最終氷期(70,000年前~紀元前11,000年頃)が終了し、アレレード期、地球が温暖化してきたが、それから直ぐにヤンガードリアス期(紀元前10,900年~紀元前9,500年)がはじまり、数10年ごとに寒冷化の気候変化がおこり、旱魃や乾燥地帯が出現した。その後、亜旧石器時代(紀元前9,500年~紀元前8,000年)には、最終氷期時代に人類は狩猟を中心に生活していたのが、最終氷期が終わり、地球が温暖化したことにより、人類はライムギやヒトツプコムギ、エンメル麦、ヒユ類などの野生植物を採取して生活を。しかし、ヤンガードリアス期による気候の変化により、これらの野生植物は減少し、それらの野生植物を栽培しはじめた。これが農耕の始まりです。その頃、レバトン(シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル)の南部にナトゥーフ文化を築く。
 ナトゥーフ文化が発生したレバトンの南部から北東部に、テル・アブ・フレイラ遺跡があり、人類最古の穀物(ライムギ)の栽培跡(紀元前9,050年頃)が発見されています。このテル・アブ・フレイラーには、100人から200人位の人が住んでいた円形の集落が形成され、木や小枝で住居が作られていたようです。
 以前、NHKスペシャルで、「人類の起源」という番組がありました。そこでアフリカを出た人類が小麦の種を持って、東へ西へと農耕を広めて言ったと放映されました。イメージ的にはよくできた番組だったのですが、実際にはレバトンで芽生えた農耕技術が水源を求めて、新石器時代になって、ハーブル川流域のハフラ文化(紀元前6,000年~紀元前5,300年)そして、チグリス・ユーフラシス川の下流に移り、ウバイド文化(紀元前5,500年~紀元前3,500年)によって、農耕の灌漑が出現し、メソポタミア文明に繋がっていく。NHKスペシャルの「人類の起源」ではないですが、農耕の文化がレバトンのナトゥーフ文化から全世界に広がっていったことは確かです。
 農耕の灌漑技術は、メソポタミアからインド、そして中国、最後に日本に渡ってきた。メソポタミア文明を築いたシュメール人が最後に日本に渡って来た訳ではないのです。中国で発生した稲も、紀元前10,000年前頃には陸稲で栽培されていたし、日本人にしても中国人にしても、最後氷期の初期にアフリカを出て、石器文化を持ってメソポタミアからインド、中央アジアから中国、バルカル湖周辺から日本に渡ってきている。また、中国南部や東南アジア辺りから日本に渡ってきている。
 文化的な流れから、石器文化があり、稲作文化、銅文化、青銅器文化、鉄器文化によって、人類が発展し、人口を増やしてきた。人類が文化を持って移動し、その地で混血、同化し、世界各地の現在の民族分布になっている。
2012年9月17日

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