第3部 大和朝廷樹立 第3章 傀儡政権
 
 「イハレビコ、これからどうする。」
 イハレビコ達は、ウサツヒコとウサツヒメと分かれて、筑紫の国に向かって航海を続けていた。
 「兄上、これから、イベツカサ様にお会いします。」
 「イベツカサ。」
 「コシノアカネのお爺さんにあたる人です。宗像の部族ですね。娜国の情報が直ぐに分かります。それから、ヤジラベ様に。」
 「ヤジラベ。娜の津の商人であろう。」
 「そうです。ヤジラベ様の後ろ盾には、海の部族、安曇がいます。」
 「そうだな。これから、倭の国を目指すには海運力を付けなければならないから。」
 イハレビコの祖先は、周王朝の高貴な貴族の出だとしていますが、この高貴な貴族達は紀元前一千年前頃から日本に渡って来て、水田による稲作を伝えた。本書では高貴な貴族としていますが、中国の江蘇省や浙江省辺りから渡って来た部族で、素潜りにより漁をし、サメなどに襲われないように刺青をしていた。それらの部族が航海術を持ち、日本に渡って来て、水田による稲作を広めた。イハレビコの祖先の外に、久米氏や宗像氏や安曇氏の部族もいたのでしょう。
 「兄上、先ずは娜国を攻めましょう。」
 「娜国には、漢委奴国王印を漢の国から貰っているのだろ。」
 「漢の国が、娜国の大君を私達の国の国王と認めているのです。」
 「だから、娜国を攻め滅ぼすのだな。」
 娜国の大君は、沃沮(朝鮮半島北部の咸鏡道付近にいたワイ族)の出身なので、後漢の出先機関の楽浪郡とも繋がりがあった。この沃沮は、扶余や高句麗や濊貊と同じワイ族系で部族です。ワイ族は紀元前三世紀頃には、玄菟郡辺りに住んでいた部族なのですが、元を正せば周王朝の創設者、武王(太伯の弟、季歴の孫)の助力者として、周公旦(武王の弟、魯の始祖)、太公望(呂尚、斉の始祖)、召公奭(陝西省西安出身、燕の始祖)などが殷王朝と戦って滅ぼした。そして、武王は、周公旦には山東省南部を、太公望には山東省の中心部を、召公奭に河北省北部を与えた。この斉の国や燕の国にいた殷王朝の残党が遼東省から吉林省、黒龍江省に逃れ、ワイ族となったと思われる。このように、殷王朝の残党が中国の北部に追いやられ朝鮮半島に移って、箕子朝鮮を建国、さらに北部に移動してワイ族となった。そして、ワイ族は紀元前一千年から紀元前二百年の間に、スキタイと関係が深い匈奴との混血もあったかも知れない。
 ワイ族は紀元前二百年頃、黒龍江省西部・吉林省西部・遼寧省東部から朝鮮半島北東部で生活していた。それが、前漢の武帝の時代に遼東郡の東北方面、のちの蒼海郡の地にワイ族が国を築いていた。そして、紀元前百三十四年から紀元前百二十六年頃まで、前漢軍と戦いを繰り返し、武帝は濊国を認め、紀元前百二十六年、ワイ族の扶余の王室に穢王之印を授けている。
 その後、この地に蒼海郡、紀元前百七年に玄菟郡が設置される。そして、ワイ族は、北に向かい扶余国を建国する。また、ワイ族の濊貊と沃沮が南下して、紀元前百八年に前漢が設置した楽浪郡の近辺に移り住んだ。この頃から、百数年経って日本の娜国に渡って来たようです。
 「兄上、その通りです。娜国はもともとニギハヤヒが作った国です。この娜国を滅ぼせば、ウマシマジの倭の国に打撃を与えます。」
 「そうか、今回の遠征の目的は、ウマシマジの息の根を止めることなのだな。」
 ニギハヤヒはワイ族の出身だと言われ、朝鮮半島から北九州に上陸し、東に向かって、先代旧事本紀によると天磐船で河内に降り立ったとある。ウマシマジはこのニギハヤヒの子で、イハレビコの時代に倭の国を支配していた。
 ワイ族は、漢の武帝が国として認めるため国王印をその国の与えたように、楽浪郡を通して漢の国に貢物を差し出せば、国王印が貰え、国として認められることを知っていたのだろう。だから、娜国は、冊封された周辺諸国のうちで王号を持つ者(外臣)として、漢委奴国王印を後漢の光武帝から頂いたのだろう。
