私達、日本人は何となしに日本語を話しています。イントネーションを上げれば、怒っているように聞こえますし、下げれば自信なさそうにも。話し言葉全体からの強弱がイントネーションだとすると、名詞の単語自体にも強弱を表わすアクセント或いは音調があり、それは、助詞によって判断する。たとえば、「雨と飴」「箸と橋と端」「鼻と花」などたくさんありますね。この単語にしても、近畿の方言と東京の方言ではまたアクセントが違います。その他に、「兄弟」と言う単語にしても近畿では「キョオダイ」と発音しますが、東京では「キョウダイ」と。訛りとして判断し、後の助詞や形容詞で判断する。海外の方が日本語は難しいと言われるのもわかりますね。日本人が英語を喋るのに、このイントネーションやアクセントが邪魔して、変な英語になってしまうのも仕方がないですね。また、西暦、2,000年もの歳月の間にこのイントネーションやアクセントが徐々に変化或いは退化して、現在の日本語になっている訳で、大和言葉を話していた古代の人達の喋くりにも興味があります。
古代の標準語アクセントと現代の方言アクセント
 日本が縄文時代を経て、弥生時代になり、中国や朝鮮半島から渡来人が日本にやって来てどのような言葉を話していたのでしょうか。言語学では東シナ海からオーストロネシア語族が最初に来て、その後、朝鮮半島からツングース語族が。その混合が日本語だというのが通説ですけれど、実際、そうだったのでしょうか。縄文人の話す言葉と弥生人とではかなりの隔たりがあったと思います。異人と話すときに、中世の大航海時代のヨーロッパの商人は、現地人と話すのに異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語を作ったと言われています。ピジン言語ですね。まずは、その売ろうとする品物の共通の意味を探すのですね。そして、その品物の名前を付ける。その話者達の子供達の世代で母国語として話されるようになる。クレオール言語ですね。現在でも外来語や新しい言葉が世代を経過して日本語になった例はたくさんありますね。安土桃山時代に長崎にポルトガカステラル人がやって来て、「カステラ」とか「天ぷら」という言葉を日本語にしました。「カステラ」は、江戸時代になって、長崎の福砂屋がポルトガル人の南蛮菓子をもとに作った和菓子で、ポルトガル語の「城」という言葉を「カステーラ」といい、それで「カステラ」という商標にしたのでしょう。「天ぷら」は、西洋のフリッターをもとに、ポルトガル語の「テンペーラ(油を使用して硬くする)」からきています。
 弥生時代に日本にやって来た人達は、稲作をそれまでに住んでいた人達に稲作を教えていきます。その時に文字もない日本では、その稲作にかかわる道具や工程の意味を手探りで教えたのでしょうね。そして、その仕草に渡来した人達の言葉を付けていったと思います。そのようにして日本の話し言葉が出来上がっていきます。稲作を伝授した人達は、やはり、中国の浙江省や福建省の人達かなぁ。その人達はY染色体ハプログループO1b系列だし、日本にもY染色体ハプログループO1b2の人達が26%~36%をしめている。日本に漢字が伝わった頃、仏教用語の漢字の読み方として呉音を採用していたのは、中国の浙江省や福建省の人達が多くいたからだと思う。漢音を採用したのは、奈良時代後期から平安時代初めの遣隋使・遣唐使が日本に伝えたようです。呉音と漢音の音読みの他に日本では訓読みという漢字の読み方があり、漢字の意味を優しく解説したり言い換えたりする日本独特の読み方があります。台湾にも訓読みの風習があるようですが。
 日本語の文法はツングース語族と同じSOV型で、「主語+目的語+熟語」の形ですので、以前はアルタイ語族に入れられていました。しかし、最近の遺伝子の研究が進み、日本人のY染色体ハプログループO1b2の割合と2分するハプログループD1b2のハプログループD1b 系列は、チベット族もそうですが、SOV型を使っていることがわかりました。弥生人が日本にやって来るまでの約35,000年間に、日本で生活していた人達だったのです。縄文時代の人達ですね。日本語は、縄文人と弥生人の混合言語なのです。
世界の言語分布図

2018年7月6日

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