第1部 草薙の剣  第5章 出雲にて(1)
 
 イハレビコ達はサツミワケに会うために、ヤジラベが用意してくれた船に乗って、出雲の国をめざして娜の津を出発した。
 「ヤジラベ様、サツミワケ様は出雲のどこに居られますか。」
 「出雲の石 (いわくま)の曾の宮に居られます。」
 出雲の石 (いわくま)の曾の宮(斐伊川の上流付近)までの道のりは、神門(かんもん)の水海(みずうみ)(出雲大社付近の海岸で現在の稲佐の浜付近)から出雲大社を経て、肥の河(斐伊川)沿いに上流へ行った所にあった。なお、斐伊川の下流は江戸時代に、今の宍道湖に流れるようになったが、イハレビコの時代には神門の水海に流れ出ていた。肥の河と言うと、日本神話でスサノヲがヲロチと戦い、草薙の剣を得たところである。
 イハレビコ達の船が玄海灘を通り過ぎた頃から、波は穏やかになり、一面に海が広がってきた。海岸線を見ると、山々の木々が微かに色づいてきたように見えた。イハレビコがその景色を眺めていた時、ヤジラベが突然言い出した。
 「イハレビコ様には、航海の途中で石見の銀山によって頂きます。」
 「銀鉱山に寄るのか。」
 「イハレビコ様が見学されました船で馬韓に銀鉱石を運ぶために、銀鉱山に寄らなければなりません。」
 「石見の銀山は、出雲の国の財源になっているのか。」
 「違います。石見で銀鉱石が取れるのは、誰も知りません。我らの仲間で採取しているだけです。」
 「その銀鉱石を馬韓に持っていって銀製品にしているのか。」
 イハレビコの時代の日本では、金銀の製品や装飾品などを作る技術を持っていなかった。そこで、馬韓の職人などに頼らなければならず、馬韓に銀鉱石を運ばねばならなかった。
イハレビコの時代の日本では、出雲の国だけが鉄製品や青銅製品の製造技術を持っていたが、金銀の装飾品などの金銀製造技術は持っていなかった。
 出雲の国が何で、鉄製品や青銅製品を作る技術を持っていたのだろうか。しかも、稲作の収穫も、その当時トップクラスであった。地理的な観点から視ると、熊曾や日向の国は東南アジアから、筑紫や豊の国は朝鮮半島から、稲作文化が入って来たかと。しかし、出雲の国は如何だろう。やはり、中国大陸から、稲作文化が入ってきたのではないか。その稲作文化と共に製造技術や神話等の文化も一緒に入って来たのかも知れない。
 出雲の国の神話は、オオクニヌシが中心になって語られ、オオクニヌシの名前が出雲の地域によって、内容によって、五つの別名の神(オオクニヌシ、オホナムヂ、アシハラノシコヲ、ヤチホコ、ウツシクニタマ)として登場してくる。また、この五つの神の神殿には、勾玉、鏡、剣、矢、楯が各神殿にひとつずつ祀られ、すべて鉄や青銅製品である。
 出雲の国に関する日本神話では、スサノヲが登場し、オオクニヌシはスサノヲの子孫として扱われている。たとえば、スサノヲがコシノヤマタノヲロチと戦った神話では、出雲の国の肥の河の氾濫をヲロチに例えてあるのだが、イザナキとイザナミの子オホヤマツミの子アシナヅチの八人の娘達がヲロチの生贄なり、最後の娘クシナダヒメを助けるため、スサノヲはヲロチと戦い、退治して、スサノヲとクシナダヒメが一緒になって子を儲ける。その子孫がオオクニヌシとなるという神話がある。
 大和朝廷と出雲の国との関係を示した日本神話には、アマテラスの玉飾りをスサノヲが噛み砕いて出てきた子供達には、イハレビコの祖先神アサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミや出雲の国の出雲臣一族の祖先神アメノホヒがいて、兄弟として扱われている。
