日本神話と言うと『古事記』や『日本書記』に書かれている神代の物語がもとになっています。このような物語を掲載しようとした第40代天武天皇は、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、673年に即位した。その天武天皇の意志を継いだ持統天皇の妹、第43代元明天皇の命により太安万侶が編纂にかかり、稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録し、その当時の氏族の言い伝えなどを集めて、1年をかけて711年に元明天皇に献上した史記が『古事記』です。稗田阿礼は、岩戸隠れでアマテラスが天岩戸に隠れて世界が暗闇になったときに踊り子として現れた巫女、アメノウズメを祖としている氏族で伊勢の国を治めていた。この稗田阿礼も天武天皇から『帝紀』『旧辞』を誦習するようにと命じられている。『帝紀』も681年に天武天皇の命により、天智天皇2子の川島皇子と忍壁皇子が編纂し、皇室の系譜の伝承を記した。この『帝紀』の内容は、『古事記』の中・下巻に記されています。『旧辞』は、記紀の説話・伝承的な部分の元になったもので、各氏族伝来の歴史書だと考えられています。それも、第25代武烈天皇まで、第24代継体天皇からは系図のみとなっています。『古事記』の上巻は、『旧辞』から記載されているのですね。日本神話は、ほとんどが『古事記』の上巻が基になっています。
 日本神話には時代背景が存在しないのだろうか。オオヤマツミやオオワタツミの場合はどうなのだろうか。最初に出てくるオオヤマツミとオオワタツミは、イザナキとイザナミの神産みの神話です。イザナキとイザナミは、大八洲国やその他の小さな島々を産んだ後、家を守る神を産み、そして自然界の神を産みました。その中にオオヤマツミが山の神として出て来ます。最後にイザナミは、火の神、カグツチを産みその出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまい、イザナミは黄泉の国に行ってしまう。この黄泉の国は、出雲と伯耆の境の比婆山(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町)にイザナミが葬られたので、出雲地方という設定になっています。
 イザナギは黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(九州)の日向(宮崎県)の橘の小門の阿波岐原(現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊を行った。衣を脱ぐと十二神が生まれた。そして、左目を洗うとアマテラス、右目を洗うとツクヨミ、鼻を洗うとスサノヲの神が生まれた。そのスサノヲはイザナキから海原を治めるように言われるが、その申し出を断り、母のいる黄泉の国(根の国)に行く。次にオオヤマツミが出てくる神話がこの根の国でクシナダヒメを助けるためにヤマタノオロチと戦う。このクシナダヒメの両親、アシナヅチとテナヅチはオオヤマツミの子なのです。
 ニニキが天孫降臨の神話の中もオオヤマツミが出て来ます。アマテラスの子孫となっているニニキが笠沙の岬で美しい娘に逢った。その娘がコノハナノサクヤビメで、ニニキと結ばれ、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生む。このコノハナノサクヤビメの父親がオオヤマツミなのです。このコノハナノサクヤビメの姉のイワナガヒメもニニキのもとにやるのですが、親元に返してしまい、オオヤマツミは出雲のスサノヲの子のヤシマジヌミに嫁がせるという神話もあります。また、コノハナノサクヤビメとイワナガヒメは、伊都国の中心とされる福岡県糸島市三雲の細石神社に祭神として祀ら、その他にも各地の浅間神社に山の神として祀られています。
三島鴨神社 オオヤマツミが祀られているのは、「三島・山祇信仰」に属し全国の三島神社の総本社、伊豆の三嶋神社が有名で、伊予の大山祇神社(愛媛県今治市大三島町宮浦)から勧請したと伝えられています。また、大山祇神社も全国にあり、伊予の大山祇神社が総本社になっています。この神社は、『伊予国風土記』によると、元々オオヤマツミは百済から渡来して摂津国の御嶋に鎮座し、のち伊予国に勧請されたとあり、伊予では山の神の他に海の神としても祀られ、そして三嶋神社も海の神として祀られた経緯があります。では、百済から摂津に鎮座したとは、大阪府高槻市の三島鴨神社のことで第16代仁徳天皇の時代の出来事で、鴨氏の氏神とされるコトシロヌシもオオヤマツミと共に祀られています。葦原中国平定において、タケミカヅチらがオオクニヌシに対し国譲りを迫ると、オオクニヌシは美保ヶ崎で漁をしている息子のコトシロヌシが答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行きコトシロヌシに国譲りを迫ると、コトシロヌシは「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまったというコトシロヌシのことで、鴨氏のこと。鴨氏は、仁徳天皇の時代に百済から渡ってきた人達となる。また、オオヤマツミの子、コノハナノサクヤビメとイワナガヒメが福岡県糸島市三雲の細石神社に祀られていると言うことは、三雲南小路遺跡がある福岡県糸島市にある伊都国は、百済からの渡来人の国であるかも知れない。そこに何らかの鴨氏が関わっていたと考えても不思議ではない。
三雲南小路遺跡
2015年11月29日

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