 「それと、兄上、娜国が我々の豊葦原の瑞穂の国の代表のように漢の国に思われるのもどうかと。」
 「そうだな。漢の国に豊葦原の瑞穂の国が支配されるのも考えものだ。」
 「娜国は、ニギハヤヒや漢の国の傀儡政権に成り下がっている。」
 「我々は、豊葦原の瑞穂の国を治めるため立ち上がったのだから。」
 イハレビコ達の軍勢は、日向の国を出る時に二百人位であったが、ウサツヒコの豊の国から百人が加わり、総勢三百人に達していた。
 「若、そろそろ遠賀川付近まできました。」
 「コシノアカネ、分かった。いよいよイベズカサ様に合えるのだな。」
 イハレビコ達が宗像の集落の船着場に近づいた時、海岸には、沢山の人が見えた。
 「若、私達の部族が総勢で迎えにきています。」
 イベズカサは、イハレビコ達が日向の国から出陣したこと。豊の国のウサツヒコとウサツヒメに会って、宗像の集落に向かったことを察知していた。
 「イハレビコ様、いよいよこの時がきたのですね。」
 「娜国を攻めるのですね。そのためには岡田の宮に入られて、軍勢を整えられたら良いと思います。」
 「岡田の宮ですか。以前、ガリサミ様を訪ねて、アマテラス様のお話を聞かせて頂きました。そして、ガリサミ様の教えを学ぶため、マラヒトを岡田の宮に残して、アマテラス様に会うため旅を続けた。岡田の宮だとマラヒトが詳しい。そうしよう。」
 「まずは、この宗像の集落に滞在してください。」
 イハレビコは、娜国と戦うため岡田の宮に仮の宮殿を築くよう、マラヒトに命令した。マラヒトは十日程で、岡田の宮殿を完成させた。
 「若、岡田の宮に宮殿が完成しました。」
 「そうか。では、兄上を宮殿に迎えよう。」
 イハレビコは、岡田の宮殿でイッセをはじめ、重臣達と軍議ができるようにした。古事記によると、この岡田の宮で一年余滞在して、筑紫の国を制定したと記されている。
 イハレビコ達が岡田の宮に移ってから少したって、娜の津からヤジラベがやってきた。
 「ヤジラベ様、ようこそ岡田の宮へ。」
 「若がいよいよ立ち上がられたと聞いて、いてもたってもいられなくて。」
 「それはありがたい。娜国の情勢は如何ですか。」
 「それが、日向の国から攻めてくると言ううわさが流れていて、軍備の用意をはじめています。そして、私どもにも協力の依頼がきました。」
 「それは、どのような依頼だったのですか。」
 「山戸の国に行く船を要しろと。それも船頭の優秀な者をと。」
 「山戸の国に。仲間がいるのだろうか。」
 「いや、山戸の国から馬韓には、扶余の残党がいますからね。それから、楽浪郡にも使者を送るのでしょう。」
 「漢の国に遠征軍をお願いに行くのか。」
 「はたして、漢の国が動くでしょうか。」
 「首露王の金海駕洛国は、ワイ族(濊族系濊貊族)でしょう。確かに、ニギハヤヒとも関係があるといえばいえるが。」
 「そうですね。以前の娜国は、金海駕洛国のワニ族と関係がありました。しかし、沃沮の王室の子孫が渡って来た。そして、今の娜国を建国したのでしたね。」
 「さっき、扶余の残党と言いましたね。漢の援軍を得て、高句麗を服従させた。」
 「扶余は、漢の国から穢王之印を貰っているのです。そして、楽浪郡と手を組み、高句麗と戦い、扶余の部族の一部が馬韓までやってきたのです。」
 「娜国は、その扶余の部族に助けを求めているのか。」
 「そういうことになります。」
 「では、ヤジラベ様は娜国の要請に応じて船を用意しないでしょうね。」
 「当然でしょう。しかし、娜国は必ず、扶余と連絡して、援軍が娜の津にやってきますよ。」
 「そうか。それまでに娜国を降伏させないと。」
 イハレビコは、新しくできた岡田の宮殿にイッセを向かい入れ、重臣達を集めて、娜国の攻略の作戦を練ることした。


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