第1部 草薙の剣  第5章 出雲にて(2)
 
 イハレビコ達は、早朝、温泉の集落を出て、入り江から船に乗り、神門の水海に着いたのは夕方であった。イハレビコ達は、船から降りて、浜辺に立った時、東の方角に今までに見たこともない背の高い祠が目に入ってきた。
 「神門の水海は、肥の河の下流です。しかし、肥の河の氾濫が度々あり、出雲の人は何時も困っています。」
 「スサノヲの神が、ヲロチを退治した肥の河ですね。」
 「そうです。そこで、あの背の高い祠を建て、オオクニヌシの神を祀っています。」
 イハレビコ当事の出雲大社は、現在の大社と違って、権威の象徴として、また山陰地方の木材の豊富さと、建築技術の向上によって、高々な建造物に仕上げていた。イハレビコ達は、この祠の付近で宿をとることにした。
 「イハレビコ様、石 の曾の宮までは神門の水海から、肥の河に沿って行くと山の麓にあります。」
 「ヤジラベ様、肥の河の上流で鉄鉱石が取れると聞いている。また、その鉄鉱石をもとに鋼や鉄を作り、剣などの鉄製品を作っているらしい。」
 「そうです。我等もその製鉄集団から鉄製品を譲り受けたりしています。イハレビコ様に差し上げた草薙の剣もたぶん、肥の河の上流の集落で、その製鉄集団が作った剣だと思います。」
 日本神話では、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦って、ヲロチの尻尾を切り取った時、その尻尾が剣(草薙の剣)に変わって、ヲロチをその剣でやっつけたとある。これは、天つ神(高天の原におあすアマテラスを中心にした神々)が諸国の乱れを正すため、スサノヲの神を出雲の国に遣わして、出雲の国つ神(オオクニヌシを代表とする地上の神々)を治めた話である。
 実際には、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国に出兵して、出雲の部族と戦った。そして、出雲の国で困っている肥の河の氾濫を土木の技術で改善し、日本神話では、肥の河の氾濫をヲロチと例えた。その時、天つ神を崇拝する部族が、出雲の国の祠に奉納されていた剣(草薙の剣)を持ち帰ったかも知れない。
 本書では、イハレビコがサツミワケから預かって、伊勢神宮に奉納したことにする。また、天皇家の三種の神器のひとつ草薙の剣が、出雲の国と何等かの関係がある処に、いにしえの時代の不可思議がある。
 「イハレビコ様、明日はいよいよサツミワケに会って頂きます。」
 出雲大社付近では、稲穂を刈り終えて、田園地帯は野焼きが始まっていた。イハレビコ達はその風景を見ながら、肥の河沿いに石 の曾の宮まで歩き出した。
 現在、石 の曾の宮はどの辺りあったか、不明であるが、本書では島根県雲南市木次町日登辺りにあったと仮定する。また、イハレビコの時代に出雲の国の石 の曾の宮が、政の中心であったかと言うと、そうではなかったようです。
 出雲の国の政と祭祀は松江であり、松江には、出雲大社が建立される前にアシハラノシコヲ(オオクニヌシの別名)を祀る熊野大社(島根県松江市八雲町付近)があって、その神社を現在の出雲大社に移したと言われています。松江が、かなり古くから出雲の国の中心地であったことには違いない。熊野大社と言うと、南紀に熊野大社があり、イハレビコが倭の国を目出した時に、南紀の熊野大社に立ち寄った形跡があることから、松江の熊野大社と南紀の熊野大社とは、同じ国つ神を祀っているので、何等かの関係があったかも知れない。
 肥の河は、川の水位が高く、如何にも水量が多く、豪雨が続けば川が氾濫しても不思議ではない状態であった。また、川の水路もうねりが多く、水位が上がれば、川の周辺は水浸しになりそうな地形であった。イハレビコ達は、そんな風景を見ながら肥の河を行くと、川沿いから見て、山沿いの纏まった集落が見えてきた。その集落の中心に高殿式の建物が見えた。
 「イハレビコ様、あそこが石の 曾の宮でございます。」
 ヤジラベは、石 の曾の宮には久しぶりに来たようで、サツミワケの住居に着くまで時間を要した。
 「出雲の国まで、よく来られた。サツミワケでございます。」
 「ヤジラベ様から、草薙の剣を頂戴いたしました日向のイハレビコでございます。」
 「草薙の剣をヤジラベ様に預けた訳をお話します。」
 サツミワケによると、出雲の国では昔から、国つ神としてオオクニヌシの神を祭祀してきたが、サツミワケの祖父の話では、吉備の国の友人が倭の国の祈祷師を連れてきた。その時に、その祈祷師は天つ神(アマテラスの神を中心とした神々)の話をした。
