第2部 漢委奴国王印 第10章 大君の死
 
 イハレビコが一の宮から庄内の集落に帰ってきたのは、稲穂が生い茂る夏の終わりころでした。
 「アヒラヒメ、ただ今戻ったぞ。今年の稲穂はしっかり実が付いているな。」
 「お帰りなさい。タギシミミとキスミミこちらに来なさい。父上が帰ってこられましたよ。」
 タギシミミはイハレビコとアヒラヒメが庄内の集落で生活したころに生まれ、八歳になっていた。キスミミはイハレビコが娜国に探索に行く前に生まれたので、四歳になっていた。
 「明日にでも、タギシミミとキスミミを連れて、高千穂の宮に行ってみようかな。母上にもお会いしたいし。」
 「そうですね。私もお会いしとうございます。さて、久しぶりに皆揃ったことだし、踏ん張って、お食事の用意をしましょう。」
 イハレビコがタシトと倭の国から伊勢のアマテラスに面会したのが、十五歳の頃、それから十年が経ち、日向の国の情勢も変わり、領土の拡大や稲作の収穫量の増加により、国力が増してきた。そして、今回の一の宮の集落の完成と鉄器の生産という事業により、隼人の国を制圧できるまでになってきた。
 イハレビコの家族は、庄内の集落を早朝、出発して、高千穂の宮に着いた。高千穂の宮も収穫期には人の往来が多く、イハレビコが大君や母、タマヨリヒメにお会いするために宮殿に向かう途中、すれ違う人々がイハレビコに会釈をした。イハレビコもすでに、二十五歳になり、兄イツセと共に、日向の国を動かす事ができるほどに成長していた。
 「イハレビコ、よう来られた。まぁ、アヒラヒメそれに、タギシミミとキスミミ。さあ、お入りなさい。」
 「母上、お元気そうでなによりです。」
 「今日は、ゆっくりされなさいね。積もる話もありますし。大君のこともお話しとかないと。」
 「大君が如何かされたのですか。今、大君は何処におられます。」
 「少し、体の具合が悪いのです。最近、時々発熱されて、うなされておられます。今日も無理をされてはと思い、高千穂の宮付近の稲作の出来具合の視察をお止めしたのですが。」
 「稲作の出来具合の探索ですか。今日は、タギシミミとキスミミも連れてきましたので、大君もお喜びになられるでしょう。」
 イハレビコ達は、タマヨリヒメの居間まで案内された。そして、タマヨリヒメとアヒラヒメとの女性同士で、家庭の話や孫達の話で華が咲いた。その後、タマヨリヒメはタギシミミとキスミミを連れて、庭に出て孫達に昔話など語られながら、孫達と戯れられた。
 イハレビコとアヒラヒメは縁側でその風景を見ながら。
 「アヒラヒメ、私はこれからこの家族を守っていかなければならないのだな。」
 「そうですね。あなたは、私達の家族だけでなく日向の国の民の家族も守っていかなければなりません。」
 「日向の国を平和な国にするためにも戦っていかねばならないのだな。」
 イハレビコ達が庭先で屯している時、大君が現れた。
 「イハレビコ、よく来たな。庭で孫達の話し声が聞こえたので。アヒラヒメもよく来られた。」
 「大君、今年の稲作は豊作ですね。」
 「そうだな。以前、イツセが水路の工事をやってくれたお陰で、田畑に水が切れることなく、年々、収穫高も上がっている。」
 「今年は、天候にも恵まれたのではないですか。」
 「イハレビコ、少し話しがある。私の居間まで来なさい。」
 イハレビコは大君に連れられて、大君の居間に入った。
 「イハレビコ、家族総出で一の宮に移ってくれないか。」
 「一の宮に。」
 「今、一の宮にはイツセがいているのだが。高千穂の宮にイツセを呼び戻したいのだ。」
 「兄上を高千穂の宮に。」
 「タマヨリヒメからも聞いているかも知れないが、体の調子が悪いのだ。そこで、イツセを呼び戻し、私の手助けをしてもらいたい。」
 「分かりました。庄内の集落の収穫が終わりしだいに一の宮に行きます。」
 「イハレビコには、鉄器の製造を任したいのだ。」
 イハレビコ達は、大君やタマヨリヒメと一緒に食事を共にして、高千穂の宮を後にした。
