dogu_1 ククテニ文化(紀元前5,500年~紀元前2,750年)は、新石器時代後期に黒海の北部、現在のルーマニア北東部、モルドバ、ウクライナ南西部で、農耕と牧畜、狩猟と漁労を加え、黒海北東部からカスピ海北部、コーカサス山脈の北側にいたインド・ヨーロッパ語族(イラン・アーリア人等)が西方に進出するまでにこの地に定住した民族によって発生した文化です。ククテニ文化の遺物には、彩陶(独特の模様をあしらった彩色土器)と土偶(農作物の豊饒を祈る地母神)があります。
 ククテニ文化の民族は定かではないですが、亜旧石器時代(紀元前9,500年~紀元前8,000年)にレバトン(シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル)の南部にナトゥーフ文化を開いた人達が、農耕地を探して北上し、現在のアルメニア、アゼルバイジャン、グルジア辺りに定住したのが、旧約聖書に出てくるノアの方舟の民族で、セム系語族(アッシリア人等)。さらにコーカサス山脈を越え、黒海の北部に定住した人達がククテニ文化を築いたのだろうと思われる。
 亜旧石器時代に農耕が始まるのですが、コーカサス山脈を越えた人々の中には、農耕の傍ら、狩猟を目的として、牧畜をはじめる人々も現れた。そして、コーカサス山脈の北側のステップ地帯で、ヤギ、羊、犬、豚、牛を飼い、アカシカ、ノロジカ、イノシシ、ヘラジカ、カワウソ、オオカミ、キツネ、ビーバー、オナガー(野ロバ)等を獲っていた。そして、馬に出会い、馬を家畜できるようになっdogu_2た。この民族がインド・ヨーロッパ語族のアーリア人です。このアーリア人が古代ギリシャのエーゲ海の周辺やカスピ海から東へ、中央アジアのアルタイ山脈まで銅鉱山を求めて、遊牧し、カスピ海北部からアルタイ山脈まで青銅器文化のアンドロノヴォ文化(紀元前2,300年~紀元前1,000年)を築いた。その後、アーリア人は南下し、インダス文明を築いたドラヴィタ人をインドから追い出し、インドを占領した。このアーリア人がインド・アーリア人。南下したアーリア人がカスピ海の南側に進出して、紀元前550年にアケメネス朝を築いたのが、イラン・アーリア人。イラン・アーリア人の一部が、紀元前700年からアレキサンドロス3世が東方に遠征した紀元前330年頃まで、現在の西はウクライナ、カザフスタン、東はロシア連邦のトゥヴァ共和国まで遊牧をしたスキタイ人。このスキタイ人の中にカサ人がアケメネス朝を築き、アッシリアを滅ぼした。東部にいたスキタイ人はアナトリア半島からアケドニアまで進出している。
dogu_3 話が少し脱線しましたが、ククテニ文化の土偶にまで戻ります。土偶はククテニ文化だけに見受けられるものではなく、農耕を始めた世界各地で見受けられます。日本でも一番古いのは、縄文時代草創期(紀元前10,000年~紀元前9,000年)の三重県松阪市飯南町粥見井尻遺跡から2つの土偶が発見されています。その後、縄文時代中期に長野県棚畑遺跡出土の「土偶のビーナス」は立像土偶の代表的なものです。縄文時代晩期の青森県つるが市亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶は、1980年に発掘されている。
 土偶は中国や朝鮮半島から渡ってきたのではなく、農耕の神として民俗なものであったのでしょう。土偶も弥生時代には姿を消しています。縄文時代に日本独自で各地に広がったと思われます。
2012年10月11日

にほんブログ村テーマ 原始ブログ集まれ。へ
原始ブログ集まれ。

PVアクセスランキング にほんブログ村

隠された古代史を探索する会
 隠された古代史を探索する会
隠された古代史を探索する会の会員登録