メソポタミア文明(紀元前3,500年~紀元前330年)は、シュメール人がチグリス川の下流のウルクを拠点にウルク文化(紀元前3,500年~紀元前2,350年)を築いてから、チグリス・ユーフラシス川の上流にいたセム系のアガッド人によるアガッド王朝時代(紀元前2,350年~紀元前2,113年)を経て、最後のシュメール人の王朝、ウル第三王朝時代(紀元前2,113年~紀元前2,006年)、シリアにいた遊牧民のアムル人の諸王国時代(紀元前2,006年~紀元前1,894年)、バビロニア人によるバビロニア王国(紀元前1,894年~紀元前539年)、アレキサンドロス3世がアケメネス朝ペルシア(紀元前550年~紀元前330年)を滅ぼすまで続いた。そのメソポタミア文明の基礎を作ったのがウバイド人によるウバイド文化(紀元前5,500年~紀元前3,500年)です。
 紀元前10,000年頃に氷河期が終わり、地球が温暖化の始まりが紀元前8,500年頃、人類はレバント(シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル)に生息していた野生の小麦をもとに天水農耕をはじめた。その時期は新石器時代。その後、シリアの北東部のハーブル川流域にハフラ文化(紀元前6,000年~紀元前5,300年)が栄え、ザグロス山脈の北西部に紀元前5,500年頃からウバイド文化がハフラ文化の引継ぎとしてはじまった。農地の拡大を求めて、チグリス・ユーフラシス川の下流の乾燥地帯にウバイド人は移動し、ハフラ文化でトルクメニスタン南部・イラン北部地方の銅を採掘し、銅器が作られていたのを車輪の発明や農具などに利用するようになった。そして、ウバイド文化中期(紀元前4,800年~紀元前4,500年)に灌漑農耕を考案し、大規模な集落ができるようになり、ウバイド文化後期(紀元前4,500年~紀元前4,000年)には都市化が進み、西はシリアの地中海沿岸からザグロス山脈沿いに東方向へ、南はカタールなどのペルシア湾沿岸にまで浸透していった。そして、紀元前3,500年頃にシュメール人によるウルク文化がはじまる。その頃には、銅器も銅とスズを混合した青銅器が生まれ、シュメール人による楔形文字、月と太陽の周期をもとにした太陰太陽暦、金星と太陽の周期からの六十進記数法、のこぎり、ハンマ、船、日干し煉瓦などを発明した。
 シュメール人もどのような人種であったか分らないが、ウバイド人もはっきりは分らない。ウバイド人の社会的集団には、穀物や家畜を扱う農民、家畜を追って生活をする遊牧民、葦の家で暮らす漁労民に分かれていた。シュメール人がメソポタミアで文明を築くようになって、ウバイド人は西へ行き、古代ギリシャの神殿、北へは鉄器を駆使したヒッタイトのアナトリア半島に、東へはインダス文明を築いたドラヴィタ人のインドに移動していった。ウバイド人が日本にまで来たという説もあるが、それは定かでない。ただ、ウバイドをウワイトとした時に倭人となるらしい。
2012年9月8日

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