武器商人が死の商人と言われるようになったのは、今では平和の象徴としてのノーベル賞の発起人、アルフレッド・ノーベルです。爆薬、ニトログリセリンを使って、ダイナマイトを発明した科学者であり、実業家です。ノーベルの身内が死亡した時に、フランスの新聞社がノーベルの死と間違って、「死の商人が死す」と報じたことからだと思います。この報道により、アルフレッド・ノーベルの遺言で、物理学、化学、生理学医学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に遺産を贈るようにした。そして、遺族は、ノーベル財団を設立して、1901年に著名な科学者などにノーベル賞を贈った。
 武器商人が何時ごろから存在していたのだろうか。商人が武器を納入する軍隊は何時ごろから。この軍隊がどのように発生したのか。
 人類が狩猟と採集の生活から、牧畜(牛・羊の飼育)と農耕(麦類栽培)を主体とした生活が行われるようになったのは、メソポタミア地方では紀元前8,000年頃と言われています。そして、天水農耕から灌漑農耕になったのはハラフ文化(紀元前6,000年~紀元前5,300年)で、ウバイド文化中期(紀元前4,800年~紀元前4,500年)にウバイド人によって、灌漑農耕が確立した。その後、シュメール人がメソポタミアに出現し、シュメール文明(紀元前3,800年~紀元前2,800年)を築き、ウルク期を経て、ジェムデト・ナルス期(紀元前3,100年~紀元前2,900年)には、銅とスズを混ぜた青銅合金の製造法を発見し、青銅器の武器の製造も始まった。ジェムデト・ナルス期末期にメソポタミア全域に大洪水が起こり、シュメール人はキシュに移り住み、その後各地に散らばってしまった。メソポタミアの初期王国時代(紀元前2,900年~紀元前2,350年)には、新興の都市国家がメソポタミアの各地に勃興した。このように、メソポタミアの都市国家は、灌漑農耕の拡大、農耕水路の確保のため、都市国家同士で戦争を始め、青銅器の武器(戦斧・短剣・槍)を使い歩兵を編成した。この歩兵は、古代ギリシャの重装歩兵のファランクス(右手に楕円形の盾、左手に槍を持ち、8列縦隊)を編成した。世界で最初の軍隊と言われている。
mesotoshi
 シュメール人がメソポタミアから各地に移住していった後、アムル人がメソポタミアに侵入し、その後バビロニア人が古代バビロニア(紀元前1,900年頃~紀元前1,600年頃)を建国した。また、ロバを家畜していたメソポタミア北部のセム系のアッシニア人は、古代アッシニア時代(紀元前2,000年頃~紀元前1,400年頃)にアナトリアの銅鉱石、中央アジアのバクトリアのスズ、バビロニアの羊の毛織物と、交易ネットワークを構築して、各地に商いをおこなっていった。このアッシニア人の商人が、メソポタミア、中央アジア、エジプト、アナトリア半島などの青銅器の生産に貢献し、各地に青銅器の武器を交易によって齎したのではないでしょうか。
 死の商人は、古代アッシニア人から始まったと思われますが、中国では殷王朝(紀元前1,600年頃~紀元前1,069年)の殷の商人、紀元前600年頃からの古代ギリシャの都市国家やアケドニアのアレキサンドロス3世(紀元前356年~紀元前323年)の東征では、アケドニア人が死の商人として活躍していたと思われます。
2012年8月26日

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