以前、いにしえララバイのブログで紹介しました「鉄製造技術としての古代たたら製鉄について」の記事の中で、紀元前1680年に、現代のトルコにインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話す民族が、ヒッタイト帝国を建国し、アナトリア半島の遺跡から鉄滓(てっさい・鉄鉱石と木炭を熱した時の鉄以外の副産物)が発見された事を話しましたが、その後、日本に鉄製造技術がどのような過程で伝わったか。今回、中国の古代史を調べ、「ミャオ族が日本での最初の渡来人」や「天皇と言う名称と日本神話の起源」の記事を書いている時に、ひとつの仮説が浮かびました。
 黄帝(紀元前2510年~紀元前2448年)がいた頃、黄帝は、蚩尤(しゆう)と大戦争になり、涿鹿(河北省張家口市付近)の戦いで勝利を治める。この時に、蚩尤に味方したのがミャオ族の祖で、現在の山東省にいた九黎族です。黄帝に敗北した九黎族は揚子江付近に逃れて、三苗族となったのですが、その一部は現在の陝西省から青海省の付近に移った。そして、テュルク諸語の民族(トルコ系)と交わり、鉄製造技術を習得する事になる。そして、華夏族(漢民族)の国家、夏、殷(商)、周の領土に侵入して、略奪を続けていたが、ついに紀元前770年に周王朝の首都鎬京を陥落させて、西周時代に終わりを告げさせた。これ以降、中国は春秋時代に入り、西周の領土に秦が入り、西戎は元の陝西省から青海省に追いやられてしまった。そして、紀元前5世紀に西戎出身の無弋爰剣(むよくえんけん)という者が現れ、彼の一族に率いられた者たちが羌族を形成することになり、西戎は秦の第9代君主、繆公(紀元前659年~紀元前621年)によって滅ぼされ、羌族と氐族に分かれ、氐族は甘粛省の南に移住する事になる。また、羌族も氐族もチベット系民族の三苗族と交わる事になる。
 戦国時代を統一した秦の始皇帝は、羌族や氐族を優遇していたが、漢の時代になって、弾圧を受けるようになり、その一部は山東半島に移住し、朝鮮半島から鉄製造技術をもって、日本に渡来したと考えられる。
2010年12月28日

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