silk 西洋と東洋を結ぶ交易の道、シルクロードは、紀元前3世紀後半にアレキサンドロス3世がギリシャのアケドニア地方から中央ユーラシア地域から中央アジアまで、南はペルシアからインドまで西洋から東洋へ攻めてきてから、秦や漢の時代に確立したように言われている。また、日本では、シルクロードと言うと、西域の敦煌辺りを指しているように言われているが、中国から東南アジアを通ってペルシア湾から、紅海までの物資の往来に船を使っていた事は、余り、シルクロードと表現されていないようです。紀元前2,000年頃の中国は、すでにシルクロードの原型ができていた。
 紀元前4,100年から紀元前2,600年頃の中国山東省の大汶口文化の遺跡から、トルコ石や象牙や翡翠が発見されていることからも、山東省の漁師が船でインドやアラビア半島位まで、大航海していた事が窺える。それと、渤海の海岸では、南から黒潮海流に乗って、魚達が集まってきたところで、それを追っかけて亜熱帯地方に入るくじらの群れがこの渤海に現れていたのではないでしょうか。また、くじらを追って東南アジアからインド洋にまで行った漁師もいるかも知れません。アラビア半島で古代東洋人の遺骨が発見されたと言う話もあります。
 この当時から航海術を持っていたのでしょう。それは、中国には日本では考えられない大河、黄亜河と揚子江があったからです。それと、古代人が航海するのに、羅針盤も持たずに航海ができたのは、鳥の様子を観察していたからです。現代日本でも、京都の鴨川で漁師姿をして船に乗り、鵜飼をする行事がありますね。中国でも、この鵜飼の漁が残っているところがあります。日本の文化はやはり中国から入ってきたのでしょう。
 古代中国の経済を考えると、紀元前2,000年頃から中国本土の蚕の生産や鉱山から出る金を持ち出し、インドで象牙や翡翠や真珠に替えて、中国本土に持ち帰る部族が存在して、古代中国の文化で一番華やかな龍山文化が芽生えたのでしょう。中国山東省辺りは、現在の工業国が先進国であるように、第一産業しかなかった時代ですが、中国山東省は、メソポタミア地方から、インダス地方から流れてくる物資の交易、織物や陶器類等の工業的な要素を含んだ先進国だったかも知れません。
2011年5月2日

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