2万年前の日本列島 今から20,000年前から13,000年前頃は、世界的にも氷河期の最後の寒冷期で、日本列島は大陸と繫がっていました。その頃、モンゴル系の北方古モンゴロイドがシベリアのバルカン湖から日本に食料を求めて樺太から北海道に入り、津軽海峡を渡って東北に移動します。東北からさらに信濃辺りまで南下しないとチョウセンゴヨウ、クルミ、ハシバミなどの植物性食料が得られませんでした。このモンゴロイドが、人類のY染色体ハプログループD1b(D-M64.1)と考えられ、現在の日本人のY染色体で約32%を占めています。このモンゴル系の北方古モンゴロイドは中国大陸でも内蒙古自治区からさらに河北省あたりまで南下し、そこで南部モンゴロイドと混血し、朝鮮半島から対馬を渡り、九州に。また、河北省から山東半島あたりから沖縄や八重島などに舟で上陸し、東に移動した。この人達が13,000年前以降の縄文人達になります。そのことは、考古学の遺跡で青森県外ヶ浜町の太平山元I遺跡から16,500年前の土器が。また、宮崎県都城市高城町の軍人原遺蹟から15,000年前の土器が発見されています。これらの遺跡は、縄文時代の草創期ですね。では、日本列島に北方古モンゴロイドが現れる前には、人類が存在していなかったかと言うと、出雲市の砂原遺跡から120,000前の旧石器時代の石器が。岩手県遠野町の金取遺跡から80,000年前の石器が発見されていることから、日本にもネアンデルタール人がいたのでしょう。13,000年前から10,000年前の気候は、寒冷期と温暖期が入れ替り、その入れ替わりが激しく、この頃に中国大陸と繫がっていた日本列島が、現在の姿になった。モンゴル系の北方古モンゴロイドの人達は、北に南にクルミなどの植物性食料を求めて移動していたのでしょう。
スンダランド 東南アジアに16,000年前まで存在したスンダランドは、13,000年前から10,000年前の寒冷期と温暖期の繰り返しのため海底に沈みだし、6,000年前には現在の姿になった。その頃にその地にいた南方古モンゴロイドが中国の浙江省辺りまで北上します。その人達やスンダラランドから直接、黒潮に乗って舟で日本列島にたどり着きます。その人類がオーストロネシア系の南方モンゴロイドで、Y染色体ハプログループO2(O-M122)と考えられます。日本人のY染色体で約17%を占めています。9,000年前には、気候の変化が落ち着き、温暖期を迎えたことにより、Y染色体ハプログループD1bとY染色体ハプログループO2の人々が混血するようになり、縄文時代の早期が始まり、その人達が縄文文化を築いていきます。
 さて、中国の四大文明は、まず私が作成した一覧表(http://goo.gl/WQkFKZ)をご覧ください。揚子江周辺に芽生えた長江文明の彭頭山文化は、スンダラランドから北上したオーストロネシア系の南方モンゴロイドが気候の寒冷化によってシベリアから南下していきた新モンゴロイドと混血して、Y染色体ハプログループOb1(O-M95)の人達が9,500年前頃から築いた。その文化の彭頭山遺跡には、米のもみ殻などが発見され、中国最古の栽培種の稲が存在していた。この地方では、クルミなどの種子植物を食料にしなくても植物性食料を摂取していました。それから遅れること、9,000年前頃から、黄河文明の裴李崗文化が発生し、Y染色体ハプログループD・N系の北方古モンゴロイドと新モンゴロイドが混血して、粟の栽培はしていたが、稲作はこの地域ではまだ浸透せず、クルミなどの種子植物を主食とし、家畜をおこなっていた。この人達は、竹で古代の笛を作り、占いなどで使う甲骨文字の前身である賈湖契刻文字を持つ文化水準を保っていた。内蒙古自治区から遼寧省の人達(Y染色体ハプログループD1b)は、8,200年前に遼河文明の興隆窪文化を築き、弥生時代に朝鮮半島経由で弥生文化を伝えたと思われ、この興隆窪遺跡からは翡翠などの玉製品の出土や龍の出現など、後の青銅器をもとに栄えた紅山文化が日本の文化に影響を与えている。
 日本に稲作をもたらしたのは、長江文明を支えてきたY染色体ハプログループOb1の人達で、青銅器や鉄器をもたらしたのは、遼河文明の河北省や遼寧省、山東省のY染色体ハプログループD1bの人達だと思われます。
2016年11月7日

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録