日本の神話は、『古事記』『日本書紀』『風土記』などに記載されている内容がもとになっています。この記紀は、飛鳥時代の天武・持統天皇時代に昔から言い継がれていた説話を編纂したもので、その当時に実権があった氏族の言い伝えや天皇制の正当性を趣旨に記載されました。これに関連して、地方では日本のおとぎ話として昔から言い伝えてきました。そこで、桃太郎(https://youtu.be/vqwqE25pBEI)と日本神話に関わりのある日本のおとぎ話を上げてみます。
吉備津神社 この「桃太郎」のおとぎ話は、桃太郎がお婆さんから黍団子を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。この話のゆかりの地と言われている岡山の話で、吉備津神社に伝わるおとぎ話と言われています。第7代孝霊天皇の時代に吉備の国には、製鉄技術を吉備地域へもたらし、岡山県総社市の鬼城山に鬼ノ城という城を天智天皇が築いた、その辺りにいた渡来人で渡来地域が複数存在しており、出雲渡来説・九州渡来説・百済の王子説・任那・伽耶渡来説・新羅渡来説など複温羅数の説がある温羅を鬼とした話。その温羅を第10代崇神天皇の配下に治めるために、第7代孝霊天皇と倭国香媛の子、吉備津彦命と絙某弟から生まれた異母兄弟の弟、稚武彦命を吉備に送って、家来に犬飼武命(犬養氏の祖)、楽々森彦命、留玉臣命が従った。その3氏が桃太郎のおとぎ話では、犬、猿、キジとなっています。そして、現在の吉備津神社の地に本陣を置き、温羅と戦ったとされている。
 吉備岡山に造山古墳(全国5位の大きさ)と作山古墳があり、前方後円墳を築いた吉備の王国の領主の墓だといわれ、吉備津彦命や稚武彦命の墓ではないかと言われています。この前方後円墳は、紀元400年代前期に造築されたと言われていますから、吉備津彦命や稚武彦命が実際存在していたとしたら、紀元300年後半から400年の前半の人物となります。また、岡山県倉敷市矢部の丘陵上にある弥生時代の墳丘墓、楯築遺跡があり、円丘の両側に方形の突出部を持った双方中円墳(紀元100年後半から紀元200年前半)がある。もし、吉備に王国があってヤマト朝廷と敵対していたとしたら、記紀で書かれている崇神天皇が身内を四道将軍として全国に派遣して、征服したとあるのは、身内ではなく地方の豪族を取り込んで、後生の系図を作成する時に身内にしてしまったと考えられます。吉備にいた豪族も渡来人の可能性が大きく、出雲にしても吉備にしても鉄器の原料が取れる地区なので、早くから鉄器製造者が朝鮮半島から渡ってきていると思います。吉備王朝を築いた渡来人の前にすでにこの地で生活していた人達、すなわち、鬼とされている温羅を代表する渡来人がいたと思われます。
 吉備と言いますと国産みと神産みの神話で、イザナミが火の神を産んだときに女陰が焼け、病気になってイザナミが死。イザナギはイザナミを出雲の国と伯伎(伯耆)の国の境にある比婆の山(現在の島根県安来市)に葬ったとある。この比婆山から南に行くと吉備の国です。ヤマト朝廷が神話である記紀を編纂するにあたって、イザナギとイザナミは国産みで日本を作ったように書いていますが、実際は大陸から日本に流れて来た人達の神がイザナギとイザナミであり、その渡来した人達はイザナギとイザナミの子として描いているアマテラスが政権を担当する勢力の神として崇めた。出雲や因幡の国に関係あるスサノヲやオオクニヌシの神達を崇拝していた渡来人もいたが、飛鳥時代のころにはアマテラス(太陽信仰)を中心にした政権になった。ニニキが天孫降臨して、これは日本にやって来てということで、地元(縄文人の流れをくむ)のコノハナノサクヤビメと結ばれ、日本書紀では子としているアメノホアカリを産む。古事記ではアメノホアカリはニニキの弟となっている。このアメノホアカリは、物部氏や穂積氏の祖神、ニギハヤヒであり、尾張氏、津守氏、海部氏なども祖神としている。このように日本の体制を作ってきたのは弥生人であり、この弥生人は大陸から来た渡来人であった。
2015年10月24日

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