンに連れて行ってくれると言っているので。」
 「これから、プー子は如何したらいいの。」
 「塩作りを続けてほしい。」
 紀元前九千年前に、メソポタミア地方でシュメール人が農耕をはじめたのですが、農作物は中国や朝鮮や東南アジアの米ではなくて、野生の小麦を品種改良して、この小麦の種をメソポタミア地方で栽培することからはじめた。そして、紀元前六千五百年頃から、集落が出来始め、小麦を中心に物々交換が行なわれるようになった。シュメール人は、この集落を束ねるようになって、紀元前三千百年頃には、都市国家を形成し、メソポタミア文明が花咲いた。その頃から、小麦が貨幣の替わりをするようになり、小麦をある一定の量とその他の生産物との取引が行なわれるようになったと思われる。
 中国でも、メソポタミア地方の小麦の替わりに米が焼畑による陸稲栽培が紀元前一万年頃からはじめられ、紀元前四千年前頃には揚子江の下流で水田による稲作がはじめられていた。ひろりんやプー子の時代、紀元前二千年頃には、米も小麦と同じ様に貨幣の替わりをするようになっていたのだろう。また、塩も米と同じ様な商品として、塩をある一定の量を提示すれば、そのたの商品と交換ができるようになっていたと思われる。
 「プー子が作った塩をタイユェンやナンヤンに持っていって、織物や竹細工に替えようと思う。」
 「塩を織物や竹細工と交換して如何するの。」
 「織物や竹細工をウェイファンやズーボーやジーナンで生活必需品に変えようと。」
 「私達が住んでいるライシュウでも、織物や竹細工が欲しい人もいますよ。」
 「そうだね。その人たちに塩作りを手伝ってもらうか。」
 ひろりんとプー子が塩を通じて、これからの生活する上で、商いの芽生えを感じていた。


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