アマテラスが天の岩屋に隠れられた原因を作ったスサノヲは、高天の原の八百万の神々の協議の結果、高天の原を追いやられた。そして、スサノヲはさまよいながら、高天の原から出雲の国に降り立った。それから、オホヤマツミの子、アシナヅチとテナヅチ夫婦とその娘クシナダヒメに会い、コシノヤマタノヲロチにクシナダヒメがさらわれるので助けて欲しいと依頼され、スサノヲは草薙の剣でコシノヤマタノヲロチを退治してしまう。そして、スサノヲはクシナダヒメと結ばれる。
 中国の周の時代に、中華思想という考え方が生まれ、中国大陸を支配するものが、中華であり、それ以外の異民族を四夷、或は夷狄といい、中華の北側に北狄、東側に東夷、南側に南蛮、西側に西戎に分けた。その当時、中華の中心は朝廷であり、その周りにいた民族、漢人となり、それ以外の民族が四夷となります。この四夷の中に、日本や朝鮮を含んだ東夷があるのですが、その東夷の主流は、山東省や河南省に住んでいた萊族だったのです。紀元前11世紀頃に山東省に勢力を持っていた萊族は、太公望で知られ、周の軍師、陝西省出身の呂尚が周の武王の命により、制圧されてしまい、呂尚によって斉を建国されてしまう。その後、萊人は漢族と同化し、また江蘇省、遼寧省、吉林省、黒竜江省、朝鮮、台湾、日本に移住していった。とすると、江蘇省に移住した萊人が浙江省に移り、戦国時代の越人に同化し、吉林省に移動して濊人に同化して扶余の建国に参加したかも知れない。
 いにしえララバイのブログ記事「日本文化の源は山東龍山文化。」や「中華文明を発信した楽浪郡が日本文化の基礎」でも述べたように、日本の文化が紀元前2000年頃の中国山東省の文化から来ているとしたら、萊人の文化を受け継いだのではないでしょうか。萊人が弥生時代の早期に渡来していたとしても不思議ではない。
 さて、また古事記に戻りますが、クシナダヒメ(櫛名田比売=霊妙な稲田の女神)と殺害したオホゲツヒメの死体から得た穀物の種を出雲の国に持って行ったスサノヲが結ばれる話は、古代の出雲の国は弥生時代初期に中国から水田による稲作技術を持って、日本に渡ってきた萊族が出雲に住みつき、大和朝廷系の民族が出雲の萊人と手を結んだ話かも知れない。前漢の楽浪郡に深い関係があった出雲の国に萊人が渡って来ていたとすると、高志の国を越の国とし、大和朝廷がこの高志の国より北を蝦夷あるいは蝦狄と言ったのもある程度理解ができる。
 コシノヤマタノヲロチの正体は、出雲の国の東、今の北陸地方と新潟に古事記では高志の国であり、日本書紀では越の国であり、その国が出雲の国に侵略してきた人々ではないかとすると、コシノは高志の国のことで、ヤマタは得体のしれないモノ、ヲロチは怪物を表していることになり、出雲の国の隣国、高志の国の得体の知れない民族のことを神話として扱われているのであろう。
 では、高志の国の得体の知れない民族とは、周の時代に吉林省や黒竜江省当たりにいたツングース系の狩猟民族、粛慎ではないか。この粛慎は後漢頃には挹婁となり、勿吉となっていく。出雲の国にいた萊人が、高志の国にいた狩猟民族を粛慎と言ったのか、吉林省や黒竜江省に住んでいた粛慎が日本に渡来したのかも知れない。
2011年9月25日

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