出雲市多伎町砂原の砂原遺跡から、2009年8月に12万年前の古地層中から1点の小石片が発見された。この小石片が日本で最古の石を打ち砕いてつくられた打製石器です。また、岩手県遠野市宮守町にある金取遺跡からも、8~9万年前と見られる地層から打製石器が発見されています。すでに、日本でも人類が12万年前から住んでいたことになります。ただ、この砂原遺跡にしても金取遺跡にしても人骨は発見されていません。残念ながら、日本は更新世の火山噴火による火山灰が、瀬戸内、近畿地方を除く日本列島の大部分に降り注いだので骨を分解してしまう酸性土壌の占める地域が多く人骨が発見されないのです。
 この打製石器の材質に適していると言われる黒曜石も花崗岩で、日本は太古の時代から火山活動が盛んな土地柄ですから、世界でも有数の産出国だったのです。3万5,000年前の高原山黒曜石原産地遺跡群もあり、群馬県みどり市の岩宿遺跡でも1946年に赤城山南東の関東ローム層から黒曜石の打製石器が発見されてい旧石器時代の人びとの狩猟の様子ます。ナウマン象とヤベオオツノジカも日本にいた。その遺跡も野尻湖から1948年に発見されています。そのナウマン象の骨は、3万年~5万年前のものだったらしい。最古の住居の遺跡としては大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡で、3万年~1万3,000年前の竪穴式住居が1986年に発見されています。高原山黒曜石原産地遺跡群、岩宿遺跡や野尻湖遺跡やはさみ山遺跡で発見された遺産には、その当時の人々の影が見えます。現在の日本人のY染色体のハプログループD1b(D-M64.1)は約35%にみられ、アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー博士は、「縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1bが誕生した」とする説を唱えておられます。とすると。高原山黒曜石原産地遺跡群、岩宿遺跡や野尻湖遺跡やはさみ山遺跡で生活していた人達は、ハプログループD1b(D-M64.1)をもった縄文人の祖先となりますね。また、ミトコンドリアDNAハプログループで日本人に多いのはハプログループM7aで、約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループ「M」型から分岐したM7より分岐したグループで、約2万5,000年前に「スンダランド」で誕生し北上して日本列島に到達した系統、あるいは、シベリア南部~極東あたりで発生した系統があります。
 では、砂原遺跡や金取遺跡で生活していた人達はどのような人類だったのでしょうか。Y染色体で人類の移動を説明している学者の人達は、ハプログループDの親グループのハプログループDEが約6万年前にホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡って、アフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至ったと主張しています。では、12万年にいた日本人はホモ・サピエンスではないのでしょうか。ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけてアフリカで現生人類に進化し、約6万年前にアジアにやって来ネアンデルタール人た。とすると12万年にいた日本人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していたネアンデルタール人だったのか。ネアンデルタール人は、約20万年前から生存し、ホモ・サピエンスが新人として世界に散らばった2万年前には絶滅していた。とすると、やはり12万年前にいた日本人は北京原人やジャワ原人のホモ・エレクトスではなく、ネアンデルタール人だと思う。その日本にいたネアンデルタール人とY染色体のハプログループDのホモ・サピエンスが約3万年前に混血して、現在の日本人がもつハプログループD1b(D-M64.1)と変わっていき、日本人だけがもつハプログループを形成されたのではないでしょうか。そのハプログループD1b(D-M64.1)が縄文人に受け継がれた。
 1880年に創刊され、現在アメリカ科学振興協会 (AAAS)によって発行されている学術雑誌『サイエンス』の2010年5月7日に発刊された記事によると、ホモ・サピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているとの説を発表している。
2015年12月12日

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