 その話の中で、諸国では国つ神(オオクニヌシの神や祖先の神)を祭祀しているが、国は乱れているではないか。天つ神を祀れば、国は治まり、安堵した平和な生活がおくれる。そこで、その話を聞いていた出雲の国の人が、天つ神がそれほどよい神であるのなら、出雲の肥の河の氾濫を抑えてくれるように祈ってくれないかと問いただしたそうだ。すると、その祈祷師はアマテラスの神の弟でスサノヲの神がおられて、その神はめっぽう暴れん坊で、その神にお願いしてみようということになった。それから、その祈祷師が、日夜に渡って、音曲や能舞や薪を炊いて祈られた。そして、祈祷師の言うには、神門の水海の間口を広げよ。それから、その付近に祠を建て、スサノヲの神を祀られよ。
 この話をサツミワケの祖父が、その当時の出雲の大君に話したところ、大君が祈祷している祠(松江の熊野大社)を神門の水海の付近に出雲大社として移された。そして、スサノヲの神の子として、オオクニヌシの神を祀られた。建て前は天つ神を截てて、実際は国つ神を祀ったのである。
 サツミワケの祖父は、出雲大社にスサノヲの神を実際に祀らなかったことを気にして、スサノヲの神に剣を奉納するため、現在の奥出雲市八川付近の製鉄集団の集落に命じて、草薙の剣を作らせた。しかし、この草薙の剣をどのように奉納するかということになって、サツミワケの時代まで保管してきた。それで、ヤジラベ様にお願いして、スサノヲの神にいわれがある天つ神(アマテラスの神)に奉納して頂けるお方を探してもらったという内容の話を、サツミワケはイハレビコに永遠と語った。
 「よく分かりました。必ず、草薙の剣を奉納します。」
 この剣は、天皇家の三種の神器になっていくのだが、剣として数奇な運命をたどることになる。
 「サツミワケ様、我らは日向の国で生活しているのですが、鉄製品を使ったり、作ったりしたことがありません。どうか、製鉄集団の集落をお教え願えないでしょうか。」
 「それはできないですな。」
 「何故ですか。理由を教えてください。」
 「出雲の国は、古くから製鉄技術を持ち、この地の鉄鉱石があることを探り出し、古来のたたら製鉄手法で、剣などを作りだしてきたのに、それを簡単に教えることは出来ません。」
 「それを何とかお教え願えないでしょうか。それでは、製造している作業をお見せできないものでしょうか。」
 「イハレビコ様の願いとあれば、仕方がありません。釜戸での製鉄作業をお見せしましょう。」
 イハレビコは、大和朝廷を樹立するために倭の国を目指して北上した時に、天つ神の子孫とし、諸国の国つ神を制圧するという建て前で、日本を統一しようとしたのである。天つ神を権威の象徴としたことになる。これとよく似た話が近代にもあり、明治政府(薩長連合)が江戸幕府を倒幕するのに、天皇の権威を利用して、錦の旗を立てて戦ったのとよく似ている。
 また、イハレビコが北上した時に、出雲の国の製鉄集団から、矢尻や剣などを調達するのに安芸の国や吉備の国で時間を費やすし、出雲や安芸や吉備の三国と戦ったのではないだろうか。
 サツミワケは手下に命じて、イハレビコ達の夕食と寝床を用意させた。そして、翌朝イハレビコ達は、ヤジラベと別れを告げ、サツミワケの案内でたたら製鉄の作業を見に製鉄集団の集落に出発した。
 「イハレビコ様、製鉄のすべての工程をお見せすることは出来ませんが、釜戸で鉄を燻っている様子をお見せしましょう。」
 釜戸には、鉄鉱石と薪を入れ、風を吹きこんで鉄が溶けるまで作業を続けていた。
 「サツミワケ様、ありがとうございました。大変参考になりました。」
 「さて、イハレビコ様、これからどちらの方へ行かれます。」
 「この山を越えて、安芸の国まで出ようと思います。」
 「安芸の国に行かれるのですか。」
 「安芸の国には、海戦が上手な部族がいると聞いています。これからの参考になるかと思っています。」
 「安芸の国の多祁理の宮に、私の知り合いコトミナヒコが居ます。訪ねて行かれよ。」
 「これはありがたい。必ず、訪ねます。」
 「これからの旅で、何か困られた時は草薙の剣をお使いください。きっと、頼りになるでしょう。」
 「サツミワケ様、必ずアマテラスの神にこの草薙の剣を奉納いたします。」


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