 このように、イハレビコの子孫が大和朝廷を設立し、日本を統一するまでには、日本神話をみても、大和朝廷と出雲の国との経緯があったし、出雲の国の五つの神の神殿に祀られている五品と、天皇家の象徴としての三種の神器(勾玉、鏡、草薙の剣)との関係も興味深い。大和朝廷が出雲の国を制圧した後、色々な経緯があって、出雲神話を日本神話に取り入れたり、天皇の三種の神器にしたりしたのだろう。また、古事記の神話では、出雲の神話の後、あの高千穂の神話があり、神話の最後にイハレビコが東国に出陣して、倭の国に到達し、初代天皇に就く神話の流れがある。
 それにしても、出雲の国は大和朝廷と対立するだけの経済力や軍事力、政治力があり、文化的にも確立した国であった。
 夕陽が西の海に沈もうとしている時、イハレビコ達の船は陸地の方へ近づいて、海岸の入り江に向かっていた。この入り江は、現在の島根県の温泉津(ゆのつ)付近であった。
 「イハレビコ様、この港付近に温泉があります。その温泉で一泊しましょう。」
 「銀鉱山はここから、近いのか。」
 「明日、陸路で銀鉱山まで案内します。」
 「この前、馬韓の船を見学した時、積荷の中に金銀製の勾玉や首飾りをみつけたのだが、あのような高価な品物を欲しがる方がこの世に居られるのですか。」
 「倭の国に、女王様が居られまして。」
 倭の国は、大和三山とその周辺にあり、女王を中心にした母系家族形態の国家を形成し、文化的にも経済的にもその当時では群を抜いていた。また、崇神天皇の時代まで、大和朝廷の宿敵となる国であった。
 卑弥呼(邪馬台国の女王)が倭の国の女王に就いていたと本書では仮定しているが、実際には、邪馬台国と女王(卑弥呼)は、魏の歴史書(魏史倭人伝)に出てくるだけで、邪馬台国が倭の国であったかというと定かでない。三世紀の頃、魏の歴史書(魏史倭人伝)では、魏の国王が邪馬台国の女王(卑弥呼)に親魏倭王の称号を与え、金印を送って、卑弥呼を倭の国王と認めた記述があるだけである。また、古事記によると神武天皇からの天皇家の年代を計算すると紀元前にまでさかのぼるから、イハレビコと卑弥呼が同年代であることはありえない。本書では、イハレビコの時代を一世紀と仮定している。
 「倭の国か。」
 朝晩が冷え込む中秋の頃、温泉の湯煙があちこちに見られた所で、イハレビコ達は宿をとった。
 温泉の集落を早朝出発し、東の小高い山に向かって歩き出した。
 「イハレビコ様、あの山を越えると仙山と言う山があります。その山で銀鉱石が取れます。」
 矢滝城山の頂上へ来て見ると西から北にかけて日本海の海岸線が広がり、東から南にかけて山陰山脈の山々が薄らと色づいて見えた。
それから、降路坂を下り、仙山の頂上に着いた頃には、太陽が頭上に来ていた。
 「イハレビコ様、もうすぐ着きます。山の中腹にある集落に我ら仲間がいます。」
 「ヤジラベ様、お迎えに来ました。」
 「コラベ、銀鉱石の発掘は如何じゃ。」
 「順調にいっています。」
 「娜の津に停泊中の船が、もう時期入り江に着くで。入り江に運ばないと。」
 「分かりました。」
 「イハレビコ様、ここが銀鉱山です。中に入ってみましょう。ぴかぴか光っているでしょう。これが銀鉱石です。」
 イハレビコが手にした銀色の石は、ずっしりと重たかった。日本は火山帯が沢山あり、地球のマグマから噴出した溶岩の中に、金鉱石や銀鉱石が含まれていた。
 「ヤジラベ、各地を回っているあなたなら、このような鉱山が他にもあることを知っているだろう。」
 「確かに、諸国に鉱山がございます。なぜそんなことを聞かれるのですか。」
 「いや、ふと思っただけです。このような鉱山を手に入れたなら、諸国を統一して国家としての財源になるだろうと。」
 「仰せのとおりです。もし、イハレビコ様がそのお積りなら、お仕えいたします。」
 イハレビコ達が石見の銀山を出て、温泉の集落に帰って来た頃には、夕陽が沈もうとしていた。
 「イハレビコ様、明日はいよいよ出雲の国へまいります。」