 イハレビコは庄内の集落の稲作の収穫を終え、一の宮に連れて行く部下の人選に当たった。大君から一の宮を任されたと言う事は、軍事力の強化が最優先の課題でした。そこで、大伴氏の祖ミチノオミと久米氏の祖オホクメの他、中臣氏の祖アマノタネキも連れて行く事にした。一の宮には、山戸の国から連れて来た意富(大或は太とも言われる)氏の祖オホノミカデオミと山代の賀茂氏の始祖カモタケツヌミの同族のカモノカサメルネがいた。その他にも、宗像氏の祖コシノアカネ、イハレビコが一の宮に着任してから、仕えるようになった阿蘇氏の祖タケイワタツもいた。
 イハレビコは、この一の宮でオホノミカデオミを中心にして鉄器の製造を始め、鉄鉱石の収集には、オホクメの手下にさせ、炉の設置や金型の制作には、カモノカサメルネにさせた。この状況を監視していたのが、タケイワタツでした。
 タケイワタツは、イハレビコの祖父アマツヒコヒコホホデミの妻トヨタマビメ以外にアソヒメがいた。その父とか、イハレビコとホトタタライススキヒメの次男カムヤヰミミの子とか言われているが、本書ではイハレビコと同時代に阿蘇を支配していた豪族の首長としておきます。
 イハレビコは、鉄器の生産に着手して少し落ち着いた頃、ふと阿蘇山を見上げた。そして、阿蘇山から一の宮を見たくなり、ミチノオミを連れて、阿蘇山に向かった。
 「若、阿蘇山に登るのは始めてですね。」
 「阿蘇山の火口を見たくなった。そこから、一の宮も見えるし、遠くの娜国が見えないかなと思って。」
 イハレビコ達が阿蘇山の中腹に差し掛かった時、初老の少し貴賓がある方にであった。
 「もしや、イハレビコ君ではないですか。」
 「そちは、何方ですか。」
 「阿蘇山を管理していますタケイワタツです。今、一の宮で鉄器の製造をされていますね。」
 「タケイワタツやら、何故そのようなことを知っておる。」
 「私は、阿蘇山付近のことは何でも知っていますよ。阿蘇山を管理している者として。」
 「そうか。では、私達はこれから阿蘇山に登ろうと思う。阿蘇山を案内してくれないか。」
 「分かりました。」
 イハレビコは、タケイワタツの案内で阿蘇山に登る事にした。そして、阿蘇山の頂上に到着して、イハレビコは驚いた。阿蘇山の火口の凄さを。
 「タケイワタツ、この赤っぽいどろどろしたものは何なのだ。」
 「これが、火の神様です。」
 「この神様が怒られると、噴火して溶岩を流されます。」
 「噴火して。」
 「そうです。そして、流れた溶岩が冷えて、いろいろな鉱山ができます。その中に、鉄鉱石があるのです。」
 「鉄鉱石を見分ける事ができるのか。何処にあるかも知っているのですか。」
 「知っていますよ。できたら、私の子ハヤミカタマを手下にしてもらえないでしょうか。」
 「そのようにしましょう。」
 ハヤミカタマは大和朝廷が樹立してから、阿蘇の国造に就任している。その後、阿蘇神社の宮司として、または肥後の国の氏族となり、中世には戦国大名となっていく。
 ハヤミカタマの参加で、鉄器の製造も軌道に乗り、イハレビコが一の宮に着任して、二年経った頃には、五十鈴川の下流の門川湾に軍船を浮かべるようになった。この軍船に乗り込んでいるのは、コシノアカネの仲間でした。
 一の宮の稲作は、最初はアギシの部族が行なってくれていたのですが、次第にイハレビコの手下やハヤミカタマの部族も参加するようになり、収穫も上がってきていた。イハレビコが一の宮に来て、三年目の稲作の収穫頃、高千穂の宮から、早馬が到着した。
 「若君、大君が。」
 「どうした。」
 「早く、高千穂の宮に。」
 イハレビコは、オホクメに馬の用意をさせ、高千穂の宮に向かった。そして、宮殿に着くと足早に馬から降り、大君のいる居間まで駆けつけた。
 「兄上、大君が。」
 「うん。」
 大君は、目を閉じ、顔の表情は苦しそうでした。
 「父上、父上。」
 「イハレビコ、イツセと一緒に日向の国を頼む。」
 イハレビコが大君にお会いして、間もなく息を引き取った。大君の死でした。


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