ミャオ族(苗族)は現在、中国では貴州省、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省に住み、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムにも分かれて住んでいる。この少数民族の歴史は古く、揚子江周辺の長江文明(紀元前14000年~紀元前1000年)にまで遡る。畑作の黄河文明に対して、長江文明は稲作文化であり、日本の米(ジャモニカ米)の発祥地方の文明である。この時代のミャオ族の神話で、紀元前3350年~紀元前3040年頃、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)の兄妹が主人公で、彼らの父が雷公(チャン族)の戦いで洪水攻めに合い、ミャオ族のほとんどが死んでしまって、その時に船で逃げ出した二人の神は結婚して、子供を沢山生んでミャオ族を復興させた。
 紀元前2500年頃、夏の初代皇帝、禹(う、紀元前2070年頃)の祖、漢字を開発した黄帝(紀元前2510年~紀元前2448年)がいた頃、黄帝は、蚩尤(しゆう)と大戦争になり、涿鹿(河北省張家口市付近)の戦いで勝利を治める。この時に、蚩尤に味方したのがミャオ族の祖、九黎族です。黄帝に敗北した九黎族は揚子江付近に逃れて、三苗族となった。それから、黄帝の子孫、が夏を建国した。
 その後、華夏族(漢民族)に反発し、反乱をお越したりしていたミャオ族は、周の時代に華夏族と同化した部族と春秋時代に楚、呉、越の配下に付いた。そして、呉が越に滅ぼされ、越が楚に滅ぼされ、最後に楚が秦に滅ぼされたため、ミャオ族はさらに南下して、広西チワン族自治区、海南省、ベトナムに移住した。そのミャオ族の一部が黒潮海流に乗って、沖縄諸島から奄美諸島、そして、南九州に、さらに対馬海流に乗って、対馬列島や朝鮮半島南部や北九州に上陸する事になる。では、何時頃日本に渡来したか。中国の春秋時代の頃で、楚・呉・越の戦いが盛んな頃、紀元前500年頃、日本では縄文時代晩期から弥生時代早期に当る。ちょうど、日本に水田による稲作が渡って来た頃です。
 最後に、魏志倭人伝で倭人の衣装に触れた文章があります。それには、幅の広い布に穴を開けて、そこから頭を通して、腰を紐等で縛る貫頭衣と言う服装です。そこで、ミャオ族の民族衣装と沖縄の民族衣装と古墳時代の衣装、日本の和服の原型の十二単の画像を紹介します。民族衣装だけでなく、ミャオ族が日本に渡ってきた証拠は他にもある様に思われます。
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2010年12月19日

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